【「そして女神が生まれた」を読むにあたって】

この話は、「ONE PIECE」コミックス56巻以降のネタバレを含みます。
白ひげ海賊団VS海軍の戦闘直後の時間軸で勝手な捏造を含みますので、そういったものが嫌な方は決してご覧にならないで下さい。何でも大丈夫という方のみお付き合いいただければ幸いです。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでも駄目だと思われた方は今すぐお戻り下さいませ。むしろレッツリターン!



▼ 大丈夫です、読みます ▼


































王下七武海が瓦解した。対白ひげ海賊団との戦闘の最中に、まず「海侠のジンベエ」が王下七武海を抜けると宣言し、海軍及び世界政府の敵に回った。白ひげと戦うことを拒否し、大監獄インペルダウンに繋がれても尚断り続けていたことから、その顛末は少しは予想できていた。しかし、次の「暴君バーソロミュー・くま」の離反は、一体誰が想像できただろう。最も世界政府に従順と言われ、如何な指令であろうと忠実にこなしてきたくまが、戦場にて敵であるはずのモンキー・D・ルフィを庇ったのだ。海軍大将赤犬の攻撃からルフィを庇い、その巨体に攻撃を受けた。服の下の改造された身体を露呈しながらも度重なる攻撃からルフィを守り、そして告げられた「同胞の息子を死なせはしない」という言葉は戦場を驚愕にひっくり返した。バーソロミュー・くまは、革命家ドラゴンと通じていた。それは明らかな背反行為であり、海軍の砲口は容赦なくくまへも向けられた。瞬く間に王下七武海七人のうち二人が、政府の敵へと転じたのだ。
もういいだろう。続いて刀を下ろしたのは、「鷹の目のミホーク」だった。奉仕の義務は果たした。これ以上政府に従う必要性はあるまい。そう言って刀を鞘に納め、ひとり戦闘の真っ只中から身を引くことを宣言した。海軍にも白ひげ海賊団にも興味を示さず、ただミホークはルフィに「新世界で待っている」とだけ告げて、一人乗りの小船で至極あっさりとマリンフォードを離れていった。次々と失われていく、少なくとも敵ではなかったはずの大戦力に海軍が動揺する中、ドンキホーテ・ドフラミンゴは肩を震わせていたかと思うと「フッフッフッフッフッフッ!」と高らかに笑い声を上げ始めた。腹を抱えて爆笑する様は愉快に耐えないといった様子で、ピンク色の羽根の上着が小刻みに揺れる。まさかおまえもか、と周囲から向けられた銃口に唇の両端を吊り上げて、「なるほど、確かにこりゃあ潮時だ」と嘲笑ったかと思うと、その得体の知れない能力がやはり白ひげ海賊団ではなく海軍へと向けられた。「勝者だけがが正義。それなら正義すら奪うまでだ。俺は海賊だからなぁ!」という声は轟きとなって王下七武海が海賊だということを改めて知らしめ、ドフラミンゴはふわりと重力を無視して宙を舞ったかと思うと、エースの縛られていた処刑台を爆破した。崩れゆく瓦礫と落ちていくセンゴクやガープ、そしてエースを高笑い、その姿は一瞬にして消える。そこから先はもう、戦場は混乱の局地に陥った。
どうすればいい。どうすればいいのだろう。ハンコックの思考をそればかりがせめぎゆく。王下七武海のうち、すでに四人が離反した。残ったのは己を含めて、「黒ひげのティーチ」とゲッコー・モリアの三人だ。半分以上が抜けた王下七武海は、もう機能しないと言ってもいいだろう。現に残っているはずのティーチの姿すら、ハンコックの立つ場所からは見えない。思えば、あの男も何らかの意図を持って王下七武海に属していたようだった。背反の可能性は低くない。ならば自分はどうしたらいい。混乱に戦場に立ち尽くす。
世界政府は嫌い。海軍は嫌い。男は嫌い。外界は嫌い。すべてが怖い。思い描いただけで四肢が震える。だけど、背を向けることすら恐ろしくて仕方がない。動けない。ハンコックの身体を、過去という名の茨が締め付ける。世界政府は嫌い。天竜人は憎い。すべての仇と分かっているのに、それでも怖くて動けない。握り締めた拳に浮かぶのは冷や汗だ。鼓動が速い。怖い。怖い。怖くて堪らない。それでも逃げられない。逃げてしまいたいのに、恐怖を埋め込まれた身体は足を踏み出すことすらハンコックに許してくれないのだ。屈辱と苦しみが胸のうちをせり上がり、じわりとハンコックの視界を滲ます。唇を噛み締めないと泣いてしまいそうだった。背中の刻印が痛くて痛くて堪らなくて、堪え切れず己自身を抱き締める。助けて。誰か、わらわを。
「助けて・・・っ!」
本当に小さな、それこそ擦れ声でしか囁けない本心に気づいてくれる者など誰もいない。この恐怖を打ち払ってくれる者など、決して。絶望が天を埋め尽くそうとした、そのとき。
「来い、ハンコック!」
遠く、海岸。エースを奪還し撤退しようとしている白ひげの船の上から伸ばされた手は、それこそ人の限界を超えてハンコックの元へと届いた。届けてくれた。先で麦藁帽子が小さく見える。ルフィが、いる。それだけが強い力となって、ハンコックを捉えていた重苦しい束縛の鎖を解き放つ。震えながら足が動き、ハンコックはルフィの右手へと飛びつくようにしがみ付いた。海軍の声などもう聞こえない。引き寄せてくれる腕は、ハンコックを世界政府の呪縛から優しく確かに引き剥がしたのだ。
ルフィ。遠ざかっていくマリンフォードを背に、ハンコックは歓喜に泣いた。





そして女神が生まれた





慌ただしい逃避行は、けれど割合とすぐに終わった。ホワイトベティと青雉の氷の対決は決着がつかず、被害の大きかった海軍は追っ手を出すこともままならなかったのだろう。白ひげ海賊団と、イワンコフやバギーなどインペルダウンの脱獄囚を乗せて、船は最高速度で「偉大なる航路」を疾走していく。大人数のクルーからなる白ひげ海賊団は船の数も隊に比例して多く、その中の旗艦は特に大勢の人で入り混じっていた。極限まで高められていた緊張の糸が途切れたのだろう。崩れるように意識を手放したエースが船内に運び込まれていく。黄猿に深手を与えられた白ひげの元へナースたちが駆け寄り、いくつもの点滴が繋がれ処置が始まる。
忙しなく人々が行き交う甲板で、ルフィは大の字となって寝転んでいた。血と傷に塗れた身体は息切れに上下し、それもゆっくりと治まっていく。ふう、と大きく息を吐き出したルフィに、けれど誰も近寄ることは出来ない。決して厚くはない胸板に、今は海賊女帝ボア・ハンコックが縋り付くようにして抱きついていた。嗚咽が絶え絶え漏らされており、長く艶のある黒髪が重なって甲板を流れる。スリットから零れる魅惑的な両足さえ稚く見せるほどに、彼女はルフィへと懸命にしがみ付いていた。イワンコフとジンベエが困惑したように、クロコダイルは冷静にふたりの様を見やっている。どさくさに紛れて乗船してきたバーソロミュー・くまも、ただ静かに沈黙を守っていた。
「泣くなよ、ハンコック」
「っ・・・ふ・・・」
「俺、今動けねぇんだ。起こしてくれ」
その言葉は懇願の形を取っているのに、不思議なことにルフィによって発されれば拒否しえない命令の力を帯びる。もとより彼に逆らう気のないハンコックは、少しの後にゆっくりと上半身を起こした。白皙の美貌は目元を真っ赤に染めており、愛らしさと痛々しさを同時に感じさせる。甲板に膝を崩して座り、そっとルフィの脇へと手を差し込んで抱き起こす所作は至極丁寧で、ふらつく肩を支える指先さえ万感に満ちている。
「おお、ありがとな」
「ルフィ・・・」
「何だよ、泣くなよ。俺もおまえも無事じゃねぇか。あ、インペルダウンでは本当にありがとな! すげぇ助かったぞ」
「ルフィ!」
目の前で満面の笑顔を向けられ、ぼろりと大粒の涙がハンコックの瞳から零れ落ちる。そのままに勢いよく首に手を回して抱きついたため、再びルフィの身体は甲板へと落ちることになってしまった。麦藁帽子越しにぶつけた頭を「いてぇ!」と喚くが、今度はハンコックも離れない。押し付けられる身体は確かな重みを持ってルフィを圧したが、まぁいいや、と笑ってその柔らかさを甘受する。そんなふたりの上に、イワンコフが巨大な顔を覗かせた。
「麦わらボーイ・・・それって、王下七武海の海賊女帝よねぇ?」
「おお。ハンコックだ」
「ヴァナタ、知り合いだったの?」
「ハンコックは俺がインペルダウンに行くのを手助けしてくれたんだ。船も飯も用意してくれたし、すげぇ世話になった」
「ヒーハー! 世界は狭ッキャブルね! まさかヴァナタが海賊女帝とも関わりがあったなんて!」
「そっか? あ、イワちゃんとくまに頼みがあるんだ。ハンコックを革命軍に入れてやってくれねぇか?」
「ええ分かったわ、革命軍に・・・・・・って、ええええええ!?」
イワンコフの野太い悲鳴が響き渡り、クロコダイルが忌々しげに眉間に皺を寄せる。ジンベエもぱちりと目を瞬き、くまでさえも驚いた気配に揺れた。それはルフィに抱きついていたハンコックも同じことで、張本人であるからこそ僅かに身を浮かせてすぐそばの顔を覗き込む。両腕を甲板に広げたまま、明るい声でルフィは言う。
「俺が連れてきちまったから、もう王下七武海には戻れねぇし。それなら革命軍に入るしかねぇだろ?」
「ちょっと麦わらボーイ! そう簡単に言うんじゃナッキャブル! 革命家になんてそうそうなれナッキャブルなものなのよ!?」
「そうなのか? でもハンコックはこれから海軍に追われることになるんだしよ。少しでも仲間が多い方がいいじゃねぇか」
それともおまえ、今から王下七武海に戻るか? 問われて、ハンコックは強く首を横に振った。もはやあそこに戻りたいなどとは思わない。好きでいた場所ではないのだ。嫌じゃ、と訴えれば、おう、とルフィは請け負ってくれる。容易く受け止めてくれる存在の大きさに、ハンコックの心がふわりと羽のように軽くなる。
「んー・・・でも、ねぇ・・・?」
イワンコフが困ったように、同胞であるくまを見る。
「くまだって王下七武海だけど革命軍じゃねぇか。ハンコックだって、好きで王下七武海をやってたわけじゃねぇ。世界政府が嫌いでも、王下七武海じゃなきゃ国も自分も守れなかったんだ。仕方ねぇだろ?」
「そうなの? 海賊女帝」
「・・・ルフィの言う通りじゃ。わらわは、世界政府が憎い。天竜人など滅んでしまえばいい・・・っ!」
「ああ、ほら、泣くなよ。イワちゃんもハンコックを泣かせんなよなぁ」
「人聞きが悪いわよ、麦わらボーイ。ヴァターシが泣かせたわけじゃナッキャブル」
一度崩壊してしまった涙腺は、ハンコックに次々と涙を流させる。けれどそれもルフィがすぐ傍にいてくれるからこそだと、ハンコックには分かっていた。彼の腕の中でだけ素直になれる、そんな自分を一秒ごとに感じている。変化は驚きだけれど心地よくて、決して嫌悪すべきものではない。
「俺は仲間たちを探して、また冒険に出なきゃなんねぇ。イワちゃん、革命軍は世界中の情報を把握してるんだろ? だったらハンコックが革命軍に入れば、すぐに俺とも連絡が取れるようになるよな?」
「簡単に言ってくれるじゃない、麦わらボーイ。まぁ、ドラゴンに紹介するくらいならいいでしょ。他ならぬヴァナタの頼みだもの」
「ありがとな、イワちゃん! ハンコック、何かあったらすぐ呼べよ? 今度は俺がおまえの力になるから」
「ルフィ・・・」
もう十分な力になっている。もう、十分すぎるほどの力をくれた。それでも尚、彼はハンコックを癒し、抱き締めてくれると言うのだ。力強い腕に身も心も包まれた気がして、ハンコックは一度、二度、噛み締めるように頷いた。そっとルフィから離れて、スリットを払い立ち上がる。今更ながらに生まれて初めて大地に足を就けたような心持ちで甲板に立ち、イワンコフとくまに向き直り、自然と深く頭を下げた。
「礼を言う。・・・・・・世話に、なる」
高慢と噂の海賊女帝に頭を下げられるとは思っていなかったのか、イワンコフは睫毛の長い目を瞬いた後に「んふふ、感謝は麦わらボーイにするのね」と笑った。くまも無言で頷き、手の中の聖書を持ち直す。場を見守っていたジンベエも、同じ王下七武海だったハンコックの身の振り様が悪くならなかったことに安堵したのだろう。良かった良かった、と目元を綻ばせており、クロコダイルは興味なさそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
「話が済んだなら、ちょっとよいかい? エースの弟君の治療を始めたいんだけどよい」
「わらわが運ぶ。船室で良いのじゃな?」
「ああ、こっちだい」
クルーやナースたちに指示を出していた白ひげ海賊団一番隊の隊長、マルコがやってきて声をかけると、ハンコックがすぐに応じる。まだ身体を動かすことの出来ないルフィの隣に膝をつき、肩を貸すようにして腕を取る。
「どう、クロコボーイ? ヴァナタもいっそ革命軍に加わってみる?」
「はっ! てめぇの部下なんざ死んでも願い下げだ」
船室へと向かう背後ではそんな会話がなされていたけれども、ハンコックにとっては隣にあるルフィの存在がすべてだった。これから先は、きっと大変なことになるだろう。安穏に浸っていたアマゾン・リリーの生活も一変するかもしれない。世界政府に追われ、王下七武海の称号は革命家というレッテルに代わり、戦いに明け暮れる日々が訪れるかもしれない。だとしてもきっとそれは、偽りの今までより格段に自由なものに違いないのだ。心を押し殺さなくてもいいのだと、そう、ルフィが教えてくれた。心の内をすべて理解してくれる、汲み取ってくれる、そんな存在がいることの素晴らしさを教えてくれた。恋と愛と歓喜と感謝に、ハンコックのすべてが満ち満ちている。
「―――ルフィ」
「んあ?」
隣を歩くルフィは、足すらまともに動かせていない。ほとんど抱きかかえるようにして運んでいる彼に、ハンコックは誓った。心からの幸せを笑顔に変えて。
「わらわは、そなたのためなら何でもしよう。そなたの望みは何でも叶える。わらわは、ルフィ、そなたのものじゃ」
「ししし! じゃあ、ずっと笑ってろよ。俺、ハンコックの笑ってる顔、綺麗だから好きだぞ?」
「・・・そうか。わらわも、ルフィの前でならずっと笑っていられる気がする」
大好きだ。そう感じながら、込み上げてくる温かな想いをそのままにハンコックは微笑んだ。ルフィと出会い、恋をすることが出来た奇跡に心から感謝する。腹減ったなぁ。嘆く姿すら愛しくて敵わない。悲しみではなく幸せでも泣けるのだということを、ハンコックはその日、生まれて初めて知った。





そなたが望むのなら、わらわはいくらだって女神になろう。
2009年9月27日