「偉大なる航路」の後半、「新世界」と讃えられる海でしか作れない紙がある。ビブルカードという名のそれは、別名「命の紙」とも呼ばれ、個人の爪の欠片を混ぜて作れば、その人のいる方向と現在の生命力を示してくれるという代物だ。魔法のように鮮やかで、けれど確かなその紙は、一歩先さえ予測できない「偉大なる航路」において非常に重宝されていた。同じ船に乗る者は、いつどんなことがあってもまた再会出来るように、それぞれのビブルカードを交換し合う。それはもはや「新世界」の常識でもあった。





愛の馬鹿野郎





「あー・・・だからなぁ、つまり、その・・・」
麦わらの一味の唯一にして最強の旗艦、サウザンドサニー号の甲板で頭を掻いているのは、本来ならばこの船のクルーではない人物だ。ポートガス・D・エース。「四皇」のひとりとして数えられる海賊、白ひげことエドワード・ニューゲートの覚えめでたく、かの海賊団で二番隊の隊長を務めている若く優秀な男である。そんな彼が今、愛用のテンガロンハットをがしがしと掻き毟り、何かを訴えようと口を開いては閉じるを繰り返していた。相手は麦わらの一味の船長であり、エースにとっては弟であるモンキー・D・ルフィ。船首のサニーの上で首を傾げている様子はまだ幼く、逞しい兄との相似は余り見られない。エースの背中でじりじりと太陽を浴びている白ひげの刺青を眺め、ロビンがくすりと小さく笑う。サンジが煙草をくわえる唇を吊り上げながら、ドリンクを配る。
「何だ? どうしたんだ、エース」
「あー・・・久し振りだな、ルフィ」
「おお、久し振りだな! エースが海軍に処刑されそうになって以来か?」
「そんなことは思い出さなくていいんだよ」
まったく、という窘めに、ルフィが「ししし」と歯を見せて笑う。そうしてやっと表情を緩めたエースは、常と変わらず突如としてサニー号を訪れていた。黒ひげの捜索は今もなお続けているらしいが、それも白ひげ海賊団全員で行っており、もはやエースの単独行動は許されないらしい。確かに海賊王の息子をひとりにさせれば、それは海軍の良い鴨だ。だからか今日の彼は仲間のマルコを連れている。隊長ふたりなんて豪華ですねぇ、とブルックがヴァイオリンの弦を調節する。
「弟君、その節は世話になったよい。親父もよろしく言ってたねい」
「白ひげのおっさん、怪我はもう平気なのか?」
「あぁ、平気だよい」
「そっか。おっさんにもよろしくな。まぁ海賊王になるのは俺だけどな!」
「伝えておくよい」
ひらひらと手を振って応え、マルコは会話を終わらせる。その間、どことなく憮然とした表情を浮かべていたエースの横を素知らぬ顔で通り抜け、フランキーの隣に腰掛ける。そうして後は観客に徹するつもりらしく、肩を竦められてエースは思わず口の端を引き攣らせた。くあ、とゾロが大口を開いて欠伸する。
「んで? どうしたんだよ、エース。何かあったのか?」
「いや、何もねぇよ。マルコの言った通り親父の怪我も治ったしな」
「ふーん、良かったじゃねぇか」
「あぁ。・・・それで、な、ルフィ。俺の用事なんだが」
がしがし、とテンガロンハットが揺れる。麦藁帽子が、きょとんと傾く。
「・・・おまえ、ここに、『新世界』に入っただろう?」
「おお、魚人島を通ったからな」
「俺がアラバスタでおまえにやった紙、覚えてるか?」
「ビブルカードだろ? 今でもちゃんと持ってるぞ」
「そうか。ちなみにどこに持ってんだ?」
「シャンクスの帽子に縫い付けてあんだ。大事なもんは一緒にしとけば失くさねぇから」
「よしよし、おまえも賢くなってんだなぁ。兄ちゃん、ちょっと感心したぞ」
「馬鹿にしてんな、エース!」
「してねぇって」
船首から伸びてきた拳を、エースは笑って受け止める。しかし話の筋がずれてしまったことが自分でも分かったのだろう。表情を真面目なものに戻し、一回り小さな弟の手を包み込む。エース? と窺ってくるルフィに、今度こそ言葉を口にした。
「なぁ、ルフィ。おまえもビブルカードを作ったんだろう?」
「あぁ。みんなで交換したぞ。ゾロがすぐに迷子になっちまうからな」
「それを一枚・・・兄ちゃんにも、くれねぇか? 前にやった俺のと交換ってことで、駄目か?」
本題はつまりこれだったのだろう。そこに至るまでにいろいろと横道に逸れたが、それくらいはチョッパーにも分かった。エースはどこか表情を強張らせており、緊張を帯びていることを周囲にまで感じさせる。その理由も何となくウソップには見当がつく。兄の矜持だとか、断られたらどうしようという不安だとか、他にも種々様々な心境が入り乱れているのだろう。けれどそれも、いいぞ、とルフィがあっさりと了承することで報われた。しかし船長から視線を向けられたナミは眉を顰める。
「ねぇルフィ、あんたのビブルカードってかなり少なくなってなかった?」
「そうか?」
「そうよ。だってあんた、欲しいって言ってくる人全員にあげてるじゃない。しかも敵味方関係なく」
「そっか。そういやあげた気もすんなぁ」
「ちなみに誰にやったか聞いちゃ駄目かよい?」
興味本位と今後の参考までにマルコが口を出せば、ルフィとナミが揃って彼を見た後に思い出すように視線を彷徨わせる。他の麦わらクルーもそれぞれに思考をめぐらせた。「新世界」に突入してからの短い期間で、接触してきた面子を振り返る。
「んん、確かハンコックにやったぞ」
「ビビから欲しいって手紙が来たから、アラバスタに送ったわよね」
「それならドラムにも送ったぞ! 俺、ドクトリーヌにも送ったんだ!」
「だったらアイスバーグの野郎にもやったな、子分共にも」
「ハチさんやレイリーさん、シャッキーさんにも渡しましたねぇ!」
「クマと鷹の目が持っていったな」
「オカマ王にも渡したって言ってなかったかしら?」
「同期のクソ野郎共にくれてやってただろ。それと麗しきジュエリー・ボニーさんにも!」
「故郷の村にも送ってるし、数えたらきりがないんじゃねぇか?」
「でもって、そのほとんど全員からビブルカードを貰ってるものね。そのうちコレクションが出来上がるわよ?」
「ししし、それも面白そうだ!」
ルフィはそれこそ明るく笑うが、自分より先に貰った人間がそんなにいるのかと、エースはどんよりと落ち込んでいった。クルーたちは兄の心持ちを理解した上で名を連ねた節があるけれど、弟は完全に無意識だから性質が悪い。俺ってすげえなぁ、と語る顔は綻んでおり、それがより一層エースを失意に突き落としていく。悪魔の実の能力とは真逆の影を背負い始めた背中を呆れた眼差しで眺めつつ、マルコはポケットから取り出したビブルカードを隣のフランキーへと差し出した。中に記された白ひげの名前に一度目を瞠った後、フランキーはにやりと笑う。無言でマルコは自分の分のビブルカードもその上に重ねた。あぁでも、とルフィの声が甲板に響く。
「心配しなくていいぞ、エース! そういや俺、エースにやる分は最初から取って置いたんだ」
「何っ・・・そりゃ本当か、ルフィ!?」
「おお! だってエースは俺の兄ちゃんだからな。やろうって最初から決めてたんだ」
「よし! それでこそ俺の弟だ!」
捕らえていた拳を引っ張って、飛んできたゴムの身体を抱き締め、エースはぐりぐりと弟の頭を撫で付ける。くすぐってぇよ、とルフィも笑うが、揃ってじゃれている様は仲の良い兄弟以外の何物にも見えない。内実は血の繋がらない義兄弟であったり、双方共に世界的大犯罪者の息子だったりするのだけれど、見ている限りはほのぼのとした光景が広がっている。可愛いわね、と女性陣が微笑んだ。
「ちょっと待ってろ、エース。探してくるから」
「おいおいおいおい、ちょっと待ってルフィ! おまえ、まさか男部屋にビブルカード置いてたのか!?」
「ん? 何か問題あんのか?」
「・・・悪い。俺、あそこに落ちてる紙、絵を描くときに使ってる」
「・・・俺も栄養配分を考えるときに拾って使うな」
「・・・俺も、薬を調合するときの敷き紙に使うぞ」
「・・・俺も設計図を引くときに使うな」
「・・・落ちてりゃ何でも使うだろ」
男性陣が、それぞれ申し訳ないといった形で眉を下げたのは、エースの喜んでいた顔が徐々に情けなく歪んできたからだ。ルフィはクルーたちの申告を腕を組んで聞いていたが、じゃあ仕方ねぇな、とこれまたしごくあっさりと、兄の心を知らずに頷いた。
「エース、わりぃ。やっぱりねぇかも」
「っ・・・ねぇかも、で済まして堪るか! 探すぞ! オラ、てめぇらも手伝いやがれ!」
「何怒ってんだよ。別にいいじゃねぇか、紙切れの一枚や二枚」
「馬鹿野郎・・・! 前言撤回だ! まったく、おまえは何年経っても手のかかる弟だな!」
ルフィの首根っこを引っ掴み、エースは船内へと駆け込んでいく。おそらく男部屋を目指しているのだろう。荒い足音が進んでは戻ってきたりを繰り返して遠ざかり、その一端を担ってしまったウソップたちはだらだらと立ち上がり後を追う。ナミとロビンはアイスティーを傾けながら「本当になかったら、今すぐ作りに行くって言い出しそうね」などと楽しんでおり、マルコは弟馬鹿な仲間を思って再度溜息を吐き出した。
あった、という喜びに満ちたエースの叫びが響き渡るのは、それから一時間経った後のこと。





エースにお誕生日祝い&お年玉!
2010年1月1日