朝目覚めたとき、コロネロはやけに心がざわついている自分に気づいた。
何かが起こると勘が告げている。気が急く。何かしなくてはいけないと思う。
こんな気持ちは初めてで、コロネロは居ても立ってもいられなくなり、苛立たしげにスケジュール帳を見直した。
彼の管理するマフィアランドに、今日来訪するファミリーは一つ。

噂に名高い『跳ね馬ディーノ』が率いる、キャバッローネ・ファミリーだ。





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マフィアランドに入島するには、必ず審査を受けなくてはならない。それは如何にドンらしいかを問うもので、賄賂の渡し方であったり密談の仕方だったりと様々だが、ディーノがそれをクリアー出来ないわけがなかった。部下がいないとへなちょこだが、逆に部下さえいれば彼はすべてオールマイティに物事をこなすことが出来るのだ。
それ故に今回の審査もたやすくパスし、キャバッローネ・ファミリーはマフィアランドへ入島することを許された。扉のすぐ傍で控えていたロマーリオがいなかったらどうなっていたのかは、初めての来訪時に結果が出ている。
「よぉ、跳ね馬」
ゲートを越えたところで声をかけられ、ディーノは驚いたように振り向いた。そこにはかつて一度だけお世話になってしまった赤ん坊がいた。
金髪と碧眼の幼いながら整った顔立ちをアーミールックでまとめ、相変わらず身の丈より大きなライフルを担いでいる。そんな相手に、ディーノは笑いかけた。
「久しぶりだな、コロネロ」
「シーズンでもないのに遊びに来るなんざ、ずいぶん暇みてーだなコラ」
「シーズンは混むからな。血の気の多い奴らばっかで揉め事も起きやすいし、少しずらした方がのんびり出来ていいんだよ」
「まぁな」
喋るコロネロは相変わらず小さい。まだ産まれて二年も経っていないことを考えれば当然かもしれないが、それでもディーノにしてみれば、こんなにも大きくなったのかという親にも近い感慨を抱いてしまう。二年前はまだ、彼女のお腹の中にいたというのに。
「今日は俺たちの他にどこのファミリーが来てるんだ?」
「今日来んのはてめーらだけだぜ。三日前からジョルジョ・ファミリーが来てて、明日にはヤコポ・ファミリーが帰るけどな」
「じゃあほとんど貸切か。それでコロネロ、おまえはどうしてここにいるんだ? 俺に挨拶に来たわけじゃないだろう?」
「表裏ともマフィアランドの管理人は俺だぜ。いちゃ悪いのかコラ」
「いちゃ悪いっつーか、むしろ好都合っつーか」
小さな声でそう呟き、ディーノは何かを考えるように腕を組んで首を傾ける。けれどコロネロが問うまでもなく結論を出したらしく、彼は甘いマスクでにかっと笑った。こういった面を見る度にコロネロは、ディーノが如何にドンに相応しい人間かを納得する。素直に褒めてやるのは癪だけれど、彼を教育した同胞もまぁまぁやるなと思ったりもする。
「よしっ! これもきっと何かの縁だろ」
「は? 一人で何言ってやがんだ、コラ」
「いいからいいから。おーい、ー!」
眉をしかめるコロネロを無視し、ディーノは少し離れたところで歓談しながら待っていた自身の部下たちを振り返る。黒いスーツ姿の男たちばかりだったそこから、譲られるように道を開けられて、一人の人物が歩み出てきた。
黒い髪に黒い目。黄色人種特有の肌。
――――――懐かしい歌が聞こえる。
「紹介するぜ、コロネロ。俺の愛人のだ」
「はじめまして」
ディーノの隣に並び、微笑んで女は言った。うるさすぎる鼓動が直接耳に聞こえる。
この女だと、コロネロは思った。この女が朝から自分を乱していた原因だと、コロネロは直感した。



最も古い記憶は、白い屋敷にも見える研究所で過ごした日々だ。
生まれたばかりの自分たちは、能力を把握するためにカリキュラムばかり与えられていた。
それに反発し、時に問題も起こしてやった。気に食わない腐れ縁の同胞たちも、そのときだけは互いに乗じあって世話係を追い出した。
そんな中、夜中に散歩に出たリボーンが、一人の女に抱かれて帰ってきた。人との接触を嫌うあいつが珍しいと思ったのを覚えている。わずかに感じた不愉快がうらやみだということは後で知った。
その女はメイドだった。自分たちアルコバレーノに子守歌を歌った。優しい声だった。
この女ならいいと七人の意見が生まれて初めて一致して、そいつを世話係に望もうとしたのに。
次の日の朝、メイドは屋敷から消えていた。それがコロネロが生まれて初めて怒りを覚えた出来事である。

今はもう顔も思い出せないけれど、もう一度会えたら思い切り怒鳴ってやるつもりだ。
そんなことをコロネロは、という名の女を前に思い返した。



キャバッローネの滞在は五日間だった。その間ディーノは常にを傍らに置き、ビーチや遊園地などマフィアランドにあるアミューズメントを次々と制覇していった。部下もそれぞれ好きに楽しんでいるらしく、ディーノは時々へなちょこの一面を覗かせたが、はそれに呆れることなく手助けし、楽しそうに笑っている。
キャバッローネのドンの女について派手な噂は聞かないが、それも当然だとコロネロは思った。というのは、そこらの女よりも器量が良い。この女がいるのなら他に愛人を作る必要はないだろう。そんなことを考えながら、コロネロは砂浜でのんびりと日光浴している彼らを、離れた場所から眺めていた。

確かめたいことがあった。
顔は覚えていない。霞がかかってしまっている。だから声を聞こうと思った。
その腕に抱き上げられればきっと分かる。

「おいコラ」
声をかけるのにためらうことなど、コロネロにとっては初めての経験だった。
振り向いた女の髪が揺れる。ディーノは部下と話があるらしく、今はは一人だった。夜の風がホテルの庭園に心地よさを運んでくる。
聞きたいことがあった。けれど胸の内の感情は曖昧で、何をどう聞けばいいのか分からない。だからコロネロは何の策もない、まるで本物の赤ん坊のような方法を取らざるを得なかった。
「・・・・・・ん」
両手を上へ向かって伸ばした。女の方へ向かって、まっすぐに。
恥ずかしいことをしている自覚はあった。きっと他のアルコバレーノがこの場にいたら、自分を指をさして大爆笑するだろう。顔から火が出そうなほどの羞恥を堪えつつ、コロネロはじっと女を見上げた。
そっと一瞬だけ女の顔が歪んで、次いで彼女は膝を折る。コロネロと目線を同じくし、伸ばされた小さな手を取り、そっと腕の中へと彼を収める。温かい熱と甘い香りが一気にコロネロの中に広がった。心臓がうるさい。今までの中で、一番うるさい。
「歌え」
「・・・・・・何を?」
「子守歌だ。日本語で歌えコラ」
頭を預ける肩口が柔らかい。頬が素肌に当たる。心地よいと、感じる。女が歌い始める。どうしようと、コロネロは思う。

どうしよう。この女が、あのときのメイドじゃなくてもいいと思ってしまった。
あまりに優しすぎた。心地よいと思ってしまった。
奏でられる歌は初めて聞くものだったけれど。

ずっとこうしていたいと、思ってしまった。



結局その夜、コロネロはディーノが呼びに来るまでずっとの腕にに抱かれていた。あのときのリボーンは、もしかしたらこんな気持ちだったのかもしれない。そんなことを思いながら、マフィアランドから去っていくキャバッローネ・ファミリーを見送る。
彼女があのときのメイドかどうかは分からなかった。だけど、それでいいとコロネロは思う。自分を抱いてくれた腕は、本当に本当に温かく優しかったから。
遠ざかっていく船を眺め、もう一度会えたらいいとコロネロは思い。
「・・・・・・あぁ?」
眉を、顰めた。



彼はつい先ほど別れたばかりの彼女の顔を、まったく思い出すことが出来なかった。
それはまるで、何かに邪魔をされるかのように。





どうして? どうして!
2006年6月13日