愛されているんじゃないかと思うことが、ゆらにはある。例えばそれは何気ない日常の合間だったり、戦いに明け暮れて迎えた朝だったり。今だってそうだ。隣を歩くリクオは中学生のときとは違う制服を身にまとっているけれど、それでも変わらない笑顔でゆらに話しかけてくる。一緒に帰るようになったのはいつからだったか。羽衣狐を相手に、共闘してからだっただろうか。部活に入っていないゆらとリクオは帰宅時間が重なることも多かったし、家だってそう離れてはいない。それでも幼馴染であるカナや、側近である雪女を差し置いてまでゆらを選ぶ、リクオの心が最初は分からなかった。一緒に帰ろう、花開院さん。人の良い笑顔でそう誘われて、断るにはゆらもリクオに好意を抱きすぎていた。
妖怪は十三歳で成人を迎えるという。ぬらりひょんの血を四分の一しか継いでいないとしても、リクオも立派な妖怪だ。中学一年の時点で彼はぬらりひょんとして覚醒し、その頃はまだ夜しか活動できなかったけれども、あれから三年経った今となってはその境界を酷く曖昧にしている。昼の中に夜の顔が覗き、夜に時として昼の顔を見せる。何度目だったか重なった戦場で、月光の下で柔らかく微笑んだ「昼のリクオ」を見たとき、ゆらは酷く驚いたものだ。衝撃を受けたと言ってもいい。心臓がこれ以上ないほど大きく波打った気がしたし、今にも泣き出してしまいたいほど苦しくなった気もする。自分のことではないというのに、失われていく彼が痛々しかった。それは昼のリクオだったかもしれないし、夜のリクオだったかもしれない。ゆるりと液体が交わるようにして、徐々に彼らは輪郭を失い、新たなリクオに変化していった。その頃だった。リクオは正式に、奴良組三代目「候補」から、三代目へと肩書きを変えた。
「数学の宿題、たくさん出たね。全部ちゃんと終わるかな」
「奴良君やったら終わるやろ。うちの方が逆に心配や。数学苦手やし」
「分からないところがあったら、僕でよければ教えるよ?」
「うん、頼むわ」
振り向いて、ふわりとリクオが笑う。小柄だったはずの彼に見下ろされるようになったのは、中学三年のときだ。目線が少しだけ、上を向かなければ重ならなくなった。そうして徐々に「男の子」になり始めたリクオに、女子が気づくのも早かった。もともと優しかった性格も手伝い、人気が出るのは当たり前で、それでもリクオはどんなに可愛らしい女の子からの告白にも頷かなかった。理由が、ゆらには分かる。リクオがどんなに想われようとも、首を縦に振らない理由。幼い頃から共にいた、守るべき対象のカナでさえ拒んだ理由。ゆらは知っている。リクオがこんなにも傍にいるのに、ゆらに何も言ってくれないのは。
―――相手が、人間だからだ。
奴良組を継ぐに当たって、リクオに無言のうちに課せられたのは、跡継ぎを残すという使命だ。それは伝統ある陰陽師家に生まれたゆらとて、重要性を理解している。けれどもリクオのそれは、ゆらの知る問題より些か複雑だった。リクオは妖怪として生きようとしている。ならば選ぶ相手は、妖怪でなくてはならないのだ。少なくともいずれ四代目を継ぐ我が子が、自分のように血統で要らぬ苦労を背負わぬようにしようと固く心に決めている。だからリクオがいずれ伴侶を持つとしたら、相手は人間ではなく妖怪だ。周囲が、血筋が、何よりリクオ自身が、それ以外を許さない。
「・・・酷い人や」
小さな呟きは、聞こえていないのか、それとも聞こえていてもあえて無視をしているのか。ゆらには分からない。ただ、それでもリクオは自分を愛してくれているのではないかと感じるときが度々ある。彼は決してゆらには触れないというのに、言葉は決してくれないというのに、それなのに、柔和な瞳の中に時折ちらつくのだ。燃え盛る炎のような激情と、相反した寂しげな諦観が。見せ付けられる度に、ゆらはどうしようもなくなってしまう。好きなのに。こんなにも、好きだというのに。
「それじゃ花開院さん、また明日」
分かれ道で、リクオが手を振る。その指先を握り締めたくて、でもそう出来ないのはゆらの中にも怯えがあるからだろう。恋だけに生きるには、互いにしがらみが多すぎた。
それでもいつの日かリクオが自分を選んでくれないかと、ゆらは願う。彼と共になら妖怪も陰陽師も振り切って、世界の果てまで駆けていくのに。





笑ってさよならなんて言わないで。
2011年8月9日