堕神





神田は列車での移動に慣れている。それこそゲートが出来てありていの場所には一瞬で行けるようになったが、それも便利だと思うだけで深い感慨は抱かない。だからこそこうして列車に揺られることも嫌いではなく、窓の向こうの流れゆく景色を目で追っては時間を潰す。纏わりつくような視線はあえて無視をしていたが、そうし続けることが出来ないことも理解していた。
「神田さんはお美しいですね」
トクサの言葉は慇懃だ。礼儀作法には自身も疎い神田でも分かる、それは密やかなる悪意を秘めているものだ。理由は分からないでもないが、向けられる側としては苛立ちを覚えざるを得ない。ちっと神田は舌打ちした。
「綺麗な方だ。その容姿は生まれつきですか?」
「んなこと知るか。気づけばこれだった」
「そうなんですか。いえね、お気を悪くしないでください。私たちはこの通り、少なからず改造の痕が残ってしまっているでしょう? 時間がなかったから仕方ないとはいえ、見目麗しいものではありませんからね」
この通り、とトクサは自身の顔を指差す。確かに彼だけではなく、隣に座るゴウシにも傷跡のようなものが顔や手足にいくつか見られる。それらが彼らが改造人間であることを他に知らしめており、あのリナリーでさえ近づくに躊躇う現状に繋がっている。笑みを深め、トクサは目を輝かせて神田を見やった。
「お会いできて光栄ですよ。唯一の成功体にして最高の第二エクソシスト、神田ユウ様」
ゴウシの不躾な視線も神田に向いた。こちらはトクサのように含みを持っておらず、僅かな敵意と侮蔑も含んでいる。しかし神田にしてみればゴウシのような分かりやすいタイプの方がやりやすい。真っ向から睨み返して、ふん、と鼻で笑ってやった。
「まさか九年も経って同類が出来るとは思わなかったぜ」
「俺たちをおまえみたいな出来損ないのポンコツと一緒にするな」
「ゴウシ、神田さんは先輩ですよ。少なくとも経歴は、ね」
くすくすとトクサが笑う。どちらにせよ敵愾心はあるようで、勝手にやってろ、と神田は吐き捨てた。実際のところ大した興味もないのだ。アジア支部で会ったバクは随分と気に病んでいたようだが、教団がどうなろうと関係ないと言った言葉に嘘はない。身体能力に不備はない。湧き出す命は神田の性格にも六幻というイノセンスにも合っている。後者は少なからず、意図して添うように造られたものではあったが。
「神田さんはイノセンスに触れることが出来るんですね。羨ましいですよ。私たちは半AKUMAですから、どうしても触れなくて」
「AKUMAが壊せりゃ手段に是非はねぇだろ」
「ですが、ねぇ? イノセンスでも持っていれば、周囲の雑音も少しは減るんじゃないかと思いまして」
は、と神田は嘲笑した。
「てめぇらがそんなこと気にするたまか」
「もちろん気にはしませんよ。私たちはAKUMAを壊せれば、それで良いのですから」
トクサの表情が変わる。禍々しいそれは第三エクソシストとして宿したAKUMAか、それともトクサ本人の持つ顔か。神田には判断がつかない。それでもじっと、その変化を見守った。
「私たちはAKUMAが憎い。だからこそAKUMAを壊すために、半AKUMAとなったのです」
「本末転倒だな」
「ええ。それほどまでに憎悪が深いのですよ。エプスタイン北方支部長には感謝しています。AKUMAを屠る力を与えていただいて」
「それなら尚更違う。俺はAKUMAなんざどうでもいい」
「それは驕りですよ。AKUMAを壊すために造られたという、あなたの存在理由に反している」
「そんなもん造った奴らが勝手に言ってるだけだろ。人造使徒計画は頓挫した」
「けれどまた再開した。ならば神田さん、あなたは純粋種である第一エクソシストではなく、私たちの側の人間です」
いや、あなたは私たちと違って人間ですらありませんか。薄く開いたトクサの目が光り、神田は息を吐き出して座席に背を預ける。そんなことは今更だ。すべてが神田にとっては過去であり、割り切って捨てたものばかりだ。蒸し返されたところで不愉快にはなるが、揺らぐほどのこともない。瞼を閉じた闇に浮かぶ未来など、自分には到底有り得ないのだから。
「私たち、仲良くやっていけそうですね」
「・・・・・・そうだな」
頷けばトクサは笑い、ゴウシは鼻を鳴らした。列車はまだイスタンブールに到着しない。眺める車窓からの景色は、もはや大半が蓮の花で埋め尽くされている。それだけが神田は少し、残念だった。





存在意義など、そんなものは当に失った。
2009年5月5日