エデンを構築する方法





教団の雰囲気が徐々に変わり始めているのは、一ヶ月に一度くらいしか帰還しない神田にも感じられていた。いや、神田だからこそかもしれない。室長や上層部の冷酷さは変わりがないが、それでも末端には変化が出始めている。以前は通夜のように静かだった食堂にも、活気が溢れ始めていた。特筆すべきは注文カウンターに立つ女言葉を使う男で、ジェリーという名のその人物は、神田の来訪を心待ちにしているようだった。気味悪く思いながらも蕎麦を頼めば、「任せておいて!」という力強い答えが返される。出てきた料理は確かに神田の知る蕎麦に違いなく、こしもあり汁の濃さも適当で、実に神田の好みだった。付け合せの天麩羅のチョイスも良い。美味かった、と去り際に告げれば、ジェリーは両手を挙げて喜んでいた。彼もしくは彼女が料理場で責任者の地位に上りつつあるのだと、風の噂で聞いた。
「おかえり、神田君」
このコムイの出迎えも、訪れている変化の一部だ。というより、変化はコムイを中心に起き始めている。室長室はともかく、科学班も以前に比べてとても雰囲気が明るくなった。個人ばかりで仕事に取り組むのではなく横を介しての繋がりを持ち始め、数式や化学式に呻く輩がいれば、遠くからアドバイスが飛んできたりする。まだ照れを含んでいてぎこちないけれど、ちらりほらりと笑顔も見えてきていた。フラスコでコーヒーを作るなんて、以前の科学班からは想像もつかないだろう。
「君が任務に出ている間に、ティエドール元帥が戻られたよ」
三日前にまた出立されてしまったけれど、とコムイが眦を下げる。元帥ともなれば秘密裏の単独任務が多く、滅多なことでは教団にも戻らない。イノセンスよりもスケッチブックを握っていることが多い己の師を思い出し、神田は少しだけ眉を跳ね上げた。
「神田君と擦れ違いになってしまうのを嘆いていらっしゃったよ」
「会いたくもねぇ、あんなオヤジ」
「そんなこと言わないの」
めっ、と全然怖くもない顔で諭される。この半年で随分と科学班に慣れたのだろう。後輩も出来たらしく、遠くから無精髭の若い男が「コムイさん、後でここ見て欲しいっす!」と助け舟を求めている。それにひらひらと手を振って答えるコムイは、もともと十分に優秀だったらしいし、ここにきて人望も備え始めた。彼の決意していた通り、変革がもたらされ始めている。神田でさえ、それを感じる。同時に彼が黒の教団から危険視されているのではないかという、剣呑な予測も。
「おい」
「なぁに?」
へらりと笑った十一も年上の男に、神田は舌打ちした。
「は手に動きすぎじゃねぇのか? 出すぎるくいは打たれるぜ」
「・・・・・・大丈夫だよ。僕は優秀だからね」
「何の関係がある」
「分かってるくせに」
今度は唇を綻ばせるようにして、コムイは笑った。優秀だから。そう、それは事実だ。黒の教団は個人の実力を重んじる。そして存在の価値を正しく認める。神田が例え周囲との協調を見せようとはしなくとも、最前線で戦い、成果を挙げているエクソシストだからこそそれを許されているように、コムイも替えが利かない優れた存在なのだと頭脳や手腕で示せれば、黒の教団は彼を破棄せず利用することを考えるだろう。ハイリスク・ハイリターン。酷使しあうのはお互い様だ。利用しあうだけすればいい。
それでも上司である室長が、自分よりも人を集めるコムイを疎ましがっている噂も聞こえた。ちっと神田は再度舌打ちして、けれど違うことを指摘する。
「目の下にクマ」
「え? やだなぁ。お肌の手入れは欠かしてないんだけど」
「気色悪い。休むのも仕事のうちだろ」
「神田君に言われたくないなぁ、それ。任務ばっかりのくせに」
「おれは移動中に休んでる。ね首をかかれるのがこわいなら、ここにソファーでも持ちこむんだな」
そうすりゃ盾になってくれる奴もいるだろ、と暗に示せば、コムイは困ったような照れたような顔で苦笑した。遠くで「コムイさーん!」と助けを求める新人たちの声がした。





笑顔の効果を知っているよ。
2008年3月16日