天候を科学する島、ウェザリアより死ぬ気で普通の海に降り立ち、どうにかこうにか普通の島へと到達した。普通って素敵。そう呟いてしまったナミを一体誰が責められようか。胸元から取り出したビブルカードは、かさかさと動いてレイリーのいる方向を示してくれる。これを辿っていけばサニー号と、いずれは仲間たちと合流できることだろう。ようやく地に足をつけた気がして、ナミの目尻がじわりと滲んだ。慌てて乱暴に拭って港から歩き出す。大丈夫、あいつらは死んだりしない。だとしたら自分も前へ進むだけ。最初は今どこにいるのか分からない船長を見習って。
「腹ごしらえ、よ!」
賑わう町の飯屋を目指す。





ビリオン・ダラーの花嫁





名も知らない島だけれど、通りはそれなりに繁盛している。海軍もいないし、かといって海賊が根城にしているわけでもない。ほどほどに騒がしい店を数軒冷やかして、ナミは目に付いたレストランへと足を踏み入れた。バラティエほど洒落ていないし、サンジの作る料理ほどの美味しさは期待できないだろうけど、手持ちの金で満足するまで食べれそうだ。
「いらっしゃい! ひとりかい?」
「ええ、そうなの。このお店の看板メニューは何?」
「そりゃあ海王類のハンバーグだ。あっさりしててボリュームもある」
「じゃあそれお願い」
恰幅の良い店主に注文して、ナミはカウンターの席につく。昼を少し回っているからか、店内に客はまばらだ。親子連れがやはりハンバーグを食べており、ソースの香ばしい匂いがナミの胃袋を刺激する。先に出されたアイスティーで喉を潤していると、店内の壁にいくつもの手配書が貼ってあるのに気がついた。仮にも1600万ベリーの賞金首である身としてびくりと肩を震わせてしまったが、どうやらそれらは億越えのものばかりらしい。ほっと息をついて、ナミは椅子をくるりと回して所狭しと貼られている手配書を眺めた。古びているものは、白ひげや赤髪など、『偉大なる航路』でも名の知れている面々だ。賞金額はある一定の値まで上がれば頭打ちとなり、後は何か特別な事件でもしでがさない限り変わらない。その点で四皇はすでに額が定着しており、ナミも記憶と同じそれらを流していく。海賊時代の王下七武海のものがあるところを見ると、ここの店主はどうも手配書を集めるのが趣味らしい。いるのよね、こういう人って。そんなことを考えながらアイスティーを飲んでいたナミは、次の瞬間思い切り吹き出した。
「どうした、お嬢ちゃん?」
「げ、げほっ・・・! ね、ねぇ、マスター・・・これって」
「ん? ああ、手配書かい? そりゃあ三日前に出されたばかりのものさ」
「三日前!?」
思わず壁を見直せば、そこに貼られている一枚は確かに新しいものらしく擦り切れていない。印刷も鮮やかだし、糊も効いている。しかし、問題はそんなことではなかった。大きな写真の中で悪党らしくなく満面の笑みを浮かべている顔には否応なく見覚えがある。頭を飾る麦藁帽子も、背景に紛れている別の仲間の後頭部も。全部全部見慣れたものであるというのに、「DEAD OR ALIVE」の下に書いてある数字はナミの既知のものではなかった。いくつも並んでいるゼロを指で辿って数えてみる。いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん・・・。モンキー・D・ルフィ。懸賞金は。
「四億八千万ベリー!?」
何それ、と思わず叫びかけてしまった。つい一週間ほど前、シャボンディ諸島で共にいたルフィは三億ベリーの賞金首だった。それがちょっと会わない間に四億越えという恐ろしいほどのランクアップをしてしまっている。何で、と驚愕しているナミの前にサラダの器を置き、店主は明るく笑った。
「ああ、『麦わらのルフィ』だろ? ・・・・・・そういやお嬢ちゃん、『麦わらのルフィ』の仲間に似てないかい? 名前は何て言ったかな・・・確か・・・」
「え、うそうそ、別人よ別人。わたしは平凡なみかん農家の娘だもの。今回は商談のためにいろんな島を渡ってるの。おじさんもどう? 今度一箱送るから試してみてよ。それで美味しかったらお店でも使ってくれない?」
「いいぞ、美味かったらな。それで、ええと、何だったか? 『麦わらのルフィ』か?」
「ええ。・・・・・・わたしの知ってる額と随分違うから、驚いちゃって。四億なんて普通じゃないわよ」
「そりゃそうさ! なんたって奴は、あの世界貴族をぶん殴ったんだからなぁ!」
がっはっは、と店主はさも楽しそうに笑い出すが、ナミは「やっぱり」と肩を落としてしまった。シャボンディ諸島で世界貴族こと天竜人を殴り、海軍大将を招きよせて大火を引き起こしたのは確かにルフィだ。その暴行の理由を知っているからこそ非難するつもりはないけれど、それでも世間は着実にルフィの罪状を増やしたらしい。しかし一気に一億8000万ベリーもアップということは、おそらくその内に王下七武海のゲッコー・モリアを倒したことも含まれているのだろう。それにしたってとんでもない。これは拙すぎる、とナミは危機感を持ってフォークを握った。サラダのトマトがみずみずしくて、ドレッシングも酸味が利いている。
「億越えしてるルーキーは11人いるが、お嬢さんは知ってるかい?」
「え、ええ。『海賊狩りのゾロ』もそのひとりよね?」
「おお、渋いところを知ってるな。そうさ、ロロノアの手配書もそこに貼ってあるだろう? 隣が『赤旗のドレーク』と『魔術師ホーキンス』だ。超新星の中じゃ蛮行で知れてるのが『キャプテン・キッド』、残虐で有名なのが『死の外科医トラファルガー』だが、イカれ具合じゃ間違いなく『麦わらのルフィ』がダントツだ!」
「そりゃそうでしょうね・・・。世界貴族を殴るなんて、正気の沙汰じゃないわ」
「噂じゃ王下七武海のうち、ふたりを倒したってものもある。どこまで本当かは俺たちみたいな市民にゃ分からんけどな、でも『麦わら』は民間人には手を出さねぇ。海賊らしくはないが、聞く限り気持ちのいい奴さ」
「そう、ね」
気に入っているのだろう。店主の好意的な物言いに、ナミはじんわりと自分のことのように嬉しく思いながらサラダを食べ切る。美味しいわ、と感想を述べれば、店主はにやりと歯を見せて笑った。今度はルフィも連れてきてあげよう。店主はきっと驚くだろうが喜ぶに違いない。へいお待ち、とカウンター越しに出された海王類のハンバーグは鉄板の上でじゅうじゅうと熱い湯気を立てており、ドミグラスとホワイトの二色のソースが鼻をくすぐる。いただきます、とフォークとナイフを両手に構えたナミの前に、店主がひらりと紙を出してきた。
「そんなお嬢ちゃんに朗報を教えてやろう。今朝出たばかりの手配書だ。見ろ、この額!」
「っ・・・!?」
「久し振りの五億越えだ! ルーキーでこの額は快挙としか言いようがないぞ。こりゃもう、『麦わらのルフィ』が四皇に並ぶのも時間の問題だな」
口の中のハンバーグを吐き出さなかったのは、ひとえに驚きすぎたのと美味しかったからに過ぎない。壁に貼ってあるものよりも新品の手配書では、相変わらず我らがキャプテンが子供のように笑っている。賞金額は、五億五千万ベリー。ナミでさえ滅多に目にすることのない額だ。それこそ白ひげや赤髪に近く、海賊王に肉薄していると囁かれるに相応しい。天竜人を殴る以外に、あの馬鹿は一体何をやらかしたのだ。まったくちょっと目を離した隙に。ナミは怒りにフォークを握り締めた。
「新たな罪状は『大監獄インペルダウンへの侵入』ってあるな。これはもしかしなくても史上初じゃないのか? 脱走は過去に金獅子が行っているが、自らあそこに入ろうとする海賊なんかいないだろう。しかも数多くの虜囚を解放して逃亡。すごいぞ、こりゃあ!」
「そうね、本当、物凄い馬鹿よね」
「ん? 何か言ったか、お嬢ちゃん」
「いいえ、何でも。このハンバーグ、美味しいわ」
むしゃむしゃむしゃむしゃと咀嚼するけれども、ナミの目は笑っていない。大監獄インペルダウンへの侵入と脱走。この世の地獄と言われている場所に何故と思うが、理由は先ほど本屋の店頭で見た新聞の一面から想像がついた。ルフィはおそらく、兄であるエースを助けに行ったのだろう。黒ひげとの対決に破れ、エースは海軍に捕らわれている。処刑日も決まっているらしく、それを知ったルフィが動かないわけがない。兄の冒険の邪魔はしないと言っていたが、処刑となれば話は別だ。すぐさま駆けつける様子は想像に容易いけれど、それがまさか深海の大監獄でも乗り込んでいくとは。止めても聞かない船長だけれど、久し振りの暴走だとナミは思う。
あぁまったく、あぁまったく、あぁまったく! やっぱりルフィには自分たちがいないといけないのだ! あんな自分勝手に突っ走っていく存在に着いていけるクルーなど、自分たちをおいて他にない! 早く合流して、あの麦藁帽子の頭に拳骨を落として説教をしてやらなくちゃ。そしてよくやったと褒めてやって、またみんなで新しい冒険に出発しよう。魚人島だって新世界だって、あいつらとなら絶対楽しい。どんなピンチだろうと、どんな絶望的な状況だろうと、あいつらとならいくらだって越えていける。どこまでだって行けるのだ!
フォークとナイフを握り締め、ナミは決意新たに勢いよくハンバーグを平らげ始めた。これを食べたら出発だ。アイスティーで飲み込みながら食べ続けていれば、カランカランと入口のカウベルを鳴らして新聞屋が駆け込んできた。手に持っているのは今日の分の夕刊だろう。付け合せのにんじんを咀嚼しながら、ナミはその様子を横目で見やる。
「おやっさん、今日の分の持ってきたぜ! また新たな手配書が出たぞ!」
「おお! 今度は誰だ!?」
「なんと、これまた『麦わらのルフィ』! ポートガス・D・エースの処刑に乱入して、海軍大将のひとりを討ち取ったってよ! 懸賞金もすげぇぞ! 六億一千万ベリー!」
「―――ごちそうさまっ! マスター、御代ここに置いておくから!」
「あ、おい、お嬢ちゃん! まだデザートが残ってるぞ?」
「ごめん、それ取っておいて! 今度は仲間と一緒に来るから!」
財布から掴んだ小銭を丸ごと置いて、ナミはレストランを駆け出した。先ほどのんびり歩いてきた通りを、人混みに紛れてダッシュする。目指すは港だ。ビブルカードが示す先、サニー号を目指して追いかけなくちゃ。あぁもうまったく、とナミは悪態を吐かずにはいられない。ばら撒かれている偉業に近い手配書の中、ありえない額を従えて笑う顔が憎らしい。
「あたしたちのいないとこで冒険してんじゃないわよっ! 馬鹿船長!」
本当はもう少しいろんな島に寄り道してみたかったけれど、それも却下だ。シャボンディ諸島に一番早く乗り込んでやる。決意を固めてナミは走った。愛すべき馬鹿で手のかかる船長と、大好きな仲間たちの待つ場所へ。





ビリオン・ダラーはミリオン・ダラーより。ミリオン・ダラーは直訳すれば百万ドル。「Look like a million dollar」という慣用句にすると、「まったくもって魅力的」という意味。
2009年9月18日