【「太陽を愛している」を読むにあたって】

この話は、「ONE PIECE」コミックス56巻以降のネタバレを含みます。
白ひげ海賊団VS海軍の戦闘直後の時間軸で勝手な捏造を含みますので、そういったものが嫌な方は決してご覧にならないで下さい。何でも大丈夫という方のみお付き合いいただければ幸いです。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでも駄目だと思われた方は今すぐお戻り下さいませ。むしろレッツリターン!



▼ 大丈夫です、読みます ▼


































エースを取り戻し、海軍から逃げおおせた白ひげ海賊団の船上に、祝杯を挙げる間もなく絶叫が響き渡った。一瞬前までは誇らしげに麦藁帽子を揺らし、再会を喜ぶために兄を振り向いたルフィの顔が壮絶に歪み、その身体が床の上をのた打ち回る。
「おいっ、ルフィ!?」
エースが慌てて駆け寄り肩を握れば、恐ろしいほどの熱さを手のひらに感じる。まるで塞き止められていた何かが一気に噴出したかのように、痛苦となってルフィを支配している。目は白目を剥き、歯はきつく食い縛られ、手足は辺りを掻き毟る。弟の有様にエースはどうすればいいのか分からない。戦いで負った数多くの傷口から、また新たな血が流れ始めている。親父、ナースを。そう懇願に口を開こうとしたときだった。
「来たわね、エンポリオ・ホルモンテンションの後遺症が・・・。ボンボーイ、ヴァナータももうすぐ来るから覚悟してなさい」
低いくせにどこか高い、摩訶不思議な声が聞こえてくる。仰げば、そこにいたのはエースの見たことのない人物だった。睫毛が長く、妙な化粧をしていて、顔だけでなく上背も高い。女のような服を着ているが見事な筋肉を持つ大男は、ルフィが戦場に連れてきた相手だ。ぎ、とエースは男を睨みつける。
「てめぇが何かしやがったのか・・・!?」
「ヒーハー! 酷い言い方するじゃない、エースボーイ。ヴァターシは麦わらボーイに力を貸してあげただけ」
エンポリオ・イワンコフと名乗るその大男の他にも、白ひげ海賊団のクルーではない多くの輩が船には乗り込んでいた。誰もが海軍と戦ったからこそ、白ひげも黙って乗船を許しているのだろう。甲板にはエースの知らない人物が大勢いる。イナズマやボン・クレー、クロコダイル他。知己のジンベエを含み、すべてルフィが大監獄インペルダウンから連れ出してきた輩だ。苦しみもがく弟を抱き締めるエースを、イワンコフは冷静に見下ろす。
「心配しなくても、少しすれば死んだように大人しくなるわ。エンポリオ・ホルモンテンションは超強力なアドレナリン。疲労を一時的に忘れさせるけれど、壮絶な後遺症にのた打ち回って三日は寝込むことになる。麦わらボーイのこと、一日もあれば復活するでしょうけれど」
腰に手を当て、イワンコフは身体をくねらせる。見るに耐えない姿態にエースは眉根を寄せた。止むことなく紡がれる悶絶は耳に痛く、白ひげ海賊団の多くのクルーたちは逃げるように船内へと駆け込んでいく。残っているのは船長である白ひげと、マルコやジョズといった隊長格、それか肝の太いナースくらいだ。対して脱獄囚たちは多くが悲しげな表情を浮かべているけれども、誰一人去ろうとはしていない。ぎゅ、とエースはルフィを抱く腕に力を込める。爪先が腕を掠った。
「エースボーイ、まさかヴァナータ、麦わらボーイが五体満足でヴァナータのいたLEVEL6まで辿り着いたと思ってるの? 馬鹿なこと仰ッナブル! 麦わらボーイは少なくとも10年分の寿命を使ったわ。ヴァナータを助け出すために」
「俺が望んだわけじゃない! 俺はこいつには・・・っ・・・こいつにだけは、来て欲しくなかった!」
「はぁ!? 冗談じゃないわよーう! あんた、本気で言ってんの!? それでも本当に麦ちゃんの兄貴!?」
食って掛かってきたのは背の高い、全身を包帯で巻いているこれまたオカマだった。ルージュの光る唇で、唾を飛ばすように噛み付いてくる。
「兄貴が処刑になるって知ったら、麦ちゃんなら助けに行くって言い出すに決まってるじゃなーい! そんなこと、ちょっとでも麦ちゃんと関わった奴なら誰だって分かるわよう! それなのに何で兄貴のあんたが分かんないわけ!?」
「分かりたくもねぇよ! こいつは昔から心配ばっかりさせやがって・・・! 一度だって俺を安心させたことがねぇ!」
「じゃああんた、麦ちゃんが来ることを欠片も期待してなかったって言うの!? それこそ馬鹿よ、ぶわぁっかよう!」
くるくるとバレエのように回転し、その途中でやはり後遺症が始まったのか、絞め殺される鳥のような叫びが放たれる。あまりのうるささに周囲の何人かが耳を塞いだ。イワンコフの指示でバニーガールの耳をつけ、網タイツを履いている男たちが数人がかりでボン・クレーを簀巻きにし、倉庫の方へと担いでいく。ルフィの指先が、きつくエースの腕に食い込む。傷を抉り、肉に爪が突き刺さるけれども放しはしない。すっとイナズマがワインを片手に進み出た。
「とにかく、彼を渡して欲しい。君たちの手には余るだろう」
「余る? はっ、冗談じゃねぇ」
「無駄よ、イナズマ。エースボーイはニューカマーランドの出身じゃないもの。最近のニュースなんて知らナッサブル」
「なるほど。だからですか」
訳知り顔で頷いたイナズマの手元で、赤い液体がくるりと回る。エースの視界の隅ではクロコダイルが手近な樽に腰を下ろしており、その横にはMr.1が立っている。興味なさそうに葉巻を吹かしているくせに、クロコダイルの視線はじっと事の成り行きを見定めていて、厚い唇を開いたイワンコフが告げたのはエースが予想だにしていない出来事だった。
「よくお聞き、エースボーイ。麦わらボーイは、もうヴァナータの弟ってだけの存在じゃないのよ。彼は天竜人を殴り飛ばした」
「なっ・・・!?」
「ただでさえ『司法の島』エニエス・ロビーを燃やして世界政府に宣戦布告してたってのに、シャボンディ諸島での世界貴族暴行事件。麦わらボーイのことだからちゃんと理由もあったんでしょうけれど、政府からしてみれば事実がすべて。エースボーイ、理解なさい。ヴァナータの弟はもう、この場にいる誰よりも『世界的大犯罪者』なのよ」
革命軍の幹部であるヴァターシよりも、革命家のイナズマよりも、元王下七武海のクロコボーイよりも、新世界の『四皇』のひとりである白ひげよりも、それこそ海賊王の息子で『火拳のエース』と呼ばれるヴァナータよりも。
そう続けられ、エースは目を見開き、腕の中にいるルフィを見下ろした。未だ後遺症にもがき苦しんでいる顔には、常の楽天的な笑みは少しも見えない。決して、大犯罪者と呼ばれる面も覗けない。それでもルフィは、天竜人を殴り飛ばした。聖地マリージョアの住人。世界貴族。800年前に世界政府を作り上げた王たちの末裔。人権を無視した治外法権を認められ、彼らを傷付けた者には海軍大将の追っ手が差し向けられる。この世界で最も逆らってはいけない種族、それが天竜人。そんな存在をルフィは殴り飛ばした。ゴムのように伸びる、その手で。
「・・・噂は本当だったのか」
「親父」
「『麦わらのルフィ』が世界貴族を殴り飛ばし、そのせいでシャボンディ諸島は海軍に強襲された。つい最近、新聞の一面を飾ったニュースだ。とんだ大馬鹿野郎だとは思っていたが、まさかおまえの弟とはな・・・」
白ひげが複雑な面持ちで、エースの腕の中にいるルフィを見やる。指は未だ腕に食い込んでいたけれども、それでもエースは抱き締める腕を緩めることはしなかった。
「クロコボーイとゲッコー・モリア、このふたりを倒しただけでも海軍は黙っちゃいなッキャブル・・・。加えて、史上初のインペルダウンへの侵入と脱走。麦わらボーイはこれから先、海軍と世界政府の両方に狙われることになるのよ。その存在は世界中の視線を集める。そう、父親であるドラゴンのようにね・・・!」
「ドラゴン? 革命家のドラゴンか!」
「そうよ。ヴァターシは麦わらボーイが同胞の息子だと知ったからこそ、麦わらボーイが兄と呼ぶエースボーイもドラゴンの息子だと思って救出に力を貸した。生憎とそれは勘違いだったけれど、麦わらボーイがドラゴンの息子であることに違いはナキャブル。ヴァターシには、彼を無事に仲間のところへ送り届ける義務がある」
「・・・・・・」
「麦わらボーイはもう、ヴァナータじゃ守りきれない。分かったなら彼を渡しなさい、エースボーイ」
じっと見下ろしてくるイワンコフは、珍妙な化粧の向こうに確かな威圧を持っている。イナズマやマルコは場を見守り、白ひげも動かない。エースはただ、視線を逸らすことなくイワンコフを睨み返した。腕が燃えるように熱い。ルフィに触れている箇所が、炎のように熱い。視界の端でクロコダイルが立ち上がった。こつこつと甲板を叩く足音がして、さらりと乾いた気配がエースの首に触れる。数珠のひとつが形をなくし、すべてが床へと転がり落ちた。葉巻の煙が視界を遮る。
「さっさと寄越せ。・・・うっとうしい」
髪の先が砂に変わる。それでもエースは抱く腕を弱めなかった。それどころかきつくきつく抱き締めて、腹の底からイワンコフを睨み上げた。
「―――断る! 世界的犯罪者だろうと関係ねぇ。ルフィは俺の弟だ。俺にはこいつを守る義務がある!」
「そうか。じゃあ先に死ね」
クロコダイルが唇を歪め、砂に変わった腕を振り翳す。エースは満身創痍ながらも、指先を炎に変えた。守ってみせる。決意して抱えた血塗れの身体がぴくりと動き、そのことにクロコダイルもエースもはっと能力を止めた。
「・・・エー・・・ズ・・・・・・?」
声は絶叫を繰り返しすぎた余り掠れ、まるで老人のようだ。それでも己の名を紡がれたことが分かり、エースは腕の中のルフィを慌てて見つめる。白目を剥いていた瞳に、僅かだが意思が宿っている。痛苦はまだ止まないのか、エースが肩を抱き直せばびくりと全身を悶えさせた。それでも瞳はしかと見上げてくる。血に染まって真っ赤な唇が綴る。
「・・・エーズ・・・・・・無事、が・・・?」
馬鹿野郎。心配させやがって。無事じゃねぇのはおまえだろう。言ってやりたいことは山ほどあったのに、何ひとつ言葉にならない。込み上げてくる思いを必死に堪えて頷く兄の様子に満足したのか、ふっとルフィの表情が緩んだ。
「・・・ぞ・・・なら、いい・・・・・・」
瞼が下りて全身から脱力する。思わず焦ったが唇から漏れ始めたのは穏やかな寝息で、ようやく痛みが引いて睡眠回復へと入ったのだろう。間の抜けた寝顔に、エースは唇を噛み締めることしか出来なかった。ただ無言で、その身体を抱き寄せる。痛苦に暴れまわるのを抱き締め続けたため己も多くの傷を負ってしまったけれど、そんなもの何にも感じやしなかった。エースの背後で白ひげが動く。
「オカマ王、おまえたちには一応借りがある。怪我人もうちのナースに手当てさせるから、もう少し乗っていけ」
「・・・ン〜フフフ、白ひげにしてはお優しいこと。いいわ、麦わらボーイが目を覚ますまで世話になってあげようじゃナッキャブル」
「マルコ、他の奴らを船室に案内しとけ」
「イナズマ、クロコボーイ、行くわよ」
足音がいくつも連れ立って遠ざかっていく。舌打ちをひとつ残し、クロコダイルの乾いた気配も去った。甲板に残されたのはエースだけになり、腕の中には眠りこけているルフィ。あどけなさの残る寝顔に、安堵よりも情けなさが募った。抱き締めても、もう痛みは訴えない。細い身体だ。鍛えているようだけれども、それでもエースより一回りも二回りも小さくて細い、子供の身体。刻まれているいくつもの傷跡は、エースの知らないものが多い。分かっている。手のかかる、どうしようもない、心配ばかりさせる弟なのだ。それでも、それ以上にずっと、愛してきた弟なのだ。本質なんて、この世の誰より知っている。守ってきた。だけど本当は、本当に守られていたのは。
「ごめん、なぁ・・・・・・」
ぽたり、雫がルフィの頬を伝い、僅かに血と汚れを拭う。ぼたぼたと零れ落ちる雫にもルフィは目を覚ますことなく、エースはその頼りない肩に額を埋めた。抱き締める身体はいとけない。小さくて、そして大きい。
「情けない・・・兄ちゃん、で、ごめんなぁ・・・! ルフィ・・・!」
穏やかな寝息と引き攣る嗚咽は、太陽と海だけが聞いていた。回り続ける世界の午後。





太陽を愛している





「おい、オカマ王」
白ひげ海賊団の船内は、廊下も広めに作られている。それでも白ひげとイワンコフが並べば余人の擦れ違う隙間などない。点滴のコードを引き剥がしながら、白ひげは忌々しげに確認した。
「てめぇがあの小僧に着いてきたってことは、俺たちが貸しを作ったのはてめぇじゃなくて『麦わらのルフィ』だ。それでいいな?」
「ン〜フフフ・・・そうねェ、ヴァターシはそれで構わないけど」
「なら、あの小僧に伝えとけ。いざとなったら白ひげを呼べとな。俺ぁ借りは返す主義だ。・・・必ずな」
「ヒーハー! さすが麦わらボーイね、ドラゴンの息子!」
甲高い声で笑うイワンコフに、白ひげは顔を歪める。それでも前言は撤回せずに、適当なクルーを呼んで酒とナースの手配を言いつけた。甲板は静かなもので、何の音も聞こえてこない。当面の海は静かであるといい。そんなことを白ひげは思う。若き力たちが羽根を休める、せめてその刹那くらいは。





酷く今更かもしれませんが、情けない、それでも格好いいエース兄ちゃんが好きです。
2009年9月13日