彼は神を問題視した





「待って! 神田君・・・っ・・・神田ユウ君!」
小さな身体は、大人ばかりしかいない教団では見つけやすいはずなのに、コムイが子供を捕まえることが出来たのは、夜も深夜を迎えようとする時刻だった。科学班の仕事から抜け出せなかったのもあるし、子供が見つからなかったのもある。トイレと言って抜け出して自室を訪れても不在だったし、食堂で友人になりつつある総合管理班のジェリーに聞いてみたけれど、夕食を食べてすぐに去っていったとだけ聞いた。子供が注文するのは日本食ばかりで、作り方を知らない自分が不勉強で許せない、と自らに怒っているジェリーに、コムイは子供が日本人だということを知った。中国人ではないのか。
灯りの僅かな廊下で、子供が振り返る。高い位置にある光は子供に僅かしか届かず、整った顔を更に幻想的に見せていた。人形のようだと、コムイは思う。
「おれのファーストネームをよぶんじゃねぇ」
駆け寄れば、放たれたのは仏頂面と意外にもスラング交じりの英語だった。美しい造形からは想像も出来ない、粗野な態度。九歳だとエクソシストの資料で読んだ。約三年前に教団に来た。装備型のイノセンス、六幻を操るエクソシスト。今活動している中では、最年少の。
「ごめん。・・・・・・改めて、自己紹介を。本日付でアジア支部から移動してきました、科学班所属、コムイ・リーです。どうぞよろしく」
「はっ! せいぜい足手まといにならないようにするんだな」
鼻で笑う高慢な仕草は、九歳の子供には見えない皮肉さを浮かべている。けれどそれは陰湿な科学班を目の当たりにしたコムイには、逆に好意的なものに映った。鮮やかだ。だけど、と気持ちを切り替えれば、途端に心臓が早く鳴り始める。願ってきた欠片が、もしかしたら得られるかもしれない。そんな期待を胸にコムイは子供に問いかけた。
「さっき、室長室で」
「あ?」
「室長が僕の苗字を呼んだとき、神田君は少し反応したよね? それはどうしてか理由を教えてもらえないかな?」
子供は眉を顰めたが、すぐに嘲笑へと変えた。
「知りたいことがあるなら、先にてめぇの手ふだをひらけよ」
賢い子だと、コムイは悟った。幼くして教団に入り、即戦力として前線に送られ続けているため学は無いと資料にはあったが、それはあくまで学術的な分野においてのみだろう。だからこそ考えを改め、素直に乞うた。
「・・・・・・二年前にここに連れて来られた、リナリー・リーという少女について、君の知っていることを教えて欲しい」
すっと、黒い瞳が細められる。子供の今は丸みがかっているけれど、青年になればきっと切れ長の鋭い眼になるだろう。未来に思いを馳せたコムイに顎をしゃくり、子供は「ついてこい」と無言で示した。
案内されたのは子供の自室となっている部屋で、そこは驚くほどに物がなかった。支給品のベッドと机、作り付けのクローゼット。エクソシストにはひとり部屋が与えられるけれども、それにしても私物がまったくと言っていいほど見当たらない。目に付いたのは、机の上で小さな鉢に浮かんでいる蓮の花くらいだ。
「べつに、大したことを知ってるわけじゃねぇ」
椅子がないので子供もコムイも座らずに、部屋の中で立ったまま会話をした。
「そんなことない。どんな小さなことでもいいから知りたいんだ」
「おまえ、そいつの家ぞくか?」
「うん。・・・・・・リナリーは僕の妹なんだ。二年前に両親をAKUMAに殺されて、リナリーはイノセンスの適合者だと判明して黒の教壇に連れて行かれた」
そして二年をかけてようやく、コムイはここまで辿り着いた。無意識のうちに拳を握り締めていて、子供に見つめられていることに気づき指先を緩める。笑みは、形になっていただろうか。子供はふいっと顔を背けた。少女のように長い髪が頬を辿る。
「・・・・・・二年前だ。おれより年下の女が、本部につれて来られた。中国系のふくをきていて、かみの色もたぶん、おまえににていた」
リナリーだ。呟きは掠れた。
「すぐにきょう団かん部のやつらにつれて行かれたから、会ったとも言えない。ちょうど任むに出るときだったから、すれちがっただけだ」
「今は、どこに」
「さぁな。でもそいつはエクソシストなんだろ。だったらころされはしないから、このきょう団のどこかにいるんじゃねぇか」
あっさりとした物言いにコムイは反論しかけたが、子供の横顔があまりに歪んでいたから口を噤んだ。そしてすぐに思い当たる。本部に来たばかりのコムイでさえ、この空間のあまりの異質さにぞっとしたのだ。そのコムイより長く教団にいる子供が、何も感じていないわけは無いだろう。ただでさえ感受性の豊かな時期だ。おぞましいと思いながらも、エクソシストとして戦っている。九歳の子供が。頭の下がる思いがして、荒立ちかけた感情が引いていくのをコムイは感じた。
「・・・・・・神田君は、また任務?」
机の上、蓮と並べておいてある黒い冊子に、そう尋ねる。子供は頷いた。壁に寄りかかるようにして腕を組み、まるで大人のような仕草で窓から夜の空を眺める。
「ああ。明日の朝に出ぱつする」
「せめて二・三日くらい休んでからでも」
「一どここにもどってこられただけ、今回はマシな方だ」
「いつもは任務先から、次の任務に行かされる?」
「エクソシストは少ないからな」
「ここは狂ってる」
子供を戦いに向かわせ、自分の妹を監禁し、それがさも当然のことのような顔をしている。神の名に集う人間の行いがこれで良いのか。否、良いわけがない。握り締めた拳を子供が無感動に見つめてくる。それでも、今度はコムイも解かなかった。怒りと悲しみが渦巻いている。
何より苦しかったのは、自分の扱われ方を当然のように受け止めている子供の表情だった。幼さの中に見えてしまった老獪。諦めを知る瞳、抗いを失った瞳。この教団のどこかにいる妹もそんな顔をしているのかと思ったら、もうどうしようもなくなっていた。神など知ったことか。
変えてやる。歯を食いしばったコムイの誓いを聞いたのは、子供―――神田ユウひとりだけだった。





これが神の愛する世界なら、僕は喜んで破壊の手を取ろう。
2008年3月16日