定春の散歩の途中で、神楽はある光景を目にした。店の並んでいる通りの脇、金木犀の木の下に一人の少年が立っている。顔が見えなくとも後ろ姿だけで、神楽にはそれが同じ万事屋で働いている新八だと判った。とりあえず声をかけるかどうかは別として、そちらに散歩コースを変える。だけどその足は、三歩進んだところでピタリと止まった。金木犀の香りが漂う。
新八の頼りない肩の向こうには桃色の着物を身にまとった少女がいて、二人はひどく楽しそうに会話していた。



散歩に出てまだ一時間しか経っていなかったけれど、神楽は万事屋に帰ってきた。いつもは五時間くらいかぶき町を歩き回るので、定春は欲求不満らしく玄関脇に座っていて動かない。今日も仕事がなくてソファーに転がりジャンプを読んでいる銀時は、神楽の報告を聞いてやる気なしに「へぇ」とだけ呟いた。ページをめくって、これまたダルそうに続ける。
「いやいや、そりゃーそのお嬢さん、年の割りに見る目あるわ」
「どうしてそうなるネ。新八、眼鏡ヨ。趣味うたがうアル」
「眼鏡こそ新八のチャームポイントだろ。アレがなかったら街中で擦れ違っても判んねーって」
「それもそうあるネ」
頷きはしても、納得はしていない。そんな神楽の視線を感じたのか、銀時は天然パーマの頭を掻き毟って答えた。手は相変わらずページをめくっている。
「新八はマウンテンゴリラとはいえ姉と育ってきてるから、女の扱いは結構慣れてんだよ」
銀時の台詞を理解しようと神楽が頭をめぐらせていると、バタンとドアを勢いよく開けて新八が帰ってきた。
「ただいま帰りました」
両手に持っていたスーパーのビニール袋を床に下ろして、下駄を脱ぐ。扉のすぐ隣に座っている定春を不思議そうに見た後で振り返る。
「神楽ちゃん、定春が物足りなさそうだけど、ちゃんと散歩行った?」
「行ったアルヨ。証拠もないのに逮捕するなんて職務怠慢で減俸処分ネ」
「いや、元々給料もらってないし。っていうか逮捕もしてないよね。まぁ行ったならいいけど」
ちらり、ともう一度だけ定春を見てから、置いていたビニール袋を持ち上げる。ソファーで今は寝ている銀時を一瞥して居間を通り過ぎ、台所へと消えていった。その後ろ姿を神楽は何となく見送る。新八の様子は出て行く前と何にも変わらない。金木犀の下で女の子と楽しそうに話をしていたくせに、そんな様子は微塵も感じさせない。自分が報告したから銀時は知っているくせに何も言わないし、新八本人も言い出す様子は全くない。何もなかったように日常が進んでいく、それが神楽には何となく許せなかった。だからといって、ここで新八が有頂天に「僕、彼女が出来たんです」とでも言おうものなら傘で吹き飛ばしてやろうと思うけれども。だけど何も言われないのも非常に腹が立つ。何でか判らないけど、とにかくとかく腹が立って仕方ないのだ。
「おーい、神楽」
顔に乗せているジャンプの下から、眠っていたはずの銀時の声がする。分厚いページの間から垣間見えた目は、相変わらず死んだ魚のように輝きとは無縁だ。
「何アルか」
くだらないことならぶっとばすヨ。そう返してくる神楽の据わりきった目に、やれやれと溜息を吐く。ジャンプを顔から退けると、銀時は起き上がってソファーにもたれた。そして少しの間天井を見上げてから、まぁ性教育も親の仕事だしな、と一人ごちて。
「おまえ、気づいてんのか?」
一度台所の方を横目で見やってから、少しだけ声を潜めて銀時は言う。
「おまえが今抱いてるモヤモヤした気持ちっつーのを、ヒトは『嫉妬』って言うんだよ」
仏頂面だった神楽の顔が一瞬きょとんとし、大きく見開かれていく目に銀時は思わず笑った。
「銀さーん、神楽ちゃーん」
壁一枚隔てて聞こえてきた声に、びくっと大げさなくらい神楽の身体が撥ねる。それをニヤニヤしながら眺めていると、台所から新八が顔を出した。
「今日の夕飯なんですけど、ホワイトシチューとビーフシチュー、どっちがいいですか?」
「そりゃあおまえ、肉だろ肉」
「ちなみに言っときますけど、肉は肉でも広告の品の鳥ササミ100グラム53円ですから」
「ちょっ何で鳥なんだよ!? 新八、おまえ今ビーフシチューって言ったじゃねーか!」
「じゃあ言い直しますね。ホワイトシチューとチキンシチュー、どっちがいいですか?」
「・・・・・・どっちでもいーでーす・・・」
銀さんやる気ガタ落ちー・・・・・・。自分でそう呟いてソファーに転がる銀時を放り、新八はもう一人の同居人を振り返る。
そして笑顔を浮かべて尋ねた。
「神楽ちゃんはどっちがいい?」
――――――にっこり。
向けられた笑みに、心よりも先に身体が反応した。耳だけじゃなく首筋まで真っ赤になった神楽に、新八は驚いて目を見開き、銀時は思わず噴き出す。
「だ、大丈夫? 神楽ちゃん」
心配そうに伸びてくる手に、さらにビクッと身体を震わせてしまった。新八の手が止まる。恐る恐る見上げてみれば、困ったような苦笑いの顔が見えて。ますます顔が熱くなるのを神楽は感じた。
「〜〜〜さ、定春の散歩に行ってくるアル!」
立ち上がって扉をぶち壊し、ものすごいスピードで出て行く。ドアをなくした玄関から定春が嬉しそうに神楽の後を追いかけていく。ドップラー効果で遠くなっていく足音に、ついに銀時は大声で笑い出した。残された新八は行き場のなくなった手を持て余し、グーパーを繰り返して呟く。
「・・・・・・反抗期かなぁ」
どちらかと言えば思春期だと銀時は思ったが、笑いに腹筋を酷使しているため言葉には出来なかった。
それから二時間後に、まだ薄っすらと頬を赤くしたままの神楽が帰って来る。作り上げたシチューを温めなおしながら出迎える新八に、照れくさそうに笑って。嬉しそうに近づいていく神楽とそれを受け入れる新八を、銀時は楽しそうに眺めていた。





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(よろずやのほのぼの脱力感が好きです。)
2008年8月24日