ある日の休憩時間、真田一馬は後ろからかけられた声に振り向いた。



「さ、さささささささささささささささささにゃだっ!!」
「(・・・・・・・・・・・誰だそれは)」



「これと真田の弁当っ! 〜〜〜交換して!!」



突き出されたコンビニ袋と差し出してきた張本人を見比べて真田は首をかしげた。
目の前には緊張した様子の藤代誠二が立っている。





Love Life in the Lunchtime





いちごみるくブレッド・米粉パン(ハム&たまご)・チーズ蒸しパン魚沼産コシヒカリおむすび・ホットなおむすび・高級おにぎり・のりたまおむすび・バナナチョコクレープ・リンゴゼリー・レモンシュー・ショコラスフレ・ヨーグルト・なっちゃんのアップル・100%果汁りんごジュース・炭酸アップルソーダ・アクエリアス・烏龍茶・ブタキムチ味ポテチ・メンズポッキー・キシリトールガム・よっちゃんいか。
はちきれそうなくらい品物が入っている袋。
これぐらいじゃあ一馬の弁当とは釣り合わないだろ、と若菜は思った。
第一に一馬の弁当をコンビニ商品なんかと比べられるわけがない、と郭は思った。
そんな両隣の親友たちの考えにも気づかず、真田はじーっと渡された袋を眺めて。
「・・・・・・・・・俺、こんなに食えないんだけど」
「ならあげるっ! 持って帰ってもいいし、誰かにあげてもいいしっ! 真田の好きにしていいから!」
「今日の弁当、あんま大したもん入ってないし」
「全然十分っ!」
見えないはずの尻尾がパタパタと千切れそうなくらいに振られているのが何故か見えて。
「・・・・・・・・・ほら」
真田は自分の弁当箱を藤代へと差し出した。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何でここで食べるわけ」
冷ややかな郭の声もご機嫌すぎる状態の藤代には届かない。
「だって食べた感想を真田に伝えたいじゃん!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
郭はやはり冷ややかに沈黙し、若菜はその正面で苦々しげに顔を背けた。
現在の配置はこうである。真田を始点に時計回りで若菜・藤代・郭、そして真田に戻る。
いつもは三人で食べているから異例の乱入者にリズムもタイミングも狂わされて。
けれど当の真田が文句を言うわけでもないから、郭と若菜は大人しく自分の昼を食べることにした。
――――――――――大人しく。
「うっわ―――――っ! すっげぇ綺麗! 色とかめちゃくちゃ綺麗じゃんっ!」
藤代のボキャブラリーの少なさに、若菜は自分のことを棚にあげて藤代の国語の成績を心配した。
チラッと目をやれば、藤代の手の中にシソを散らされた白飯・海苔を巻いてあるらしい黄色の玉子焼き・粉ふき芋・きぬさやとニンジンの甘煮・一口カツが弁当箱の中で色とりどりに並んでいて。
あぁやっぱりコンビニ商品では割に合わない、と二人の親友は思った。
けれど藤代は嬉々として一口カツにグサッと箸を刺す。
「これ中に何か入ってる?」
真田はその問いに高級おにぎりのいくら(一個200円)を食べながら頷いた。
「ピクルスとマスタード。藤代って辛いの苦手だっけ?」
「全然平気! いっただっきま―――――っす!!」
パクッ
むしゃむしゃむしゃむしゃ
都選抜内を沈黙が支配して。



「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜めちゃくちゃ美味いっ!!!!!」



ハイテンション藤代の歓声が響き渡った。
「え、マジでうまっ! このカツだけじゃなくて玉子焼きも粉ふき芋も美味いし! 真田ってマジすげーっ!」
「そんなことねぇよ」
口ではそう言いつつも賞賛されて嬉しいのか、真田が照れたように口元を緩める。
それを面白くなさそうに見つめるのは周囲の人間たちだ。
選抜内で知られている料理上手だと真田の弁当。それを狙っている者は多い。
中でもいつもちょこちょことご相伴に預かっている若菜と郭としては、藤代が真田の弁当を食べているのが許せない。
この素晴らしく美味しい料理は自分たちのものだけであったのに。
悔しさをハンバーグに突き立てた。



なんだかんだ言いつつも和やかなランチタイムが終盤に差し掛かった頃、真田はあることに気づいた。
「藤代」
「ん?」
「ニンジン、食べてない」
・・・・・・・・・ピシッと選抜内の空気が固まった。
藤代は冷や汗をダラダラと流し始めて、彼を挟む郭と若菜はニヤリと宜しくない笑みを浮かべて、渋沢は少し離れた場所で口元に手をやり、他の面々は遠巻きに見ながらやはり悪役のように口元を歪めた。
そう、有名なのである。とてもとても有名なのである。
―――――――――――藤代誠二のニンジン大嫌いお子様ぶりは。
「ニンジン」
単語で示した真田の視線の先には、ほとんど空になった弁当箱の中で異彩を放っているオレンジ色の物体。
きぬさやと一緒に甘く煮たのだが、とうのきぬさやは綺麗に姿を消していて。
オレンジだけが弁当の中に残っている。
チラッと視線を向けられて藤代はあからさまに動揺し始めた。
「だ、だだだだだだだだだだだだだってニンジンって美味しくないじゃんっ!」
「これは甘くしてあるから大丈夫だと思うけど」
「いや、それはそうかもしんないけどっでもやっぱ人には好き嫌いというものがあるわけで!」
「そういえば結人もトマト嫌いだしな」
真田はそう言って親友を振り返った。若菜はコクコクと動作で肯定を表している。
それを見て藤代は「助かった!」という文字を大きく顔に貼り付けた。
「だろっ!? だからやっぱりニンジンだけは食べられないってことで――――――」
「藤代」
言葉をさえぎって真田は言った。めずらしくも満面の笑みつきで。



「俺の作った料理が食べられないって言うのか?」



にこやかなのに寒々とした冷気を発する真田を見ながら、若菜は「あーあ」と思ってポカリを飲み込んだ。
チラッと横を見れば真っ青な顔で硬直している藤代がいて。いつもの自分もこうなのかと若菜は思う。
自分はトマトが大嫌いだけれど、真田の手料理で出てきたトマトを食べなかったことは一度もない。
それもそのはず、初めてトマトの入った手料理を振舞われたときに言われたのだ。
『他の誰かが作った料理ならいいけど、俺の作った料理を残すのは許さない』―――と。
残すならもう二度と作らないとまで言われたのである。
今では真田の作る料理のトマトは平気になってきているが、最初のときはさすがに弱った。
ここが正念場だぞ、と若菜がつい藤代を応援したくなっても仕方ないだろう。



オレンジ色の物体。
そんなに綺麗な色なのに(藤代にとっては)美味しくない野菜。
嫌い。嫌い。嫌い。嫌いなものを挙げろと言われたら一番に浮かびそうなくらいのランキングトップ。
恐る恐ると箸を近づける。
触れた感触が伝わると思わず箸を落としかけて。
けれど、今が勝負。
ここで逃したらおそらく一生勝つことは出来ない。
――――――――――そう、勝負!



・・・・・・・・・そのとき『愛は勝つ』という歌がバックに聞こえたと後に風祭将は証言した。



「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
マジで食べた・・・・・・という誰かの呟きは藤代の耳には入っていなかった。
どうにかこうにか飲み込める最大限の大きさまで咀嚼して、両手で口を覆って戻さないように努力して。
持参していたお茶のペットボトルを掴むと勢いよく飲み始めた。
ニンジンを一気に流してしまおうという魂胆である。
誰もが息を潜めて見守る中で藤代はどうにかニンジンを克服し、額にかいた汗をジャージの裾で拭った。
妙な達成感が体を支配する。
「・・・・・・藤代」
どことなく笑いを潜めた声に顔を上げる。
目の前に何かを突きつけられて思わず口を開けた。
広がる、甘い香り。



「ご褒美」



パウダーシュガードーナツの向こうで真田が楽しそうに笑っていた。



「はいコレ。英士と結人にも」
「お、サンキュー」
「ありがと、一馬」
目の前でラッピングされた菓子が交わされるのを藤代は呆然と眺めていた。
中に入っているのは今自分がくわえているのと同じパウダーシュガーのふりかけられたドーナツ。
ふわふわのスポンジと甘い香り、美味くて甘いおやつ。
それに加えてめったに見られない真田の満足そうな笑顔!
「あーっ藤代たちばっかズリィ! 真田っ俺も欲しい!!」
「俺も俺もーっ!」
「うるさいよ! まったく餌を与えられていない雛鳥じゃあるまいしピーチクパーチクうるさいったらありゃしない!」
「・・・・・・とか言って翼だってもらう気だろ」
「真田君、僕も欲しいなぁ」
「すごいね、真田君。ご飯だけじゃなくてお菓子も作れるんだ」
「トッピングはパウダーシュガーとチョコレートと、これはオレンジリキュール入りか?」
「すっげ―――――っ! 美味そう!!」
遠めに見ていた集団がこれこそチャンス!とでも言わんばかりに近づいてきて。
そんな彼らに紙で出来たバスケットを広げながら真田は笑う。
「一人一個だけど全員分作ってきたから」
我先にドーナツへと群がる可愛らしいサッカー選手たち。



ドーナツをくわえたまま藤代はやはり唖然としてその光景を見ていた。
口に広がるのは心地よい甘さ。空になった弁当はとても美味しかった。
そう、それはいつもは大嫌いだと公言してはばからないニンジンでさえも!
あむあむとドーナツを大切そうに食べながら、藤代はポツリと呟いた。



「・・・俺・・・・・・真田と結婚したいかも・・・・・・・・・」
「「絶対ダメ」」



左右にいた二人にすげなく一蹴されてしまったけれど、藤代としてはその言葉は90%以上の確率で本気であって。
ドーナツを食べきった瞬間、それは100%に変わった。
うん、と一人で納得して深く頷く。



真田と結婚しよう。
そう決意した藤代誠二、13歳の夏であった。





2003年5月17日