【「こうふく」を読むにあたって】

この話にはコミックス未収録分から、WJ最新号の第578話「新時代へ贈るもの」までのネタバレを含みます。
特にエースに関して巨大すぎるネタバレを含みますので、WJでリアルタイムに話を読んでおらず、コミックスの発売を心待ちにしている方は決してご覧にならないでください。何でも大丈夫という方のみお付き合いいただければ幸いです。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでも駄目だと思われた方は今すぐお戻り下さいませ。むしろレッツリターン!



▼ 大丈夫です、読みます ▼


































そいつが来たときは、いつだって一瞬で分かる。空気が変わるのだ。色を変えるわけでも重みを変えるわけでもないが、どこか凛とした、それでいて興奮を含んだ空気が漂う。船内を気ままに闊歩するのは、昔の杵柄があるからだろう。新入りはともかく、古馴染みはすでに仲間の一部のように認識さえしているのかもしれない。いつかは敵になるというのに、そのいつかはすでに来ているというのに、それでも戦場で拳を交えていようと決して心底から憎むわけでもなければ、「敵」にはなりえないのだとそいつは言うのだ。奴にとって敵とは、決して許すことのない、滅ぼすべき存在なのだ。そしてそれは世界中に、ほんの僅かしか存在しない。存在することすら許さないのだから、すべて過去形に変わるのが通りだ。
船室のドアを叩くノックはない。ひとりでも派手な気配を放っているからさしたる問題はないが、マナーが欠けているとは常々思う。ぺたぺたという足音を立てて歩く様は暢気で、とても賞金首には見えやしない。自身の転がっているベッドの端に図々しくも腰を下ろされ、スプリングが小さな悲鳴を挙げた。読みかけの医学書のページを一枚めくる。
「なぁ、ロー。俺、あとどのくらい生きれるんだ?」
紙と紙の合間から古びた麦藁帽子が揺れる。左頬の傷。モンキー・D・ルフィがそこにいる。





こうふく





ルフィがこの船に、ローが船長を名乗る「ハートの海賊団」に出入りするようになったのは数年前のことだ。生き死にの狭間にいたルフィの身柄を、医者としてローが引き受けた。すべてはそこから始まり、そして今に繋がっている。変わらない麦藁帽子が視界の隅に映っている。
「さぁな。寿命なんか知ったって面白くもねぇだろう」
「そうだけどよ。でもなぁ、準備が出来るじゃねぇか」
「誰に入れ知恵された? 麦わら屋らしくもねぇ」
「ひでぇなぁ。俺だってたまには考えるぞ? たまにだけどな」
「たまにか」
「おお、たまにだ!」
ししし、と笑う顔がめくったページの隙間に見えた。前に会ったのはいつだったか、本気で思い出そうとは考えないが、少し会わないうちに大人びたか。横顔の輪郭は丸みが削られており、目元は意外にも鋭さではなく男の色気を乗せている。ほう、とローは素直に感心した。取り巻く雰囲気は相変わらず明るく溌剌で、時に馬鹿みたいなものではあるが、その中に潜む危うさに惹かれる女も増えてきたことだろう。連想的にボア・ハンコックの姿が浮かんだが、ローはそれを唇を吊り上げることで追いやった。
「普通なら三年。運が悪けりゃ一年だ。おまえんとこの船医が手を尽くせば、五年はいけるだろうな」
「五年かぁ。案外短いな」
「自業自得だろ」
「そうだな。まぁエースより長生きしたしな! じーちゃんより先に死にそうだけどさ」
笑ってルフィはベッドに転がった。麦藁帽子の頭が遠慮なくローの腹を直撃する。ダメージがそれなりにあるし、不愉快だから退けと言えども、ルフィは笑ったまま動こうとしない。以前からそうだ。白ひげ海賊団と海軍、そして「黒ひげ」ことマーシャル・D・ティーチの三つ巴となった、あの激しい戦いから。戦いの最中、死に掛けているルフィの身柄をローが引き受けたときから、この行動は変わらない。敵船だというのに好き勝手に歩き回っては、飯を要求し、どこでも寝る。警戒心は無いのかと問うたのは一度だけで、あとは聞くのも馬鹿らしくなって止めた。それでも自分だけが生きているのだと知った、そのときの様よりかはましだから、ローはルフィの好きにさせている。
ルフィは時折ハートの海賊団を訪れては、ローの部屋へやってきて、いくつか話をしては帰っていく。内容は他愛の無いものだ。どこの島が面白かったとか、どこの食べ物が美味かったとか、子供の夏休みの出来事のような話をしては、これまた好き勝手に去っていく。心の拠り所にされているのだと気づいたのは、割合と初期の話だ。確かにローは、ルフィが絶望に落ちた瞬間を、その後の慟哭をすべて見ている。だからこそ遠慮も容赦もしなくていいとルフィなりに判じたのだろう。ローの前でルフィは、いつだってルフィだった。麦わらの一味の船長ではなく、億のかかった賞金首でもない。言うなればただの、「モンキー・D・ルフィ」だった。
「はー・・・俺、あと五年で死ぬのか。あっという間だったなぁ」
腹の上で喋られると、その分だけくすぐったさに似た振動がローにも伝わる。医学書を読むのにも飽きてきていたが、ローは変わらずに次のページをめくった。
「持った方だろ。ギアにエンポリオ・治癒ホルモン、テンションホルモン。赤犬にやられた内臓が機能してるのだって俺の腕があったからだ。そのくせ、まだ戦いやがる」
「だってよ、冒険に戦いはつきもんだろ?」
「おまえは加減を知らない」
「知らなくていいよ。知ったら楽しめねぇ」
「クルーが泣いてもか?」
「泣いてもだ。それにあいつらは泣くだけじゃねぇ。絶対に笑うぞ」
ししし、と笑ってルフィはローの手から医学書を奪った。伸ばした腕で遠くのソファーにそっと置くのは、かつて床に放り投げてローに説教されたのを覚えているからだろう。ルフィは物覚えは悪いが、人の価値観の上位に来るものを無碍にするようなことはしない。ローにとって医学書は大切な使うべき品であり、ルフィもそれを理解している。諦めて腹の上の頭をみやれば、案の定歯を見せて笑っている顔があった。
「なぁ俺、エースよりでかくなったか?」
「知るか。不死鳥屋に聞け」
「エースはなぁ、すげぇんだぞ。むきむきだったしよ、手なんかすげぇでかいんだ! 指もごつごつしてて、足も長くてよー。エースは髪がくるくるしてんのを気にしてたみてぇだけど、別にそれくらいいいじゃねぇか。なぁ?」
「ユースタス屋の逆毛よりはましだろうな」
「ちっちぇえ頃から一緒に修行してたんだ。俺はゴムゴムの実を食ってんのに、エースには全然勝てなくて、いっつもやられてばっかだった。喧嘩すれば負けるしよ。それでもエースは嬉しそうに笑うんだよなぁ。『兄ちゃんの勝ちだな!』って言って」
「傍迷惑な兄弟だな」
「飯もエースが作ると何でか美味かったんだよなぁ。下手なんだけど、でも美味いんだ。勉強はしなかったけど、本は読んでもらったぞ? 途中で俺もエースも寝ちゃうから全然意味なかったけどな! 洗濯も干して、何でかシーツが泥だらけになったりして、じいちゃんにすげぇ怒られた」
「少しでも知識を詰め込んでおけばよかったものを」
「エースの方が三年早く海に出た。でもちっとも寂しくなかった。海のどっかにエースがいたしよ。傍にいなくても、エースはずっと俺の傍にいたから」
「そうか」
「そうだ。エースはずっと、俺の傍にいるから」
上半身を起こして、ルフィがローを見下ろす。ランプを背負って少し影になったけれども、精悍に育ったその顔が満面の笑みを浮かべているのが容易く分かった。低さを備えても声はなお、突き抜けて透き通る子供のそれだ。ルフィは笑う。いつだって、そう、いつまでだって。
「なぁ、知ってるか? 死んだ奴の話を笑いながら出来るのって、そいつと出会えて幸せだからなんだぞ?」
「・・・・・・嘲笑って知ってるか? 麦わら屋」
「知らねぇ。だから俺の仲間は、俺が死んでも泣くだけじゃなくて笑うんだ! ししし、それってすげぇ嬉しいよな!」
だからロー、おまえも笑え! そう言われて、ローはすげなく「俺に命令するな」と返したが、手を伸ばして麦藁帽子の頭を引き寄せる。胸の上に落ちてきたそれは未だ笑っていて、鼓動はちゃんと刻まれている。新時代の証のようなルフィの、いつか死にゆく日が来るのなら。それはきっとひとつの時代が終わるときであり、海から輝きが消える瞬間でもあるのだろう。想像は決して愉快ではないが、遺体を前にしても笑えるだろうとローは思った。悪友に花を手向けてやるのも悪くはない。もぞもぞと胸の上でルフィが動き、丸い目がローを見上げてきた。
「そういや俺、『ひとつなぎの大秘宝』を見つけたぞ?」
「・・・・・・やっぱり今死んでおくか? 麦わら屋」
「わりぃな! 俺が海賊王だ!」
あっけらかんと笑う様に、ローは柄にもなく脱力した。あと五年。笑って見送ってやろうと、そう思う。最後に背中でも蹴りつけてやろう。きっとその瞬間、海は愛に満ちている。





エース、エース。大好きだぞ、兄ちゃん!
2010年3月20日