海は広い。厳しくて、優しい。そこに存在するすべてのものを、僕は奇跡だと思ってる。
あなたもそう思うでしょう? ねぇ、ルフィさん。





誇れる明日へ





「僕のやり方に納得がいかないのなら、他の将校へ紹介状を書きましょう。君の軍に入って以来の経歴を纏めて元帥に提出しますから、おって異動の連絡があると思います。それまでは自室待機ということで」
さらさらと手元の書類にペンを走らせつつ、コビーは顔を上げずに仕上がった一枚を別の山に乗せた。仕事は出来るだけ溜め込まないに限る。そう学んだのはガープの部下として彼に従う中、度々センゴクが「書類はまだか!」と殴りこんでくるのを目撃したことがあるからだ。ガープは煎餅を食べながら「出来とらんわい!」と笑い飛ばしていたが、かの上官はとても尊敬できる人なのに事務処理に関しては気分が乗らない限り手をつけない人でもあった。顔色を赤くさせたり青くさせたりしながらガープを罵っていたセンゴクを思い返し、コビーは思わずくすりと笑う。そんなふたりのやりとりを見ていたからこそ、コビーは出来る限り書類も手早く終わらせるよう心がけている。
「まだ、何か?」
とりあえず締切期限の近いものを終えて、ペンを置いたところでコビーは机の向こうに未だ部下の姿があったことに気づいた。部下といってもコビーよりは年上であり、けれど軍人としての経歴はまだ浅い。軍曹や伍長でもなく、役職もまだ与えられていない男が、畳の上に正座している。ここはコビーに与えられた専用の執務室だ。和風に誂えたのはやはり、尊敬するガープに習ってのこと。
「っ・・・理由が分かりません! どうして自分が異動させられなきゃならないんですか!?」
「君は上官である僕の命令を聞かなかった。それ以外に理由が必要ですか?」
「海賊を捕まえることの何が悪いんです!」
「一般市民を守るよりも、海賊を捕まえることを優先したことが問題なんです。僕は君が僕の部隊に配属になったとき、最初に言いましたよね? 『一般市民の安全を第一に考えて行動してください』って」
「でもっ・・・あいつは、五千万ベリーの賞金首ですよ!? 逃せるわけないじゃないですか!」
「それなら一般市民を守ってから海賊を追えば良かったでしょう? それなのに君は島民の保護より海賊を捕らえることを優先した。そんな人は僕の部下にはいりません」
はっきりと言い切って、コビーは事務処理をするときだけかけている眼鏡を額に押し上げた。仕上げた書類を重ねて直し、元帥宛の箱に入れる。他の束を調べてみれば報告書ばかりで、緊急性のあるものは見当たらない。ゆっくり目を通して大丈夫かな、と茶を入れようと立ち上がる。
「・・・・・・お言葉ですが、コビー大将は、海賊に対して甘すぎませんか?」
湯飲みへ伸ばしかけた手を止める。振り向けば、男は正座している膝の上できつく拳を握り締めており、コビーは吐き出しかけた溜息を慌てて堪えた。何度としてこういうことはあったけれども、自分が海軍大将の座についてからは随分と減っていたのに。やっぱり難しいんだなぁ、と苦笑したい気持ちで座布団に戻る。茶は入れずに相対すれば、男は今度こそコビーを睨み付けるように顔を上げてきた。
「コビー大将は甘すぎます! 海賊を見つけても攻撃しないことだってあるし、町で事件が起きれば海賊よりそっちを優先するし、とても海軍大将の行動とは思えません! ご自身が『麦わらのルフィ』に助けられたからって、海賊を贔屓してるんじゃないですか!?」
「それでどうして海賊を贔屓してるという結論に達するのか、僕には分かりません。僕が贔屓しているのは、海賊じゃなくて一般市民です」
「でも!」
「―――正義を」
どん、と部屋に負荷がかかり、刹那自身の意識が途切れたことを男は知らない。コビーは剥き出しかけた威圧を押さえ込み、それでも眼差しは目の前の部下を直視する。先ほどまで文句を連ねていた男は、その視線の鋭さに「ひっ」と息を呑み、肩を震わせた。ゆっくり、ゆっくり、コビーは自分の中を押さえ込んでいく。まだ役職にもついていない一般海兵が、覇気に耐えられるわけがないのだ。話を聞かせる必要があるから、コビーは器用にも己を律してみせた。それでも男の歯が合わず、がちがちと震え始めたのは止められない。
「海軍が『正義』の文字を背負っていても、その意味合いが個人によって違うことを、僕は理解しているつもりです。それでもやはり僕は、海賊を捕まえるよりも、市民の平和を優先する海兵でありたい」
これから先も、目の前を賞金首を乗せた船が行き交っていたとしても、背後で一般市民の悲鳴が聞こえたのなら、僕はそちらに向かって走ります。その行いがゆくゆく大きな被害をもたらすことになるのなら、それを最小限に留められるよう、この海を端から端まで駆け回ります。甘いといくら言われようと、僕はこの主義を変えるつもりはありません。
そしてこの主義を認められて、支持を受けているからこそ大将の座に着いているのだと、暗に示してコビーは笑いかけた。びくりと肩を跳ねさせる男は、海賊に恨みでもあるのかもしれない。だからこそ海軍に入ることを希望する輩も少なくはない。けれどどうせ抱くならば、復讐よりも夢がいい。野望がいい。そうコビーに教えてくれたのは、やはりあの人だ。
「それに、僕は海賊に手加減なんて絶対にしませんよ?」
くすくすと笑みを漏らしたコビーの部屋に、サイレンの音が鳴り響く。ばたばたばた、と途端に海軍本部が動き出した。
「あの人に手加減なんてしたら、それこそ失礼じゃないですか」

『新世界春島にて、「麦わらのルフィ」と「ユースタス・キャプテン・キッド」が接触! 繰り返す! 新世界春島にて、「麦わらのルフィ」と―――・・・!』
ウーウーウーウー、とサイレンが上へ下へと鳴り響く。海楼石入りの網や銃を用意した海兵たちが列を成して港へ向かう。白く長い、いつもは動き辛くて滅多に着ないコートを脇に抱えて、コビーは手摺りを飛び越えた。階段の踊り場に着地すればざわめきが起こって、わっと歓声すら上がる。堪え切れずに笑いながら、コビーは走り出す。
「コビー! 船の準備、もう出来てるぞ!」
「ありがとう、ヘルメッポさん!」
苦楽を共にしてきた同僚に、今は副官を務めてくれているヘルメッポに手を上げて応えれば、間髪入れずに右から七尺十手が飛んできた。能力者ではないので海楼石は効果ない。身を反らしてそちら側を向けば、ちょうど執務室から出てきたらしいスモーカーが十手をコビーに向けて突きつけていた。背後ではたしぎが慌てている。
「コビー・・・てめぇに出撃命令は下ってねぇはずだ。違うか?」
「そんなこと言わないでくださいよ、スモーカーさん。だってルフィさんなんですよ?」
「知るか! あいつのことは俺が任されてんだ、邪魔すんじゃねぇ!」
「手柄は全部譲りますから。じゃあ、お先に!」
「コビーてめぇ!」
十手を蹴り飛ばして、その容量で階段から一気に広間へ飛び降りる。スモーカーの怒鳴り声とたしぎの悲鳴が追いかけてきたけれど、コビーは港へ向かってまっしぐらだ。見知った中将や佐官などはすでに失笑して追いかけっこを見守っている。
「おお! スモーカー大将にコビー大将まで出るのか!」
「そりゃあ相手が麦わらだ。コビー大将は黙っちゃいねぇよ」
まさにその通りだ。港の縁を蹴り上げて、ふわりと軍艦の甲板に立つ。ヘルメッポの声を受けてすぐさま出航が告げられ、マリンフォードを出たのはやはり一番早い。この海の先、今から行く場所にルフィがいるのかと思うとコビーの胸が躍る。まるで冒険を前にした子供のように、恋人を前にした青年のように、夢を前にした大人のように、全身が高鳴って仕方がないのだ。ルフィはコビーの生き方を変えてくれた。だからこそ。
「あなたを捕まえるのは、絶対に僕でありたい・・・! 待っててください、ルフィさん! 今すぐ行きますから!」
誓う声は、いつだって輝きに満ちている。





「ルフィさーん! 行きますよー! ガープ中将直伝、拳骨メテオ!」
「ししし! ゴムゴムの風船! コビー、おまえ強くなったなぁ!」
「ありがとうございます!」

2010年4月4日