今夜だけは、せめて優しく





兄の用意してくれたピンク色のワンピースの裾を、リナリーはぎゅっと握り締めていた。パーティーは31日の夜10時から、教団の食堂を借り切って始められた。夜ということで一日の仕事を終わらせた団員たちが、それぞれに着飾って入れ替わり立ち代わりやってくる。日頃は見られない華やかな色合いが多く、リナリーは目を丸くしていた。総合管理班に多い女性たちはこういった気を抜けるイベントを喜び、ここぞとばかりにお洒落をしていて、リナリーの髪も可愛らしいツインテールに結んでくれた。そんな彼女たちと釣り合うように男性たちもそこそこの盛装をして、彼らは食堂で豪華な食事を取っていた。広間では有志によるオーケストラが演奏を行っていて、そこでダンスを踊っている者もいる。パーティーはとても和やかに進んでいた。それをリナリーは、会場の隅にある椅子に座って、ぽつんと眺めていた。
日付はとうに変わった。その瞬間には皆でクラッカーを鳴らし、新たな年の幕開けを祝い、健康と平和を願った。兄やジェリーに手を引かれてリナリーもいろんな団員と言葉を交わしたけれども、やはりまだ恐怖は払拭できない。怖いと、思ってしまう。それほどまでに、兄が来てくれるまでの日々は長く絶望的だった。だからこそ今の幸せが怖いのかもしれない。そうとも思う。
いつもならとうに寝ている時間だけれども、実際に眠かったけれども、リナリーはまだパーティーの会場にいた。流石に人も引けてきており、ちらほらと空席も目立ってきている。もう寝たら、とジェリーに勧められたけれども、リナリーは首を横に振った。だってまだ、彼が帰ってきていない。リナリーのパーティーはまだ終わらないのだ。
彼のことを好きか嫌いかと問われたなら、きっと好きだということになるのだろう。言葉尻はきつく、他者に無関心である人だけれど、本当はそうでないことを知っている。言動通りの人ならば、リナリーが捕らわれていた部屋まで危険を冒して来たりはしないだろう。たぶん、優しい人だ。手を差し伸べたりはしない、けれどずっと見ている、そんな人。リナリーは彼が好きだった。おそらくそれは兄も同じだろう。彼と話をするときだけ、少しだけ気を緩める兄の姿に驚いたのを覚えている。
睡魔には勝てず、椅子の上でうつらうつらとリナリーが舟をこぎ始めたときだった。和やかな空間に、突如割り込んできた喧騒。兄の高揚している声がする。重い瞼をこすって押し上げれば、食堂の入り口に小さくて黒い姿があった。帰ってきたんだ。時計を見上げれば、すでに明け方近い。豪雪の余り列車は止まってしまったと聞いていたけれど、彼は帰ってきてくれた。
黒い髪がぺたんとして見えるのは、雪で濡れたからだろうか。団服のコートを無理やり兄に脱がされている。ぎゃあぎゃあと叫ぶスラング交じりの英語が、リナリーのところまで聞こえてきた。
「ざけんな! おれは参加するだけっつっただろうが!」
「ここまで来たら一緒だよ! ネタは上がってるんだよ! ワルツは礼儀作法として仕込んだってティエドール元帥に聞いてるんだからね!」
「だからって何でおれが!」
「その格好じゃ色気も何もあったもんじゃないわねぇ。ほらほら脱いで! 髪もまとめちゃうわよ!」
「触るなっ!」
コムイとジェリーの長身に挟まれて、彼の姿はちらほらとしか見えない。けれどぽいっと放り投げられたコートが見えた。共に帰ってきたのだろうファインダーたちが、微笑ましい目で見やりながら食事にありついている。椅子から立ち上がろうとして、リナリーは目に入った自分の爪先を見つめた。兄の選んでくれた、可愛らしいピンク色の靴だ。リボンのついているそれは、イノセンスではない。戦うための道具。あの黒い靴は、今の自分にはまだ重すぎる。だけど履くことを決めた。ここまで来てくれた兄のために、大切なものを守るために。そして彼の前に、自分の足で立てるように。
ピンク色の靴の前に、黒い無骨なブーツがたたらを踏んで映り込んできた。顔を上げれば、白いワイシャツ姿の彼がいる。パーティーには義務だったタイは、きっとジェリーのものだろう、リボンのように結ばれていた。湿っている黒い髪はサイドでまとめられ、花瓶に飾られていた赤い薔薇が彩っている。王子様みたい、とリナリーは思ってしまった。残っていたオーケストラが、可愛らしいワルツを奏で始める。彼が舌打ちをする。差し出された手は、礼儀的なものだった。
「足をふんでもおれのせいにするなよ。文句は無理やりおどらせるてめーの兄貴に言え」
「・・・・・・うん」
美しいこの人が好きだ。凛としたこの人が好きだ。強く優しいこの人が好きだ。胸を張って隣に立ちたい。立てるようになりたい。
「神田」
「あ?」
「おかえり、なさい」
自然と笑みが浮かんできた。ホールドされて、ワルツのステップを踏み出す。この日のために、戦闘技術と共に教えてもらったダンス。視界の隅で兄とジェリーが満足そうに見守っている。
見上げる彼は美しかった。この人のように強くなりたいと、リナリーは心の奥底から思った。





憧れる。私の理想。私の指針。この人のように強く生きれたら。
2008年3月23日