何も知らないままでいたかった





You may die in my show.





日曜の夜。
10時近くになっても一日はこれからというように輝くネオン。
サラリーマンにOL、大学生らしい人々で賑わう新宿を、真田一馬は一人で歩いていた。
一歩踏み出すたびに揺れる黒のロングコート。
斜めにかけた大きな鞄。
秋が完全に姿を消した12月の初め。
吐く息は白い。
時折向けられる女性たちの視線も気にすることなく、一馬は歩いていた。
駅前の広場に集まって思い思いに話したり歌ったりしている若者たち。
その一人が近づいてくる一馬に気づき、声を上げた。
「一馬! 久し振りだな」
「・・・・・・あぁ、久し振り」
20歳近い男に手を振って答える。
「最近全然来ねーから夜遊び止めたのかと思ってたぜ」
その言い草に苦笑して。
「最近ってここ二週間くらいだろ?期末テストだったんだよ」
「ハハッ。大変だな、受験生は」
男は楽しそうに笑う。そこへ、
「「一馬ー! 久しぶりー!」」
突然二つの甲高い声が一馬の耳に響く。
それと同時に両腕にかかる重み。
「一馬が来てくれなくて、あたしたちすっごく寂しかったんだからねー!?」
「そーそー! 彼女でもできたの? あたしたちの他に?」
「・・・・・・・・・いねーよ、そんなの」
「「ホントー!? よかったー!」」
話しかけてきた二人の少女を横目に、一馬はため息をついて男の隣に腰を下ろした。
「今日は試合だったのか?」
地面に下ろされた大きな鞄を見て男が尋ねる。
「あぁ」
「どうだった?」
「2−0で勝ち」
「へぇ、やったじゃん」
当然のように缶ビールを渡されて、礼を言って受け取る。
喉を流れる黄色の液体。
その苦さにももう慣れてしまった。
目に映る雑多な街並み。
聞こえてくる数々の話し声。
眠ることのないこの世界にたしかに浸透している自分に気づいて、一馬は少し笑った。
少し前までは、こんな自分なんて考えたこともなかった。
一年と少し前、中二の夏までは。
大好きな親友二人がデキてるって知るまでは。



英士と結人がデキてるって気づいたのは、ある日突然だった
今振り返るとよく気づいたな、と自分でも不思議に思う
それくらい二人の態度は自然だった
それなのに
それなのに俺は気づいてしまったんだ
英士と結人の態度に
英士と結人の言葉に
英士と結人の空気に
何かあったんだという俺の曖昧な考えは、二人のシャツから覗いた赤い印によって形になった
とても認めたくない形の、答えに
目の前が暗くなった
息が止まった
一通りの混乱の後に激しい怒りが俺を襲った
それはたしかに嫉妬だった
英士に対してじゃない
結人に対してじゃない
あえて言うなら二人に対して
俺たちは出会ったときからすっと三人だった
英士がいて
結人がいて
俺がいて
すっと三人でいるものだと思ってた
どの選抜も一緒に受かって
高校も同じ学校に行って
プロのサッカー選手になってもずっと一緒にいるんだと思ってた
ずっとそう思っていたのに
それなのに



そのときから、俺は英士と結人に対して距離を置くようになった
知ってしまったから
知らない頃の無邪気な俺はもういない
俺はもう二人の傍にはいられない
話しかけられれば答えるし、こっちからも話しかける
それでも、三人で出かけたり泊まったりする回数はだんだんと減らしていった
今ではクラブ以外で俺が英士と結人と一緒にいることはほとんどない
そんな俺に最初は結人が、しばらくして英士も気づいたみたいで
『どうしたんだ』ってよく聞かれる
別にどうもしてないんだけど
ただオマエらと一緒にいないだけ
英士、結人
俺が本当に何にも気づいてないと思ってんの?
たしかに散々結人に『一馬はニブイ!』って言われてたけど
俺、一応FWなんだぜ?
それなりの視野は持ってんだよ
聡いオマエらのこと、俺が気づいてることに気づいてるんだろ?
それでも何も言わないってのはどういうわけ?
オマエら最悪
バカにすんのもイイ加減にしろ



「一馬、おまえ高校どうするんだ?」
「・・・・・・別に。適当なトコに行くつもりだけど」
男の質問に一馬はビールを一口飲んで答えた。
「えーじゃあ一馬、あたしと同じ学校に来てよ!」
「バーカ。一馬はおまえと違って頭イイんだから、そんなバカ高行かねーよ」
周囲につられるように一馬も笑って。
「サッカー強いトコに行かないのか?」
「・・・・・・わかんねー。クラブ続けるかどうかも決めてねぇし」
「まぁおまえならどこでも行けるだろうしな」
「行けねーって」
笑いながら答えた一馬の視界の隅に、何かが映った。



怒ることが少なくなった
カッとして言い返すこともなくなった
ポーカーフェイスってわけじゃないけど、派手に感情を出すこともなくなった
人見知りもしなくなったし、大抵の奴とは打ち解けられるようになった
昔はバカにしてたクラスメイトとも上手く付き合えるようになった
その分、素の自分を出すことはなくなって
成績が上がって偏差値が伸びた
何もしていないとアイツラのことを考えてしまうから、何かしようと思って勉強を始めた
サッカーはますます二人のことを考えさせるし、整理整頓はすぐに終わってしまうし
じゃあ勉強でもするかと思って始めたら、これが案外良かった
英語でも数学でも公民でも
アイツラのことを考えないで済むなら何でもよかったんだ
勉強する時間はだんだん増えていって、それに比例して成績も上がっていった
以前は学年でも50位が最高だったのに、今では10位以内が当然で
1位をとったことも何度かあった
身長も順調に伸びていって、今は177センチ
まだ止まってないからそのうち180は越すだろ、たぶん
サッカー選手としても身長はあった方がいいし
それにどうやら俺は少しカッコイイらしくて
『一馬はキレイなんだよ』とか言われたけど、男がキレイって言われてもあんま嬉しくない
自分じゃそうは思わないし
それでも告白される回数は増えたし、逆ナンされることも結構ある
・・・・・・・・・こう考えてみるとイイコトばっかじゃねぇ?
英士と結人に感謝しなきゃじゃん
アハハハ
アリガトーゴザイマス、フタリトモ



「ねーねー! あの子たちけっこーカッコよくない?」
一人の少女が人波を指差した。
話していた男たちが視線を動かしたのと共に、一馬もそちらを見た。
絶えず流れ行くはずの人込みの中で、固まったようにこっちを見ている二人。
何そんな驚いたような顔してんだよ。
俺はとっくに気づいてたぜ?
視界の隅に見慣れたコートが映ったときから。
あぁ、オマエらだって。
「一馬、おまえの知り合いじゃねーの?」
男が尋ねる。
「・・・・・・・・・さぁ?」
知り合いなのか、俺たちって?
二人の肩から下げられた大きな鞄。
俺の足元にある大きな鞄。
練習帰り、夕方に別れた俺がここにいるのがそんなに不思議?
そんなことないよな。
現にオマエらだってこうしてここにいるんだからさ。
目が合った二人に、俺は少し笑った。



英士
俺、英士のこと好きだったよ
時々嫌味とかも言われたけど、本当にオマエのことが好きだったよ
『しょうがないな、一馬は』って言って笑うオマエが好きだったよ
俺の好きなその声で
英士は結人を呼んだんだな



結人
俺、結人のこと好きだったよ
いつも貶されたりしてたけど、本当にオマエのことが好きだったよ
『しょーがねーな、一馬は』って言って手を差し伸べてくれるオマエが好きだったよ
俺の好きなその手で
結人は英士に触れたんだな



二人のことは好きだよ
好きだったよ
ずっと昔から大好きだったよ
三人でいるのが好きだった
一番心地よい場所だった
それでも、英士は結人が一番で
結人も英士が一番で
二人がお互いを想いあって
俺は居場所を失って
三人でいるのはダメなんだ
それなら離れるしかないだろう?
オマエらのこと好きだから、幸せになってほしいんだ
俺なら平気
今は友達も大勢いるし、慰めてくれる女たちもいる
変に気にすんじゃねーよ?
バーカ



「俺、帰るわ」
そう言って一馬は立ち上がった。
「えー!? 一馬もう帰っちゃうの? まだ12時前だよ!?」
「しょうがないだろ。俺、これでも健全な受験生だし」
答えながら空になった空き缶をゴミ箱へと放る。
綺麗な半円を描いて落ちるソレ。
少女たちはむぅっと頬を膨らませて、
「だって一馬ってばこの前うちに泊まったときも朝になったらすぐ帰っちゃったしー!」
「もっと一緒にいたいんだよ!わかってる!?」
文句を並び立てる少女たちに一馬は鞄を持ち上げながら苦笑する。
「・・・悪かったって。冬休みに入ったら、な」
「「本当!?」」
一馬が頷くと少女たちは嬉しそうに騒ぎ出す。
男たちは羨ましいというよりも呆れた顔でそれを見ていて。
「じゃあ一馬、さよならのチューして?」
言うよりも早く首に回された腕。
押し付けられた唇。
それでも動じることなく一馬は少女の腰に手を回す。
少しして少女の息が荒くなり頬が染まったころに、唇を離した。
「一馬、一馬! 次はあたし!」
「ハイハイ」
腕を引かれてそちらを向く。
重ねられた唇。
からめて音を立てる舌。
慣れてしまった行為。
二人の相手をし終わって一馬がもう一度鞄をかけ直す。
「一馬ー、おまえ口紅ついてるぜ?」
からかう男たちの声に自分の唇を少し擦る。
ピンク、それとオレンジのルージュ。
「・・・・・・ま、いいや。じゃな」
「あぁ、またな」
「「一馬ー! まったねー!」」
再会の約束を背中で聞いて、一馬は人込みへと歩き出す。



だから、何そんな驚いた顔をしてんだよ
何に対してそんなに驚いてんの?
俺が0時近くの新宿にいること?
平気でビール飲んでること?
女たちとキスしてること?
それともそれら全部に驚いてんの?
本気で?
別にいいじゃん
俺が何したってオマエらには関係ないだろ
一晩中新宿にいたって
ビール缶いくつ空けたって
女とセックスしたって
それは全部俺の問題
俺だけの、問題
一歩踏み出すごとに近づいてくる二人
いつまでも立ち止まってんなよな
他の人に迷惑だろ
俺の口元にはかすかな笑み
この一年で覚えた仕草
あぁなんか、立場が逆で面白いかも
以前は俺が驚いてばっかで、笑われてばっかだったから
二人の視線は俺に釘付け
それが妙に面白くて、俺はさらに口元を歪めて笑った
すれ違った瞬間、二人が体を固くして
何してんだよ、二人とも?
楽しすぎて声を出して笑った
動揺してんなよ
次に会うときも俺は自然に話せるぜ?
オマエらが一年前に俺にやってみせたようにな





英士、結人
俺、何も知らないままでいたかったよ





2002年10月18日