小さく呟かれた言葉。
その一言が椎名翼の背中をポンと押し、彼を奈落の底へと突き落とした。
恋愛という名の地獄(君となら天国!)へと。



「・・・・・・鍋。うん、鍋にしよう」



真田一馬は呟いた。





オゥ!マイ・スウィート・ホーム





「ちょっと若菜。聞きたいことがあるんだけど」
ギンギラギンと真夏の太陽が照り付ける、とある選抜の練習日。
若菜結人は聞き覚えは嫌というほどあるけれど直接話したことは殆ど無い声に呼ばれて、くるぅりと振り向いた。
「椎名じゃん。何?」
「何って言うか聞きたいことがあるんだよ。さっき真田が変な事言ってたんだけど、あいつ本当に大丈夫なの?この暑さで頭の中身溶けちゃったんじゃない?」
「変なことって?」
「『鍋。うん、鍋にしよう』。だってさ!全くこの暑い日によく鍋なんて言葉が言えるよね。あいつの頭はどうなってる訳?季節はすでに冬だって言うの?」
若菜は椎名の言葉に少し考えて、その後で思い出したようにポンと手の平を打ちつけた。
「あーソレ、たぶん一馬の夕飯」
「夕飯?真田の?」
「うん、たぶんっつーか十中八九そう。だってアイツ冷蔵庫の中身一掃したいって言ってたし。
鍋って結構何でも入れたりするじゃん?だからそう。うん絶対そうだ」
「何?真田って自分で夕飯作ってる訳?」
「まぁソレは家庭の事情ってヤツ?」
「ふーん、分かった。とりあえずサンキュ」



キラリと目を光らせながら答えた若菜。
つまりは余計な詮索するなって事ね。
まったくアイツラ(もちろん郭と若菜の事)本当に真田に甘いんだからな。
いい加減にしとかないと後で泣きを見るよ?(俺には関係ないけどね)



まぁでも謎は解けた。
夕飯ね、夕飯。鍋って言うのは真田の夕飯。
いきなり背後で呟かれたときは本当にヤバイんじゃないかって思ったよ。
練習中に余計なこと考えてんじゃないっての。



ふーん。真田は夕飯、自分で作って自分で食べるんだ。
何か意外。親にめちゃくちゃ甘やかされてそうなイメージあったけど。
若菜の言い方だと随分手慣れてるみたいだし?
じゃあひょっとしていつも練習に持ってくる弁当も、実は真田の手作りだったりするわけ?
(うっわ!ホウレン草とコーンの入った玉子焼き、おいしそうとか思っちゃったんだけど!)



ちょっと待て。じゃあ何?





真田は一人で鍋を食うわけ?





いやまさかそんな。
両親とかも帰ってくるだろうし、ひょっとしたら郭や若菜と一緒かもしれないし。
でも今想像できてしまった。



エプロンつけて台所に立つ真田(エプロンは何故か俺が調理実習とかに持ってく緑のチェック)
左手を猫手にして野菜を切る真田(やっぱりタマネギとか切ると泣くんだろうな)
カセットコンロに鍋をセットして鍋奉行を務める真田(最初に入れるのは硬い野菜!)
黙々と話すことなく食べ続ける真田(好き嫌いはないと見た。でもシイタケは少し苦手だったり)
一人分の食器を洗って拭いて元の場所へと戻す真田(高い棚も楽々平気!俺は踏み台がいるけどね!)
BGMはテレビのくだらないクイズ番組。



・・・・・・それって何かちょっと切なくない!!?



うわやだちょっとまてしんじられない。



俺 今 何 考 え た?





真田と一緒に鍋を囲みたいとか思った!?(思った!)





それは何? 鍋を囲む?





つまりは真田と家庭を築きたいって事!?





・・・・・・・・・冗談じゃない!!!





でも一人で鍋を食べさせたくない。
(じゃあ郭や若菜と一緒に食べるように仕向ければいいじゃん?)
帰ったときに一人の家で「ただいま」なんて言わせたくない!
(べつにそれぐらい誰にでもある経験だし?)
一人で洗濯畳んで風呂沸かして夜も一人で眠らせたくない!!
(クリーニングでも24時間風呂でもなんでもあるのに?)



あぁ何て反対意見の弱い事!!!



よし、今度の練習の時は真田の家に泊まりに行こう。
真田の作る夕飯を一緒に食べて、二人でテレビ見て、夜は「おやすみ」って言ってやろう。
一人になんてさせてやらないよ?
どうやら俺、気づいちゃったみたいだしね!



真田との家庭の築き方にさ!!



次の練習までには俺のものにしてみせるよ?
だから逃げずに待ってろよ真田!
俺が世界一幸せにしてやるからさ!(そして俺も幸せにして!)





オゥ!マイ・スウィート・ホーム



宇宙一の家庭を築いてやるよ!!





2002年6月25日