【「神なんかより、俺がおまえを愛するよ」を読むにあたって】

この話には、WJ最新号の第579話「勇気ある数秒」までのネタバレを含みます。
特にエースに関して巨大すぎるネタバレを含みますので、WJでリアルタイムに話を読んでおらず、コミックスの発売を心待ちにしている方は決してご覧にならないでください。何でも大丈夫という方のみお付き合いいただければ幸いです。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでも駄目だと思われた方は今すぐお戻り下さいませ。むしろレッツリターン!



▼ 大丈夫です、読みます ▼


































例えその道がどんなに遠くても、険しくても、辛くても悔しくても悲しくても。
待ってる。待ってる。待っているよ。おまえの兄の分まで、いくらでも待っているから。
いつか笑顔で、辿り着け?





神なんかより、俺がおまえを愛するよ





「返せよ。その帽子は俺の宝だ」
シャボンディ諸島からどれだけ離れた島なのか、おそらくルフィは知らないだろう。ローの船はずっと海底を進んでいたし、どれだけの時間、自分が絶望の中にいたのかなど知りたくもないに違いない。久方振りに太陽の下に現れたその姿は、周囲の雪原に負けず劣らず色がなかった。肌は蒼褪め、ようやく塞がりつつある数々の傷跡が痛ましい。あの、海と空が誰より似合う、快活な「麦わらのルフィ」はこの場にいない。それは瞳に滾らせる炎のような怒りや、頭上を飾る麦藁帽子の不在が理由でもあった。
冬島は白に満ちている。雲の向こうに存在する太陽の力は弱く、互いは光に邪魔されることなく相対できる。雪を踏みしめるルフィの足元はサンダルだ。愛用していたものは壊れて捨てた。ベポがどこかから調達してきてくれた新品だ。コートは着ない。ベストからは二の腕以下が、ズボンからは膝下が、首から上だってすべてが寒気に曝されているけれども、その身体は震えたりしない。元来北国育ちのローは、やはり薄手のシャツ一枚で、少し離れた背後からルフィの様子を眺めている。
「返せよ。その帽子は、俺の宝だ」
「そうなのか? 俺はこいつを拾っただけなんだが」
「そうか。んじゃ、ありがとうございました」
「はい、どういたしまして」
「もういいだろ。返せよ、俺の麦藁帽子」
ぺこりと腰から頭を下げたくせに、瞳は相変わらず頑なで剣呑だ。変わらない物言いに、酒屋の店先に腰掛けていた男は失笑する。その燃えるような赤い髪の上に麦藁帽子を載せている男は、名をシャンクスといった。「赤髪のシャンクス」と呼ばれ、「四皇」と讃えられる大海賊。そしてルフィが取り戻そうとしている麦藁帽子の、本来の持ち主。
雪の中に立ち続けるルフィを見やり、シャンクスは麦藁帽子を脱ぐ。手の中を見下ろせば、記憶よりかは幾分か古びた、懐かしさを抱かせる茶色がある。繕った跡がいくつか見られ、そこからは戦闘でも肌身離さなかったこと、いつだって大切に扱われてきたこと、ルフィの帽子にかける、ひいてはその持ち主である自分に対する思いの強さが感じられた。その麦藁帽子を、先日シャンクスは拾った。白ひげ海賊団と海軍が戦争を引き起こし、エースが死んだ、あのマリンフォードで。ルフィが落としたくて落としたのではないのだと、すぐに分かった。だってきっとあの子供は、もしもエースとこの帽子のどちらかを取れと言われたのなら、躊躇いなく帽子を捨てるから。捨ててもなお会いに来て、笑って泣いて謝るような子供だから。
「ほらよ」
ブーメランの容量で投げれば、ルフィは両手でキャッチする。確かめるようにその縁をなぞり、深く自分の頭に被せる。そしてシャンクスを一瞥もせずに踵を返した。
「おいおい、拾い主には一割の礼が基本だろう?」
「一割なんかねぇよ。この帽子はシャンクスから預かった俺の宝だ。欠片だって誰にもやらねぇ」
「・・・・・・のう、ルフィ君。今返してはいかんのかのう? 折角会えんたじゃろう、『赤髪のシャンクス』に」
「会えてねぇ。これはシャンクスが会いに来たんだ。この帽子は、俺が、シャンクスに、会いに行って返さなきゃ、意味がねぇ」
ローの隣にいるジンベエが躊躇いがちに進言してくるが、ルフィは強い口調で拒絶した。歩幅にすれば十歩にも満たない距離に、ルフィとシャンクスは並んでいる。それこそ互いが歩み寄り、腕を伸ばしあえば指先だって触れる距離だ。それでも嫌だとルフィは言う。少年期の薄い背中をシャンクスは思う。今はただ拒絶することでしか己を保てないだろう。暴れまわる後悔や憤怒をせめて他人に向けないように己の内で必死に堪え、そうしてルフィはエースの死を乗り越えるのだ。非力な自分と、他者の力と、運命の不条理を知るだろう。行く先はまだまだ遠く、険しい。涙することだって、きっとまたあるだろう。それでもルフィは成長してきた。シャンクスの記憶の中にあった、小さな小さな子供から、今はこうして、痛みを昇華して大人になるのだ。
「―――待ってるからな、ルフィ」
雪の上にサンダルの足跡をつけ、離れかけていた背中がぴくりと反応する。ローが長すぎる刀を己の肩に預け、ルフィ越しにシャンクスを見た。
「いつかおまえの船で、おまえの仲間と一緒に、俺のところまで辿り着け。それまで、その麦藁帽子はいくらだって貸しててやるから」
「・・・っ・・・」
「だから必ず返しに来い。何年だって、何十年だって、何百年だって待っててやるよ。泣いて喚いて辛くても、一歩ずつおまえの足で歩いて来い」
向けられているのは背中なのに、それでもシャンクスには馬鹿みたいに簡単にルフィの表情が分かった。きっと十年前の出向のときのように、唇を噛み締めて泣いているのだ。その頭にも、かつて麦藁帽子を載せてやった。今だって手を伸ばしてあやしてやりたいが、もうそんな子供ではない。海賊としてルフィは海に出たのだ。この、すべてを翻弄する『偉大なる航路』へ。
「約束だ、ルフィ。おまえは立ち止まるな」
「シャンクス・・・!」
「一歩ずつでいいから前に進め。・・・エースの分まで」
生きろ。言葉は間違いなく届いただろう。ルフィの耳に、そして心に。ぎり、と奥歯の鳴る音がして、ルフィが雪を蹴って走り出す。通り過ぎて海岸へ向かっていく背を、「ルフィ君!」とジンベエが慌てて追いかけた。その場に残ったのはシャンクスとローだけになり、酒屋の扉一枚を挟んだ向こうには赤髪海賊団のメンバーもいるはずだが、それでも彼らは日頃の酒盛りからは想像も出来ない沈黙を作り出していた。彼らも分かっているのだ。かつて息子のように可愛がったルフィが今、辛酸の淵に立ち尽くしているのを。理解し、見守っている。雪原に残る足跡をシャンクスは見つめた。今は苦しくとも、きっとその道は暗いばかりではない。海が優しく、そして眩しいことをルフィはちゃんと知っている。エースの死がルフィに傷だけでなく、新しい強さを与えてくれると思えるのは、シャンクスがルフィを信じているからだ。だからいくらだって待つことが出来る。
「四皇ともあろう者が、随分とお優しいことだな」
「あー・・・あいつは俺の息子みてぇなもんだからなぁ。泣き顔は見たくないんだよ」
ローの揶揄に、シャンクスは肩を竦めた。立ち上がり、隻腕でコートについた雪を払う。不健康そうなローの顔を見やって、シャンクスは唇の端を吊り上げた。
「それにルフィは俺のライバルだ。もっと強くなってくれないと張り合いがねぇ」
そうだろ? と見開かれた瞳に今度こそ笑って、シャンクスは酒場のドアを開く。しばらくルフィを頼むぜ、と後ろ手に振れば、少ししてローの去っていく足音がした。カウベルが鳴って扉が閉まり、暗い酒場の店内は、それ以上に不安と心配そうな大人たちの顔で満ちている。己の右腕であるベックマンさえそれは同じで、シャンクスは思わず笑った。手をやった頭に麦藁帽子はない。
「待ってるぞ、ルフィ。―――ずっとだ」
今はあの帽子が、涙を隠す役目であればいい。そして近い未来、太陽を浴びて煌めけばいい。次に会うときは笑顔で来いよ。呟いて、シャンクスはいとし子のために、祈るように目を閉じた。





果たしてシャンクスはルフィが来ることを知って戦場に行く判断をしたのかどうか。個人的にはマリンフォードに向かっている最中に知ったのを希望。
2010年3月29日