見上げる空は青く、船首のサニー越しに眺める海もいつだって青い。甲板で大の字になって寝ているルフィの隣で、ゾロは愛刀の手入れをしていた。日差しはとても穏やかで、『偉大なる航路』の最中だとは思えない。戦闘の気配どころか海王類の出現する予兆もなく、船はただ順調に航路を進んでいく。戦いは人生の一部だが、こんな時間だって悪くない。二本目の刀を鞘に納め、ゾロは三本目の刀を手に取った。
「ねぇ。あんたたちってどこで出会ったの?」
「あぁ?」
背後からかけられた声に首だけをめぐらせれば、いつの間にか甲板にはクルー全員が揃っていた。すぐ近くにいるのはチョッパーで、ウソップとフランキーは工具やら何やら店を広げている。ブルックはバイオリンを奏でているし、パラソルの日影にいるのはナミとロビンだ。サンジはトレイを片手に飲み物を配っていて、レモンの添えられたアイスティーは常と同じく女性陣に最初に配られる。ストローに口をつけているナミの視線はまっすぐにゾロとルフィへ注がれていて、つられるように他の面々もこちらを向いた。質問を把握しかねたゾロに焦れたのか、ナミは再度問うてくる。
「だから、あんたとルフィよ。一体、いつ、どこで、どうやって出会ったの?」
「別にどうでもいいだろ、そんなこと」
「どうでもいいけど、知りたいじゃない。あんたがクルーの中じゃ一番の古株でしょ?」
「あー・・・」
「おや、そうなんですか! 私がスリラーバークで加えさせていただいたときには、もう皆さんいらっしゃいましたものねぇ」
どう話を逸らそうかと試みていると、ブルックがしみじみと言葉尻に被せてくる。いやぁ懐かしい、と決して遠くはないくせに充実している過去を振り、次はフランキーが繋いだ。
「んじゃ、その前は俺だな。ウォーターセブンに来たときにゃ、おめぇら八人揃ってただろ」
「私が合流したアラバスタでは、ちょうどネフェルタリ・ビビ王女が離脱した直後だったわ」
「王女様が乗ってたんですか! 王女様ならパンツも見せてくださいますかねぇ?」
「ふふ、さぁ? 遺跡に埋もれて死のうとしていた私を、ルフィが助けてくれたの。彼には本当に感謝しているわ」
柔らかく微笑み、ロビンは甲板に手を咲かせてルフィの髪をそっと撫でる。寝ている口がむにゃむにゃとだらしなく動き、それに笑って手は姿を消した。チョッパーが頑張って短い両腕を伸ばし主張する。
「俺! 俺が仲間になったのはドラム王国だぞ!」
「その前は俺だ。『東の海』の海上レストラン、バラティエだな。この馬鹿が砲弾を撃ち込んできやがった」
げし、と靴先でサンジはルフィを小突く。それでも目覚めない寝顔は幼く、何の夢を見ているのか笑顔で、サンジが呆れたように肩を竦めた。
「ってことは、おめぇらたった五人で『偉大なる航路』に入ったのか!?」
「仕方ねぇだろ。ルフィが行く行くってうるさかったんだ」
「ヨホホーイ! 信じられませんよ! さすがはルフィさん!」
「本当、死ぬかと思ったわよ・・・」
足を踏み入れた日の激しい嵐を思い出したのか、ナミがげんなりとテーブルに肘を着く。ウソップは自分の番だと胸を張って語りだした。
「俺がこの一味に加わったのは、いや、俺がこの一味を率い始めたのは、『東の海』のとある島だった。その島でルフィたちは俺という頼れる存在と、メリー号という素晴らしい船を手に入れ、涙ながらに感謝の言葉を」
「懐かしいわ・・・。カヤがメリー号をくれたのよね。ウソップ、あんたの恋人」
「「「「恋人ぉ!?」」」」
「んなっ!? なななななな何言ってんだよ、ナミ! カ、カヤが俺の恋人だなんて、そんなこと、そんなこと・・・っ!」
「あーあーはいはい。まったく、なんでここで得意の見栄を張らないの」
からかいに唇を吊り上げるナミに対し、弁明するウソップは耳どころか首まで真っ赤だ。一味内での初めての浮いた噂に男性陣が食いつく。特にサンジはウソップの胸倉を掴み上げ、「何でおまえに恋人なんつー素晴らしい存在がいやがんだ、あぁん!?」と凄む始末だ。隣のロビンに「本当なの?」と問われ、「ほとんどそんなもんでしょ」とナミも笑った。
「ウソップの前は、私。正式に仲間入りしたのはアーロンを倒した後だけど、出会ったのはバギーの宝を奪ったときだものね。その頃には、もうゾロはルフィと一緒にいたわ」
「じゃあ、やっぱり彼が一番の古株なのね」
「あんたもルフィも何も言わないから、あんたたちの出会いを誰も知らないじゃない。興味があるの。話しなさいよ」
「っていうか、よりによってこのふたりが航海士も料理人も医者もいないのに『偉大なる航路』を目指してたこと自体が無謀だろ」
「うるせぇよ」
再び七人の視線を浴びて、ゾロはうっとうしそうに眉を顰める。別に話したくないわけではないのだが、話すほどのものでもないというのが彼の中の認識だ。自分とルフィの出会いなど、それこそ出会うべくして出会ったようなものだし、それに先人というのならコビーが一番手になるのだろう。海軍に属するために島を目指していたとはいえ、コビーがルフィをゾロのところまで連れてきたと言っても良い。だとすればやはり、麦わら海賊団の最たる古株はコビーに他ならないとゾロは思う。
「ぐー・・・がぁー・・・んー・・・んん・・・?」
暢気ないびきがぴたりと止まり、思わずゾロを含めた全員の視線がルフィへと向かう。麦藁帽子を被ったまま甲板に寝転んでいるルフィの目がゆっくりと開かれていく。隣にいたゾロからはその様が逐一見えたけれども、背後にいる他のクルーたちからは帽子に遮られて見えないのだろう。同じようにルフィにもゾロと仰ぐ空しか見えないのか、視線はまっすぐに天へと向けられ、常の黒い瞳が空と海の青に染まっている。
「・・・腹減った」
甲板に小さな影が落ちる。見上げれば上空には鳥らしき生き物が一羽飛んでおり、割と大きなそれにルフィの意識も注がれている。
「ゾロ。食おう、あの鳥」
「あぁ? 止めとけよ。また挟まれるぞ」
「大丈夫だ。今度は失敗しねぇ」
「その必要はねぇって言ってんだよ」
思い起こせばそう昔ではないというのに、何故か懐かしく感じる記憶の二の舞を踏まないよう、目を離した隙に飛んでいかないよう、ゾロは愛刀を一本ルフィの腹の上に載せた。ゾロがどれだけ刀を大切に扱っているか知っているからこそ、ルフィも無理に動こうとはしない。ぎらぎらと鳥を捕らえている目に「馬鹿野郎」と呆れた溜息を吐き、ゾロは背後を振り向いた。
「ウソップ。あの鳥を狙い打て」
「ん? あ、あぁ、分かった」
「ナミ、鳥の落ちる方向に船を向けろ」
「了解」
立ち上がったウソップが大砲の準備に走り始める。ナミは海図を開き、ログポースを確認する。
「ロビン、フランキー、ブルック。潜水艇で沈んだ鳥を引き上げて来い」
「ええ、分かったわ」
「スーパーな俺様に任せとけ!」
「はい、全力で引き上げますよ!」
「ゾロ、ゾロ、俺は!? 俺は何をすればいい?」
「ルフィがアホな動きをしないよう重石になってろ」
「分かった!」
三人が頷き、役目を与えられたチョッパーは小さいサイズのままルフィの上に飛び乗る。「動いちゃ駄目だぞ、ルフィ!」という可愛らしい目付けに、乗られた張本人から「くすぐってぇ」と笑い声が上がった。
「後はクソコックが調理すりゃ完成だ」
「久し振りの生肉だからな。ローストにするか、ソテーにするか」
煙草をふかしながらサンジがキッチンへと消えていき、サニー号が一気に慌しくなる。それぞれが役目に走り出し、その中でもルフィとゾロだけが動かない。変わらず空の鳥だけを見上げているルフィは、「にしし」と声に出して笑った。
「俺は何もしなくていいのか」
「あぁ。てめぇは座って待ってりゃ、それでいい」
「仲間が増えてゾロは楽になったな」
「まったくだ。てめぇとふたりきりのときは、食料や進路だけじゃねぇ、海に落ちたおまえを引き摺りあげるのだって俺の役目だった」
「あれはあれで楽しかったけどな」
「そりゃおまえだけだろ」
途中になってしまっていた三本目の刀の手入れを終え、刃毀れがないことを確認してから鞘に収める。ルフィは相変わらず空ばかり見ているけれども、腹の上のチョッパーの丸い目がじっと自分の方を向いていて、ゾロは手を伸ばしてその帽子を目元まで引き下ろした。慌てる声に紛れて投げかける。
「余計な手間が減ったおかげで、俺はルフィだけを見張ってりゃ良くなった。好き放題するおまえに着いていくのが俺の役目だ」
「ししし! ゾロはクルーの鑑だな!」
「言ってろ」
どぉん、と大きな音がサニー号を揺らし、上空の鳥が高度を失って落ち始める。すげぇ、さすがウソップ。感心したように呟くルフィの声音には間違いなく誇りが込められており、ゾロも小さく笑みを浮かべた。





青の軌跡





潜水艇が沈んだ鳥を捕まえ、浮上してくる。遠目に見ていたよりも存外大きかったらしく、何日分の食料になるだろうか。きっと間違いなく、肉好きのルフィによって三日と持たずに消えるのだろうけれども。そんなことをゾロが考えていると、海面に浮かんだ鳥が突如翼をばたつかせ始めた。どうやらまだ意識があったらしい。ウソップやらナミやらの叫び声が聞こえる。
「ゾロ」
「あぁ?」
「とどめ、さして来い」
至極当然のような、反論など微塵も想定していないような、心地よい強引さに満ちている声はすとんとゾロの中に落ちてくる。刀の柄を銜えて立ち上がれば、未だ寝転んだままのルフィは挑発的な笑みを浮かべていて、ゾロは応えるべく口の端を上げた。
「了解、キャプテン」
出会いは確かに大切なものだったが、いずれ来る別れとてきっと海の中に消えゆくだろう。大切なのは今共にいる現実であり、自分が彼の背を預かり、信頼を得ているという真実だ。往生際悪く暴れる鳥に向かい、ゾロはサニー号の手摺りを蹴った。
まもなくルフィの胃袋は、満足にはち切れんばかりに膨れるだろう。つまりそれはゾロをはじめとしたクルーからの愛情であり、奉仕である。我らが戴く、唯一の船長へ。出会えた奇跡は紛れもない海からの贈り物だと、ゾロはそう思う。





ルフィが鳥に挟まれるエピソードは、原作第8話より。
2009年9月26日