(榊監督のポジションに転生してしまった女性のお話です。なので苗字は榊で固定です。左記の設定が大丈夫な方のみどうぞ!)





ずるい? そんなの知ったものか。原作と違う? そんなの「榊監督」が女である時点で崩壊している。ならばどう動こうが自分の勝手だ。紙面の都合なんて考えてやるものか。だって、努力している姿を見てきた。我が校の選手たちだ。勝たせたいと思わないで、一体誰が監督だ。
あの子たちを勝たせるためなら、原作を変えたって構わない。





榊監督のポジションに転生してみる。





関東大会の一回戦。氷帝学園VS青春学園。そのオーダーが発表されたとき、青学の顧問である竜崎スミレは「しまった」と苦々しい顔を隠すことが出来なかった。交換された一枚の紙は、完全に青学のオーダーを予測したうえで組まれたものだ。氷帝はおそらく、シングルスにパワープレイヤーである樺地を持ってくるだろう。そうスミレは予想していた。それは正しかった。だからこそ青学はシングルス3に同じく力自慢の河村を置き、万全の態勢を敷いていた。そのはずだったが、氷帝はあえて対決を避けてきた。シングルス3には忍足侑士。そして樺地をシングルス2に持ってきたのだ。
「いかん・・・!」
思わず声が漏れてしまったのは致し方ないだろう。自分の教え子を疑うわけではないが、「氷帝の天才」と呼ばれる忍足の相手は、河村にはいささか荷が重い。自校の不二を見ても分かるように、天才と呼ばれる選手はそのプレーだけでなくゲームメイクが一筋縄ではいかないとされる。河村では忍足に勝つことは難しい。シングルス3は落とすか、とスミレはきつく掌を握りしめる。険しい表情で見つめる先、コートではダブルス2が行われていた。大石の怪我により、急遽オーダーを組み替えた急造のペアだ。菊丸と桃城。対して氷帝は、向日と芥川。スコアは3-3だが、菊丸がアクロバティック勝負を捨て、桃城のフォローに回り始めたことで青学に勢いが来ている。このまま行ければと、スミレはコートチェンジのため戻ってきたふたりの背を豪快に叩く。ちらり、視界の端で氷帝の監督、榊が緩やかに立ち上がるのが見えた。
「向日、あなたのテニスはこんなもの?」
青学には届かない、それでも氷帝の中には確固と通る声には、部長である跡部でさえも口を挟むことは許されない。繊細なストライプの入ったパンツスーツはコートにいささか不釣り合いだが、包まれた肢体にはこれ以上ないほど似合っている。妙齢の美しい女性、それが氷帝学園の監督、榊だった。
「急造のペアに振り回されて乱されるほど、あなたのテニスは軟なものだったの?」
「っ・・・」
「体力がないのを自覚しているのなら、それ相応の試合運びをしろといつも言っているでしょう。アクロバティックで振り回すべきあなたが、逆に振り回されてどうするの?」
唇を噛みしめ、俯く向日の顔には悔しさしか浮かんでいない。それでも榊は、顔を挙げなさい、と酷なことを命じる。監督の言葉には逆らえず、向日が嫌々ながらに視線を挙げれば、その先には落ち着いた瞳があった。冷ややかではない。冷静になりなさいと、ただ静かに告げてくる。
「負ければ、待っているのは一般部員からのやり直しよ」
びく、と向日の肩が震える。告げられたのは氷帝のルールであり、強さを順守する上で行われてきた競合だ。勝ち続ける限り、その者は強者だ。けれど氷帝は敗者を許さない。負けた者を待つのは一般部員からのリスタートであり、200人いる部員すべてを倒して勝ち上がらなければ、再びレギュラーの座を掴むことは出来ないのだ。ダブルス1で登場する宍戸は、それを為した。彼にはそれだけの力があった。だが、自分には。奥歯を噛みしめ、屈辱に震える手を向日は見下ろす。
―――自分は、負けたら勝ち上がれない。正レギュラーの座を掴んだ二年の秋から、約一年。同じ三年生たちとも明確についてしまった身長差、体格差。自分のこの小さくひ弱な身体では、もはや一から勝ち上がることは不可能なのだ。だから向日が正レギュラーであるためには、勝ち続けるしか道は残されていない。そのために向日は、シングルスという手段を捨てた。一対一じゃ勝てない。だからダブルスという道に、文字通り選手生命を賭けたのだ。
「自信を持ちなさい。うちで一番ダブルスが上手いのはあなたよ、向日」
特別に優しい声というわけではない。それでも導かれてやってきた。周囲から遅れ始めた向日に新たな道を指示したのが、監督である榊だった。シングルスは体格が良くなってからでも遅くはない。ならば今は、小柄だからこそ有していられる跳躍力を活かしたプレーをするべきだと。そう言ってくれた。だから向日はダブルスを組んできた。誰とでも言われるままにペアを組んできた。忍足とも日吉とも、ジローとも萩とも。組んで、勝利をしてきた。それはあなたの功績だと、榊は言ってくれたのだ。
「もう一度聞くわ。急造ペアに負けるほど、あなたのテニスは軟なものなの?」
「・・・いいえ。俺は、絶対に負けない」
「そう。その言葉、試合で証明なさい」
顔を挙げ、笑って見せたのは合格だったのだろう。冷静な表情の中にも僅かの微笑みを浮かべてくれた監督に、向日はにっと歯を見せて笑った。大丈夫だ、いくら大石の入れ知恵があろうと、実際にプレーするのは菊丸と桃城だ。私生活で仲が好かろうとダブルスはそれだけじゃ上手くいかない。度重なる理解があって、思いやりがあって、そして対抗意識があって初めて成り立つものなのだ。菊丸は桃城をフォローする形を取るようだが、それだけでは駄目だ。両者が互いに支え合ってこそのダブルスなのだ。それを教えてやるよ。ダブルスの先駆者として、ダブルスのみに希望を見出してきた者として、向日は決意を新たにした。そう、こんなところで負けるわけにはいかないのだ。
「それで芥川、あなたはいつまで向日に負担をかける気?」
榊の視線が、未だ半分近く夢の中にいるジローに向けられる。監督の言葉を受けたなら、もはやジローの覚醒も時間の問題だ。リストの柔らかい、天性のボレーヤーであるジローを如何に活かし、そしてまた自分を活かすか。向日はゆっくりと考え始める。
チェンジコートが告げられる。いってらっしゃい、という言葉はない。青学のように背中を叩かれて見送られるわけでもない。それでもベンチに監督がいてくれる、そのことがどれだけ氷帝部員たちの心の支えになるのか、きっと他校には分からないだろう。跡部でさえ、榊監督がいてこその存在なのだ。勝ちなさい。その一言に、向日は全力で返事した。





これでD2が勝って、D1が原作通り勝って、S3で忍足が河村に勝つから、氷帝のストレートで二回戦進出が決まる。そうすると手塚部長は肩を壊さないままで、後に青学の全国大会開催地枠出場が決定する。
2013年3月31日(pixiv掲載2011年10月12日)