「・・・・・・・・・・あれ?」
真田一馬は小さく首をかしげた。
そんな様子に黒川柾輝は肩をすくめて。
人差し指を立てて笑う。



「・・・・・・・・・椎名、寝てるのか?」
囁くような小さな声で尋ねた真田に、黒川は一つ頷いた。



木陰ではお姫様と見紛うような少年が、静かにまぶたを閉じている。





神様の領分





常にマシンガントークで周囲を征圧している椎名翼が、陽の当たらない木陰で眠っている。
それはもうスヤスヤと。
身長が比較的小さいからか、それはまるでお昼寝中の小学生のようで。
思わず毒気を抜かれたように真田は目を瞬いた
そして着ていたジャージを脱いで、椎名へとかける。
「・・・・・・・・・・それ、後で翼が怒るぜ」
黒川が常より小さな声で言うのに、真田は首を傾げて。
「前に同じことしたら『女にするようなことをすんじゃねーよ!』って、ものすごい剣幕で怒られたんだよ」
楽しそうに言う黒川に、真田は選抜のユニフォームであるアディダスのシャツを調えて。
「だって当然のことだろ?」
小声でのやり取りが聞こえづらいからか、黒川の近くへと腰を下ろして。
「このまま寝てたら風邪引くかもしれないし。チームメイトが体調崩したら困るじゃん。ましてや椎名はディフェンスの要なんだから」
サラリと言った真田に、黒川は少しだけ目を見開いて。
そして小さく笑う。
「・・・・・・・・・何だよ?」
聞き返してくる真田にますます楽しそうに肩を揺らして。
「いや、翼のこと認めてんだなって思ってよ」
「?」
「初対面、最悪だったろ? お互いに」
その言葉に初めて会ったときを思い出す。
たしかそれは、選抜合宿のとき。
椎名の言葉に乗って、ケンカを仕掛けた自分。そして風祭によって夕食までかぶせられて。
ハッキリ言って良い思い出であるはずがない。
――――――だけど。
「認めるも認めないもないだろ。実際に椎名は上手いんだから」
サッカーが上手い相手は、嬉しい。それが味方なら尚更。
敵なら倒したいと思うだけ。
「後ろを椎名がまとめてくれてるから、俺らFWが攻めに集中できるってのもあるし。その点で椎名のことはスゴイと思ってる」
それは本当に、素直に。
「小柄なのにスゴイよな。鳴海や藤代にも競り負けないし」
「翼は護身術とか習ってたからな」
「あー・・・だから強いのか」
納得して首を立てに振れば、黒川はどこか楽しそうに笑っていて。
真田はというと意外と話しやすい黒川を相手に、穏やかな表情で話しを続ける。
「リーダーシップとかもスゴイよな。学校のサッカー部じゃ椎名がキャプテンなんだろ?」
「あぁ。翼と監督で何から何まで仕切ってるぜ」
「そっか、西園寺監督も同じ学校なんだっけ」
「地区大会じゃ桜上水に負けたけど、都大会では4位だったしな」
「強いんだ?」
「公立中学にしちゃ、な」
暗にロッサのようなクラブほどではないけれど、と黒川が告げると真田は一つ頷いて。
「あぁでも椎名が仕切ってるなら強いのも頷けるよな。何だかんだ言って引っ張ってくタイプだし」
「ちょっと強引かもしれねぇけど?」
「椎名はそれでいいんだよ。そのキャプテンシーに惹かれる奴も多いだろうし。・・・黒川もそうだろ?」
真田の笑みに、黒川はあいまいに笑う。
「ロッサにはそういうのないからさ、みんなそれぞれ目標を持ってやってるって感じだし。椎名みたいなタイプって、実は初めてかも」
「クラブはそうかもな。それぞれがきちんと自分の役割をこなすって感じだろ?」
「あぁ。部活って違うんだろ? 俺、やったことないから判んねーけど」
気がついたらクラブでサッカーをするのが普通だったから、と真田が笑う。
そっか、と黒川は頷く。
お互いの間に流れる穏やかな時間。
何故かそれは気持ちがいい。



部活のことやクラブのことを話したりして、休憩時間を過ごしていく。
その端々で真田が椎名のことを褒めるのを、黒川は驚きと楽しさで聞いていて。
話の張本人はというと、いまだ真田のジャージを被ってお休み中。
「真田って結構翼のこと好きなんだな」
黒川がからかい混じりで言うと、真田はいたって普通に頷いた。
「好きだぜ? だっていい奴じゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「黒川?」
あまりに予想外の答えを受けて黒川が黙り込む。
真田はただ素直に答えただけであって、特に深い意味はないのだが。
そんな様子が面白くて、黒川はニヤリと口元を緩めて話を続ける。
「真田さっきから翼のこと褒めてばっかだよな。ちょっとは貶してみれば?」
「貶すって・・・・・・・」
真田が、少しだけ眉を顰める。
「なんか真田の聞いてたら翼が聖人君子に思えてきた」
それはないだろ、と黒川が笑うから、真田も思わず楽しそうに笑ってしまって。
そして悪乗りするように喋りだす。
「椎名は可愛いよな」
「容姿が?」
「そう。だって俺、椎名以上の美少女って見たことない」
「あぁ、それは俺もそうかも」
「でも口開くと一気にイメージダウン」
「マシンガントークだもんな」
「百年の恋も一気に冷めるって感じ?」
二人して楽しそうに笑う。
それでも寝ているお姫様を起こさないように小さな声で。
「でも口が悪いけど言ってることは正論だよな。だからやっぱりいい奴だと思う」
「また聖人君子説になってるぜ?」
「じゃあ背が小さい」
「それ、翼のめちゃくちゃ気にしてるトコだな」
「151センチだっけ? 俺、小6のときにそれ以上あったと思うけど」
「俺もそうだった。その点では翼は成長遅いかもな」
「でも実力があればそれでいいけど」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
沈黙がその場を包む。
少しの間の後で、真田は照れたように笑って。
「椎名ってやっぱ、聖人君子なのかもな」
その言葉に黒川は苦笑を返すだけだった。
午後の練習が、もうすぐ始まる。



「そろそろ時間だぜ? 聖人君子の椎名翼様?」
「・・・・・・・・・・・・うるさいよ、マサキ」
不機嫌そうにムクリと起き上がった椎名に黒川が笑みをもらす。
きつく睨みながらも、椎名は自分の上にかけられていたジャージを取ると丁寧にたたんで。
視線をやれば、冬にさしかかった空の下、半そでのシャツで友達と話している少年が一人。
「・・・・・・自分の方が風邪引くっての」
「かもな。真田は馬鹿じゃないし」
「バカだよ、十分」
クシャリと自分の髪をかき混ぜて小さくうつむいて。
耳まで、赤くして。
「・・・・・・・・・俺は聖人君子じゃない」
「もしそうなら寝たふりなんかしないだろうし?」
「・・・・・・・・・うるさいよ」
「赤い顔して言っても説得力ないぜ、翼」
声をあげて黒川が笑うものだから、椎名は立ち上がって蹴りをくれてやって。
それをヒラリと避けられたものだから、余計赤くならずにはいられない。
たとえそれがさらに黒川を笑わすだけだとは判っていても。
「よかったな、翼。脈はありそうじゃん」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜うるさいっ!」
「まぁでも俺も負ける気はないし」
ニヤリと笑う顔がこれまた黒川によく似合うものだから、椎名は悔しそうに唇を噛み締めて。
「つーかオマエ何真田のケータイ番号なんか聞いてんだよ!」
「そういう流れになったからだろ? 俺と真田は機種も一緒だし。翼とは違うな」
ニヤニヤニヤ。
「・・・・・・・・・・・・」
ギャ―――ス!



「ほら翼に柾輝、何遊んでるの!? 練習始めるわよ!」
二重の監督である西園寺玲に怒られるまで、飛葉二名は鬼ごっこを繰り返していた。
片方は携帯電話を抱えて逃げ回って、もう片方はジャージを抱えて追い掛け回して。
真田一馬が不思議そうに眺めてるにもかかわらず、その鬼ごっこはいつまでも続いた。





次の選抜練習日、綺麗にクリーニングされたジャージが真田の手に渡されるのであった。
それによって真田の中で椎名翼聖人君子説が一層強まったのを、彼は知らない。



「あーあ、聖人君子じゃ変なこと出来ねーな」
「うるさいよ、柾輝!」
飛葉二名による鬼ごっこは今日も続いている。





2003年5月16日