見上げれば鮮やかな自由。どんなに見えても手の届かない空。
かかる唯一の橋は七色にきらめき、その美しさは人々のすべてを奪いつくす。
虹の申し子、アルコバレーノ。
あなたたちの生が満たされたものであることを、遥かなる空へ永久に願うよ。





Con amore.





始まり、ですか。
そうですね、覚えています。ええ、とてもよく覚えていますよ。
学校から帰る途中、バスから降りたところで話し掛けられたんです。ええ、家まであと100メートルもないところでした。
私はその頃、並盛高校という県立の学校に通っていて、入学してまだ半年も経っていませんでした。
中学はブレザーだったから、高校のセーラー服がとても嬉しくて、いつもプリーツの裾を気にしていたのを覚えています。
何故かって? プリーツは座ったり何だりで崩れやすいんですよ。だからいつも気にして、バスでも立ってばかりでした。
その日も確か、席には座らなかったと思います。年間定期を見せて降りて、近くの信号まで歩こうとしたとき、隣にその車が停まったんです。ちょうど走っていくバスの後ろに、すごく自然に滑らかに。
大きくて黒い車だったからよく覚えています。今思うと外車だったのかもしれません。そう考えた方が納得できますから。
その車から降りてきた人は背の高いがっしりとした男の人で、四・五人いたと思いますけれど、全員黒いスーツを着ていました。その中の一人が私を見下ろして言いました。
「おまえがか?」
なんて横柄な言い方だろうと、今なら思います。だけどそのときの私は知らない男の人に囲まれて、明らかに外国人なのに日本語で話し掛けられて。怖かったのを覚えています。その理由も今なら納得できます。
「我々と一緒に来てもらおう。おとなしくしていれば手荒な真似はしない」
声は低くて、言われた内容は暴力を匂わせていて、一瞬で私は震え上がりました。泣きそうになりました。走って逃げようにも前にも後ろにも左右にも人がいて、彼らの雰囲気はとても恐ろしいものだったのです。
うっすらと涙を浮かべた私に、スーツの人は言いました。
「君の両親への話も済んでいる。素直に従えば待遇は保証しよう」
右から腕を引っ張られて、無理やり大きな黒い車に乗せられました。後部座席はやけに広くて、シートもとても柔らかかったけれど、それも今だから思い出せることです。
家まであと100メートルもなかったのに、私は帰ることが出来ませんでした。父や母に連絡しているという言葉だけを信じて、広い車内でひたすらに鞄を抱きしめていました。



何時間車に乗っていたのか、そのときは分かりませんでした。だけど今から考えると、二時間くらいだったのでしょう。私の家から一番近い空港まで、高速道路を使うとそのくらいでしたから。
車から降りたときはすでに、空は暗くなっていました。飛行機のジェット音がすごく近くて、体中に響くそれがとても怖くて。
促されるままに後をついていきました。周囲はやっぱりスーツの人に囲まれていて、売っているはずのお土産すら見えませんでした。
そのときの私はまだ震えていて、歩くのも精一杯で、それでもどうにかついて行った先はVIP用の待合室でした。
ええ、そうです。飛行機の搭乗を待つ人のための、普通のラウンジではなく要人用の待合室です。
その部屋は決して狭くなかったんですけれど、そのときは黒いスーツの男の人が何十人もいて、ずいぶんと狭く感じました。
をお連れしました」
私の前を歩いていた男の人が退くと、部屋中の視線が私に突き刺さりました。それが、もう、本当に怖くて。必死に堪えてきた分がもうどうしようもなくなってしまって、私はついに泣き出してしまいました。
恥も外聞もなく、声を上げて子供みたいに泣き出した私に、スーツの人たちは驚いたのでしょう。空気が動揺していたし、「泣かなくていい」や「不必要な暴力はしない」などの声も聞こえました。でもその言葉が逆に怖くて、私はますます泣いてしまいました。
いきなり知らない男の人、しかも外国人に車に乗せられて、説明もなく連れてこられたのが空港で、両親には話済みだと言うけれど、その証拠なんてよく考えればどこにもなくて。
当時ニュースを騒がせていた外国への拉致や、売り飛ばされるんじゃないか、殺されるんじゃないか。そんなことばかりが頭の中を占めていて、本当に怖くて怖くて仕方なかったんです。
しゃくりあげるのが止まらなくなった私の前に、誰かが膝をつきました。手の間から見えたのは、少し髪に白いものが混ざり始めた、やっぱり外国の男の人でした。
この人も黒いスーツを着ていたけれど、それはどこか他の人のものと違って、とても品が良さそうに見えたのを覚えています。
その人は低い位置から私の顔を見上げて言いました。優しい声でした。
「恐ろしい思いをさせて済まない。やはり多少の危険はあれど、私が行って説明すべきだった」
ざわりと、周りの人たちが動揺したみたいでした。
私は懸命に涙を止めようとして、でも止まらなくて、そんな私をその人はやっぱり優しいグレーの瞳で見上げました。
「私は、ティモテオ・ジュリーニ。イタリアマフィア、ボンゴレファミリーの九代目だ。君にどうしてもしてほしいことがあって、それをお願いするために日本へ来たのだよ」
映画の中でしか聞いたことのない単語を述べて、その人、ボンゴレ九代目は言いました。

。君にアルコバレーノを産んでもらいたい」

マフィアも、ボンゴレも、アルコバレーノも何が何だか分からなくて。そのときの私は、ただただ恐ろしい気持ちで一杯で。
優しい声のボンゴレ九代目だけが、私を救ってくれる人に見えたのです。



「先日、一人の青年が抗争の中で命を落とした」
スーツの人が私に紅茶を、ボンゴレ九代目の前にワインを置きました。ケーキもクッキーも並べてくれて、どうにか泣きやんだ私に席をすすめて、ボンゴレ九代目は話し始めました。
「彼は紫のおしゃぶりを持つアルコバレーノだった。アルコバレーノとはイタリア語で虹のことを示し、我々マフィアにとってなくてはならない存在だ」
どうしようと思って紅茶を見ていると、ボンゴレ九代目は笑って飲むように言ってくれました。お父さんとおじいちゃんの間のような、そんな印象を受けたのを覚えています。そして口をつけた紅茶が、とても美味しかったことも。
「彼らは名の通り、七人で構成されている。それぞれが虹に含まれる色のおしゃぶりを持ち、ヒットマンや軍人になってマフィア界のバランスを取っているのだ」
言葉は挟みませんでした。挟めるような話ではなかったし、すべてが初めて知ることばかりだったからです。
まるで映画みたいだと思いながら、私はその話を聞いていました。
「アルコバレーノは生まれながらに特異な力を有し、人並外れた知識を備え、最強の強さを誇る。そして彼らは死期は別々だけれども、生まれるときは必ず同時にしか生まれない。七人のアルコバレーノ全員が死ぬまで、次代のアルコバレーノは生まれないのだ」
まるで漫画みたいだと思いました。だけど飲み込んだケーキは美味しくて、それだけはちゃんと私に伝わりました。
「そして先日、最後の一人だった紫のアルコバレーノが亡くなった。生きているアルコバレーノはもはやおらず、彼らは再び七人揃って生まれる時期に入った」
「・・・・・・それで、私ですか?」
「そう。アルコバレーノを産むには普通の女性では無理だ。けれど、君は古い血統にイタリアマフィアの流れを汲んでいる。勝手に悪かったとは思うが、君の髪の毛を手に入れて鑑定もした。そして結果が出たのだよ。君ならばアルコバレーノを産むことが出来る」
正直、よく分からない話でした。マフィアも、ボンゴレ九代目も、アルコバレーノも。遠い話で実感することが出来ませんでした。
確かに私は、将来は結婚して子供を産むことになるんだろうと漠然と思っていました。でもそれは今ではないし、妊娠や出産を真剣に考えたことはありませんでした。
中学時代も、高校に入ってからも、恋人がいなかったのが理由の一つかもしれません。男の人を知らないからこそ、すべての話を遠く感じたのかもしれません。
私の中にマフィアの血が流れているというのも初耳でした。でもそれも実感はなくて、すべてがやっぱり映画のような話だったのです。
「アルコバレーノはマフィア界の均衡を司る、なくてはならない存在だ。だからこそどうしても生まれてきてもらう必要がある」
「私以外の人は産めないんですか? マフィアにも女の人っているんでしょう?」
「いるけれども、不可能だ。アルコバレーノは特殊な子供ゆえに、母体も選ばなくてはならない。七人のアルコバレーノに耐えられ、産み出すことの出来る強さが必要なのだ」
「でも私、子供なんて産んだことないです。結婚だって、彼氏だっていないのに、そんなこと言われたって」
「あぁ、そうか。そうだな、君はまだ若い」
まるで孫を見るみたいな優しい目で、ボンゴレ九代目は笑いました。
「妊娠と出産の大変さは、私たち男には想像することしか出来ない。けれどサポートは惜しみなくさせてもらうよ。それに君に無理やり知らない男と寝てもらおうなどとは考えていない。君の卵子を取り出して先代アルコバレーノの冷凍精子とを掛け合わせ、それを君の体内に戻す。いわば代理出産に近いだろう」
「代理出産・・・・・・」
聞いたことのある言葉だけれど、詳しいことは分かりませんでした。ただ、レイプされるようなことはなく、セックスせずに子供を産むということは分かりました。
だけど、七人。私は妊娠も出産も初めてなのに、そんなに産めるとは思いませんでした。
「君がアルコバレーノを一人産むにつき、百万ユーロ払おう」
ボンゴレ九代目の視線は真剣でした。私は1ユーロが日本円でいくらなのかさえ知りませんでした。
「もちろん全員産み終わった後の君の生活は、マフィア全体で保証する。学校に通いたいと思うならその手配を、南の島で暮らしたいというのならその手配をしよう。不自由はさせないつもりだ。ただし、一つだけ約束してほしい」
首を傾げた私に、ボンゴレ九代目は言いました。

「君が母親だと、アルコバレーノに名乗ってはいけない。彼らはあくまで特異な存在なのだ」

イエスもノーも、答えることは出来ませんでした。ボンゴレ九代目は優しかったけれど、私に選択肢などなかったのです。
促されるままに私は、その日のうちに日本を発つことになりました。
私は本当に何も分からないまま、母親になることを義務付けられたのです。



飛行機はファーストクラスでした。初めてでした。スチュワーデスのお姉さんが日本語で話し掛けてくれて、温かいスープをもらいました。
長い長い空旅でした。夕食も朝食も、軽い昼食も出ました。どれもとても美味しくて、だけど私はやっぱり不安で。
やっと足のおろせた地面はイタリアの地で、日本とは違う空気が珍しいと思うと同時に、得体の知れないものに感じられて、不安で仕方がありませんでした。
ボンゴレ九代目につれられて、また大きな黒い車に乗りました。黒いガラスの向こうに見えるイタリアの街は初めて見るものばかりで、こんな状況でさえなければ楽しむことが出来たのでしょう。けれどそのときの私は、泣き出さないようにするだけで精一杯でした。
「これから君をアルコバレーノの施設へと連れていく。そこはイタリアマフィアが協力して設立した、アルコバレーノのための場所だ。君にとってはホテルだと考えてくれればいい」
対面式の後部座席で、向かいに座っていたボンゴレ九代目はそう言って、私にお菓子を差し出してくれました。
「ルネッタだよ。イタリアではポピュラーな菓子でね、これがまたうまい」
そのお菓子は三日月の形をしていて、一口食べてみると確かに美味しかったのを覚えています。
「施設についたら軽い検査を受けて、再度君が母体になりえるか正確な結果を出す。もしも結果が良好ならば、すぐにでも取り掛かることになるだろう」
良好。不思議な言葉でした。私にとっては不良の方が望ましいのに、ボンゴレ九代目は良好になることを望んでいるようでした。
それは仕方がないのだと今なら分かります。彼らイタリアマフィアにとって、アルコバレーノはそれだけ必要な存在なのでしょう。
「君が望むことは出来る限り叶えるつもりだ。何かあるかね? 何でもいい、ほしい菓子や雑誌があれば日本から取り寄せよう。マタニティドレスも一流デザイナーに作らせよう。何、施設にもプールや図書館などいろいろなアミューズメントがある。君は基本的に自由に過ごしてもらって構わないのだよ」
とても良い条件のように思えました。代理母だからセックスすることもないし、七人の子供を産んだら七百万ユーロ、そのときの日本円で約十億円ももらえるんです。検査がどんなものかは分からないけれど、毎日は好きに過ごせると言うし、良い条件に思えました。
良い条件だと、思ってしまいました。
「・・・・・・じゃあ、あの」
「何かね?」
口を開いた私に、ボンゴレ九代目は笑いかけてくれました。
「・・・・・・えっと、あの、出来ればでいいんですけれど・・・・・・検査とか出産とかのスタッフを、女性にしてもらうことは出来ませんか」
「あぁ、分かった。すぐに手配しよう。他には何かあるかね?」
「ええと、じゃあ・・・・・・両親に、電話を」
そう言った私に、ボンゴレ九代目は少しだけ目を細めました。そのときの私にその意味は分からず、けれど彼が頷いてくれたのでほっと一安心したのでした。



イタリアの土地をまったく知らない私にとって、そこが何処だかなど分かりませんでした。ミラノやナポリの地名は知っていても、それがイタリアの何処にあるのかまでは知りませんでした。けれど車は二時間ほど走って、そしてようやく止まりました。
白い建物でした。三階建ての、白くて大きなお屋敷のような建物でした。
そうですね・・・・・・軽井沢にありそうなお金持ちの別荘、もしくはハウステンボスにありそうな洋館って言えば分かってもらえるでしょうか。
建物の周囲を囲う壁は高くて、五メートルくらいあって、門から建物までも100メートルくらいあって、庭もやっぱりお金持ちの庭みたいで。噴水がありました。芝生は短くきれいに刈り取られていて、植木はひよこの形をしていました。花もたくさん咲いていました。
重厚な木のドアが内側から開いて、前を歩いていたボンゴレ九代目が振り返り、私は招き入れられました。
「ようこそ、。我らイタリアマフィアの聖母【マリア】よ」
赤い絨毯が見えました。左右に並んでいるスーツの人、白衣の人、メイドさんみたいな人が見えました。
ここでようやく私は気づいたんです。本当にもう、拒むことは出来ないのだと。



「お初にお目にかかります、様。私はオルネッラと申します。様の身の回りのお世話をさせて頂きますので、何かありましたら何時でもお呼び下さいませ」
そう言って軽く頭を下げたのは、私よりも年上の、たぶん23・4歳の女の人でした。黒のワンピースに白いエプロンとヘッドドレスをつけていて、本当にメイドさんのようでした。
ブロンズの、日本人とは違う生まれつきの赤茶の髪がきれいで、とても素敵な人でした。
「よ、よろしくお願いします」
お辞儀すると、オルネッラさんは笑いました。少し柔らかくなった雰囲気に、私はとてもほっとしました。
「そんなにかしこまらなくて結構ですよ。この施設はアルコバレーノのため、つまりは様のためのものです。私たちも様のための存在なのですから」
オルネッラさんはそう言って、ずっと持ちっぱなしだった私の鞄をさりげなく受け取りました。学校指定じゃない普通の通学鞄が、なんだかとてもこの部屋に不釣り合いでした。遠くに来てしまったのだと、今更ながらに感じました。
「お風呂をご用意しております。その後は検査になりますので、検査衣の方へお着替え下さい」
はい。そう頷いた私を、オルネッラさんはお風呂に案内してくれました。部屋に備えられていたお風呂は大きくて、20人くらい入れそうなものでした。
手伝いを申し出てくれたオルネッラさんを断って、一人で体を洗いました。こぼれた涙は、すぐに排水溝に吸い込まれていきました。



頭からすっぽりと被るワンピースのような検査衣を着て、今度は処置室というところに案内されました。
ボンゴレ九代目にお願いしたからでしょう。そこには女性のスタッフばかりが揃っていました。
白衣を着た、おそらく女性医師がにっこりと微笑んで、私に席をすすめました。
最初は、問診でした。これからのことを考えれば当然のように、内容は生理に関わることばかりでした。
「初めて生理を迎えたのはいつ?」
「小学校六年生のときです」
「正確な日付は分かるかしら」
「誕生日の少し・・・・・・一週間くらい前でした」
「それからは定期的に毎月きている?」
「はい。遅れても一週間くらいできます」
「生理痛は重い方?」
「そんなことはない・・・・・・と思います。痛くて薬を飲んだことはないですし」
そんな質問をいくつかして、次は身体測定に移りました。身長・体重・胸囲・座高など、体のありとあらゆる部分を測られました。裸になるのは恥ずかしかったけれど、部屋にいる人すべてが女性というのに救われました。
他にも脈拍や採血、レントゲンなども取りました。性器の、触診なども行われました。
その最中、私はどうしても恥ずかしくて、黙っていることが出来なくて、医師の先生に話し掛けてしまいました。
「日本語、お上手なんですね」
先生はカルテに何かを書き込みながら、笑って答えてくれました。
「ええ、あなたが日本人ということで勉強したのよ。この施設にいるスタッフは程度の差こそあれ、みんな日本語が喋れるわ」
私のため。そのことがまた、私に逃げられないことを教えました。
私が思っているよりも事は重大で、大きなことだと感じました。怖かったけれど、もうどうしようもなくて。ただ不安だけが募りました。
だけど私は、逃げられなかったのです。



「おめでとうございます。やはり様はアルコバレーノを産むことが可能です」
先生の言葉に、ボンゴレ九代目がソファーから立ち上がって喜びました。振り向かれて、両肩を熱心に掴まれて、頼むよ、と言われた私はどうすれば良かったのでしょう。
逃げられませんでした。ここはイタリアで、私はお金もパスポートも持っていない、ただの無力な子供でした。
マリアなどではない、ただの平凡な子供でした。



その夜、オルネッラさんに国際電話のかけ方を聞いて、両親に電話をかけました。
電話に出たのは母でした。誰、と言われました。
代わった父は言いました。おまえはもう、うちの子ではないと。
一方的に切られて、その後何度かけ直しても繋がることはありませんでした。
両親が大金を積まれて私を手放したのだと、ずいぶん後になって知りました。



世界から見捨てられたような気がしました。
すべてが唐突で、私は中心にいるはずなのに、何故か選択肢などはなく。
囚われた子供でした。アルコバレーノを産むために必要な道具でした。
ならばせめて、少しでも多く産もう。そしてたくさんのお金をもらって、好きなことをして生きよう。
そう思えるようになるまで一週間かかりました。
流されるままにそのときの私は、すでに受精した卵子を子宮の中に宿していました。



私は愚かな母親でした。
名乗ってはいけないとう約束などなくとも、名乗る権利もない母親でした。



屋敷の中はいつも居心地が良かったのを覚えています。
私は管理されるままに適度な食事と適度な運動、適度な休息を与えられていました。
毎日先生による検診があり、その他の時間は好きなことをして過ごしていました。
オルネッラさんともずいぶん仲良くなりました。
不思議なもので勉強しなくてもいいと言われると、人は逆に勉強したくなるものなのですね。イタリア語と英語を教わって、少しずつ喋れるようになりました。
屋敷にいる人はみんな、私に親切にしてくれました。
たとえそれが私のお腹の中にいるアルコバレーノに対してだとしても、どうでもいいとさえ思えるようになっていました。



ボンゴレ九代目は、私の様子を見るために、たびたび屋敷を訪れていました。
その度に違うお菓子や洋服などを差し入れてくれて、私は彼の来訪を楽しみにしていました。
ボンゴレ九代目が数あるイタリアマフィアの中でも特に優れたドンで、ゴッドファーザーと呼ばれていることも知りました。だからこそ彼は全マフィアを代表して私に尽くしてくれるのだと、ようやく事情も飲み込めました。
「どうかな、。母子ともに元気かね?」
ボンゴレ九代目は紳士でした。彼を見ると毎年夏休みに遊びに行っていた祖父を思い出しました。両親は祖父母に私のことを何て説明をしたのでしょう。せめて叱られていたならいいと、その頃の私は思っていました。
「はい、おかげさまで。お腹もちょっとだけ出てきたんですよ。この中に七人もいるだなんて不思議ですね」
「まったくだ。妊娠と出産は女性だけに与えられた神聖なる行為だね」
「一緒にいるからでしょうか。少し可愛く思えてきたんです」
「そうか、それは良かった」
嬉しそうにボンゴレ九代目が笑いました。
少し出てきている私のお腹には、もう三ヶ月目になるアルコバレーノがいました。彼らは七つ子ではないのに、私のお腹に七人同時に存在しました。先生は、先代アルコバレーノの七つの遺伝子がそれぞれに受け継がれていると言っていましたが、詳しいことは覚えていません。覚える気も、その頃の私にはありませんでした。どうでもいいと、思っていました。
「もうプールには入ったかね?」
「はい、入りました。オルネッラさんがビキニを選んでくれて、ワンピースがいいって言ったんですけど、お腹が出てきたらビキニは着れないから今のうちだって言われて」
「確かに相撲取りのような腹で泳ぐのは無理かもしれないな」
「私も自分のことなのに、想像してつい笑っちゃいました。みなさん優しいし、シアタールームや図書館とかいろいろあって楽しいし、大丈夫です。私、平気ですよ」
笑いました。平気でした。何も恐ろしいことなどありませんでした。麻痺していたのだと今なら分かります。
ボンゴレ九代目は静かにまなざしを和らげて、私の肩を撫でてくれました。その頃の私は、涙などどこかに置き忘れていたのでしょう。ちっとも悲しくも寂しくもなくて、ただ毎日を与えられるままに過ごしていました。



アルコバレーノは普通の人間のように十月十日を経て、けれど特異なことを証明するかのように、七人ともが1000グラム以下の未熟児で産まれてくるのだと教わりました。
それでも7000グラムの赤ん坊が、私の中にいることになるのです。普通の子供が3000グラム前後で産まれてくることを考えると、双子程度の重さよ、と先生は言いました。
私のお腹はどんどん大きくなっていきました。だんだん歩くのも大変になってきて、うつぶせで寝ることは不可能になりました。
「ほら、これがアルコバレーノよ」
見せられた超音波写真の中では、よく分からないけれど塊のようなものが確かに七つありました。七つの命が私の中にあるはずなのに、それをどこか遠く感じていました。



四ヶ月目は、イタリア語を習っている間に過ぎていきました。
五ヶ月目は、日本にいたとき見ていたドラマをDVDで見ているうちに過ぎていきました。
六ヶ月目は、ぼんやりとしているうちに過ぎていきました。
気がつけばお腹はずいぶん大きくなっていて、妊娠しているのだと嫌が応にも実感せざるを得なくなっていました。



七ヶ月目に入った、最初の週のことでした。
いつものように屋敷を訪れたボンゴレ九代目は、いつもと違う人を後ろに伴っていました。
もちろんスーツの側近もたくさんいました。だけどその中でひときわ目立っていた彼は、私よりも少し年上くらいの男の子でした。
きれいな金髪で、甘くて格好いい顔立ちをしていて、喧嘩でもしたのか頬にうすい傷を負っていて、制服のような服を着ていました。
青い瞳と、目が合いました。きれいな色だと思いました。
「この子はディーノだ。私の同盟ファミリーであるキャバッローネの次期ボスだよ」
ボンゴレ九代目は、そう彼を紹介しました。その頃はもう、私はイタリア語を喋れるようになっていました。
ディーノは何か不思議なものを見るような目で私を見ていました。彼がきらきらと目を輝かせていた理由は、後で本人から聞きました。
「ディーノ、彼女がだ。アルコバレーノの母親だよ」
「はじめまして、ディーノさん」
お辞儀はせずに、握手の手を差し出しました。その頃の私は大分、イタリアの文化に慣れてきていました。
ディーノはパチパチと目を瞬いて、慌てたように自分も手を差し出しました。
「・・・・・・お会い出来て嬉しいです、
そう言ってにこりと笑い、私の手の甲にそっと口付けて、次の瞬間彼は絨毯に足を取られて顔面から転びました。
私は突然のことに驚いて唖然とし、ボンゴレ九代目はやれやれといった様子で肩をすくめ、あたふたと立ち上がろうとしたディーノは、今度はスリッパに足を滑らせて転びました。彼の形のよい鼻が真っ赤に擦り剥けてしまって、悪いとは思ったのですけれど、私は笑いを堪えることが出来ませんでした。
日本を離れてからお腹を抱えて笑ったのは、そのときが初めてでした。



ディーノはそれからというものの、三日を開けずに屋敷へと来てくれるようになりました。
お腹が大きくなって動くのが大変になり始めた私の話し相手として、ボンゴレ九代目はディーノを紹介してくれたのでしょう。
彼はとてもマフィアとは思えない優しい人で、格好もいいのに、どうしようもなくへなちょこな、駄目な可愛い人でした。
年がそう離れていなかったせいか、私たちはすぐに名前で呼び合うようになりました。
「アルコバレーノが生まれたら、ボンゴレ九代目はそれを俺の家庭教師につけるって言うんだ」
よく日の当たるサンルームで、何度もお茶をしました。強度防弾硝子は、紫外線も遮ってくれているようでした。
「今のキャバッローネ九代目はファミリーを傾けてるから、俺が立て直さなくちゃならねーんだ。だけど俺はこんなへなちょこだから、アルコバレーノに鍛えさせるってさ」
「赤ん坊が家庭教師?」
「赤ん坊は赤ん坊でも、アルコバレーノだからな。今から想像するだけで、どんな授業になるのか恐ろしいぜ」
ボンゴレ九代目は、ディーノは素質はあるけれど磨くことを知らないと言っていました。それをアルコバレーノに託すのでしょう。もしかしたら私のお腹にいる子たちは、産まれる前から何をするのか決められていたのかもしれません。
「なぁ、激しいスパルタは止めてくれよなー?」
私のお腹に向かって、ディーノは言いました。彼と一緒に笑いながら、私は七ヶ月目を過ごしました。



八ヶ月目に入ると、大きなお腹にも慣れて楽に過ごせるようになってきました。
超音波写真に映る塊も、ずいぶんと人の形になってきました。
お腹の中で転がるごろごろといった感覚が慣れず、世界中の妊婦さんって大変だと思ったのを覚えています。
きっと彼女たちは、愛する人の子供だからこそ大切に育んで産むのでしょう。じゃあ私は、どうして彼らを産むのでしょう。
そんなことをぼんやり考えていた頃に、ボンゴレ九代目がたくさんのマタニティドレスを持って屋敷を訪れました。
オルネッラさんが他のメイドさんたちと一緒にドレスを広げていく中で、ボンゴレ九代目は言いました。
「そろそろ、他のファミリーにも君をお披露目しようと思う」
その時点で私が会ったことのある人は、この屋敷の人と、ボンゴレ九代目と、ディーノと、彼らの側近だけでした。
「この施設を建設するのに協力し合ったファミリーの代表者を招き、パーティーを開く。何、恐れることはない。君はアルコバレーノの母親なのだから、我々にとっての母親も同じ。挨拶はしてもらうかもしれんが、後はソファーに腰かけていてくれればいい」
「挨拶をして、座っていればいいんですか?」
「あぁ。出席してもらえるかい?」
「はい、いいですよ」
了承すると、ボンゴレ九代目は安心したように笑いました。
その後はオルネッラさんやメイドさんたちと一緒に、当日着るドレスを選びました。ボンゴレ九代目の用意してくれた服はどれもカタログにも載っていない有名ブランドの特注品で、はたしていくらするのだろうと私はすごく気になりました。



お腹の中のアルコバレーノは、七人いるとは思えないくらい静かでした。
存在は感じるけれど内側からのリアクションはなく、私は重い荷物を腰に巻きつけているような気持ちでした。
七匹の子ヤギに出てくる石を詰められた狼のような、そんな気持ちがしていました。



イタリアに来て八ヶ月。髪が伸びました。スタイリストさんが毎月来て、きれいに切ってくれました。自分ではしたことのないカールやストレートパーマ、エクステもしてくれました。
メイクの仕方も習いました。オルネッラさんが真剣に化粧品を吟味して、私に似合うメイクを教えてくれました。
パーティー当日、人形のように飾られた私を見て、ボンゴレ九代目は何度も褒めてくれました。
「可愛いよ、。これでは会場中の視線を独占してしまうな」
たくさんあったマタニティドレスの中から、私は真っ白なドレスを選びました。裾と袖にフリルのついているそれは、ビーズとパールがとてもきれいでした。
今思えば、まるでウェディングドレスのようでした。きれいなきれいな、純白のドレスでした。
ぺたんこのミュールを履いて、私はボンゴレ九代目にエスコートされて、屋敷の中で最も広い大広間へと足を踏み入れました。
何百もの視線を向けられても、私は怖くありませんでした。シャンデリアの光と、スーツの黒と、絨毯の赤だけが目に入りました。いつもと違ってフォーマルな装いのディーノが手を振ってくれるのが見えて、私も笑顔で答えました。
案内された壇上で、私は白いふわふわのソファーに座らされました。大広間を埋め尽くす人を相手に、ボンゴレ九代目はマイクを通して話し掛けました。
『長きマフィアの歴史の中、このような時に立ち会えたことを誇りに思う』
静かでした。何百人の人がいるのに、とてもとても静かでした。
『我らに繁栄と安定をもたらすアルコバレーノ。消えた虹を再び空にかける瞬間を、我々はこの目にすることが出来るのだ』
スーツの中にぽつりぽつりと見える女の人のドレスを数えていると、ボンゴレ九代目が私の名を呼びました。差し出された手を取って立ち上がりました。大きなお腹がゆっくりと揺れました。
視界を埋め尽くすたくさんの黒。後にも先にも私がマフィアを下に見たのは、きっとこのときだけでしょう。
『紹介しよう。我らがマリア―――
マタニティドレスをつまんで、映画の中のお嬢様のように一礼をして見せました。途端に湧き上がった拍手に、笑顔を浮かべて見せました。
挨拶のために譲られたマイクを前にして、大きく息を吸い込んで。
『はじめまして、イタリアマフィアの皆様―――・・・・・・』
私は、挨拶を始めました。華やかな夜のことでした。



そのパーティーで、私は本当にボンゴレ九代目の言った通り、座っているだけで何をしなくとも事足りました。
喉が乾いたと言えばジュースを、小腹が減ったと言えば食事を、すべて控えていたオルネッラさんが持ってきてくれました。いつもに増して動かない私に、動かなくていいのだとオルネッラさんは言いました。その意味はすぐに分かりました。
「はじめまして、。私はリモーネファミリーの11代目、ドナート・ティエポロと申します」
「私はヴォルぺファミリーの八代目、マウロ・ラヴァージオです。以後お見知りおきを・・・・・・」
壇上のソファーに座っている私の元に、次々と人が挨拶に来ました。最初は覚えようと頑張っていたのですけれど、それを途中で諦めざるを得なくなるほどの人が挨拶に来ました。
私と同年代の少年を伴っているドンも多く、彼らはイタリア紳士らしく私の手を取り、優雅に口付けていきました。
「よぉ、お疲れ」
ディーノが私のところに来たのは、パーティーが始まって二時間近く経った頃でした。何度も繰り返される挨拶と単調な会話に退屈していた私は、キャバッローネ九代目との挨拶もそこそこに、すぐにディーノと話を始めました。
「そのドレス、きれいだな。にすごく似合ってる」
「ディーノこそ、スーツ姿って初めて見たよ。そういうのも似合うね」
「Grazie. それにしてもここ、すっげー視線を感じるな」
「視線?」
首を傾げた私に、ディーノは肩をすくめて、少し照れたように笑いました。
「さっきから同じ年頃の奴らばっか紹介されてるだろ? あれ、を自分の息子の妻にするためにボスたちが連れてきてるんだぜ」
「・・・・・・妻って、私を?」
「あぁ。名乗れはしなくとも、はアルコバレーノの母親だ。身内にしといて損はないってことだろ」
ディーノの言葉は正論で、マフィアがそういったもので構成されていることを知り始めた私は、納得すると同時にやっぱり少し不愉快でした。
「まぁ、でも、うん。そんなことなくても俺は・・・・・・のこと、可愛いと思うけどさ」
小さな声に驚いて顔を上げると、そっぽを向いていたディーノは自分のシャツにジュースをこぼしていました。慌ててグラスを立て直そうとして尚更シャツを染めていく彼に、私は笑みを堪えられませんでした。優しい、人でした。



時間にしたら、もうそろそろお開きの頃合だったのでしょう。壇上に戻ったボンゴレ九代目はマイクを握ろうとして、けれど何に気づいたのか眉を寄せました。何だろうと見ていると、一分もしないうちに扉が音を立てて開き、スーツの人が駆け込んで来ました。その人が真っ青な顔で何かを叫ぼうとするのを、私は壇上のソファーから眺めていました。
何か大きな音がして、ガラスが真っ白に染まりました。ざわついた人たちの上げる声がうるさくなる中、次に打ち込まれたものはガラスを粉々に砕いて中と外を繋げました。聞こえたのは悲鳴ではなく、怒号でした。
「パッジファミリーですっ・・・! 奴ら、同盟ファミリー全部引き連れて来やがりました!」
カシャンと、近くで音がしました。オルネッラさんがワンピースの裾の下から、拳銃を取り出していました。見れば大広間にいた人たちは全員、それぞれに武器を取り出していました。その顔は一瞬前までのパーティーのときより、ずいぶん楽しげに見えました。
ボンゴレ九代目はすぐに私を立たせ、落ち着かせるように両肩に手を置いて言いました。
、君は今すぐシェルターに避難しなさい。奴らの目的は君の中にいるアルコバレーノだ。彼らを絶対にパッジファミリーに渡してはいけない」
パッジファミリーがアルコバレーノを独占し、イタリアマフィア界に君臨しようとしていたと知るのは、ずいぶん後のことでした。
そのときの私はただ、割れたガラスと、初めて目にした拳銃と、だんだん近づいてくる悲鳴を認識するだけで精一杯でした。
「XANXUS」
ボンゴレ九代目がそう言うと、途端に黒い人たちが私を取り囲みました。六人全員がそれぞれに黒いコートを着ており、リーダー格らしい男の人は、顔に傷跡がありました。
をシェルターへ。その後、おまえたちはの護衛を第一に考えて応戦しろ」
「了解」
男の人が答えると、六人の中でも一際大きな人が私を抱え上げました。ガスマスクをつけた顔が間近に見え、今思えば恐ろしかったのかもしれません。
けれどそのときの私は、初めて聞く銃声だけで精一杯でした。漂ってくる鉄の臭いだけで、精一杯でした。
彼らは私をかついでいるガスマスクの人を中心に、ものすごい速さで大広間から駆け出しました。
赤い絨毯が、異なった赤に染まっていました。マシンガンのような連続音、映画の中でしか聞いたことがありませんでした。揺れる屋敷が怖くて、マフィアという言葉を、今更ながらに実感して。
押し入れられた地下のシェルターは、明かりすらない場所でした。
「終わるまでそこで待ってなさい。死んだりしちゃダメよ?」
男の人の声がそう言って、あたりは静かになりました。
一度だけ叩いたシェルターの扉は、振動さえ届かないほどの厚さでした。



シェルターの中は闇でした。私はそこで、一人で膝を抱えていました。大きなお腹が邪魔をして、不格好な座り方だったことでしょう。
まぶたの裏に思い出される映像は、大広間での華やかさではなく、武器を手にして笑ったマフィアたちの顔でした。
ディーノが銃を持っていました。あんなにへなちょこなのに、彼は銃を構えました。
オルネッラさんが銃を持っていました。あんなに素敵な人なのに、彼女は銃を構えました。
マフィアは銃を持っていました。祝福をした手のひらで、彼らは銃を構えました。
私がこの八ヶ月の間、どんな世界にいたのかを、ようやく、ようやく、理解しました。
そしてやっと気づきました。彼らは私など必要としていない。
彼らが望むのは、私ではなく、私の中にいるアルコバレーノなのです。
遅すぎる実感でした。私はもっと早くに気づくべきだったのです。
この世で私はもう、一人きりなんだということを。



指さえ見えない闇の中、私は母を考えました。あの人は今、何をしているのだろうと考えました。
手さえ見えない闇の中、私は父を考えました。あの人は今、何をしているのだろうと考えました。
腕さえ見えない闇の中、私は友を考えました。彼らは今も元気なのか、どうしているのか考えました。
膝さえ見えない闇の中、私はディーノを考えました。彼は今も銃を握っているのか考えました。
足さえ見えない闇の中、私はマフィアを考えました。彼らは今も殺し合っているのか考えました。
己さえ見えない闇の中、私は私を考えました。私はどうしてここにいるのか、生きているのか考えました。



何もない中で考えました。
私はきっともう、死ぬまで一人なんだろうと。



「・・・・・・?」
それを感じたのは、そのときでした。
何かが私を叩きました。とても弱いけれどしっかりとしたそれは、確かに私以外の誰かでした。
周囲を手で探ってみても、やっぱり誰もいませんでした。だから気のせいだろうと思おうとした私を、もう一度それは叩きました。

お腹の中から・・・・・・きっと、小さな・・・手で。

「・・・・・・っ」
言葉にならない感覚でした。今まで一度もなかったことでした。小さな接触が今度は少し違う位置から、けれど弱くありました。
七つ、ありました。小さな手の感触を、体の内で感じました。
私はそのとき、はじめて、はじめて。
小さな命が確かに七つ、私の中にあることを感じたのです。



どんなに恐ろしくてもいい。呪われた赤ん坊だろうと関係ない。
この子たちを産みたい。
七人一人残らず私の子だと、強く強く思いました。





愛しているわ、かけがえのない私だけの子供たち。





パッジファミリーの襲撃が収まったのは、私がシェルターに入れられてから三時間近く後のことだったようです。ボンゴレ九代目が扉を開け、私を迎えに来てくれました。
けれど私は、その間の時間をまったく恐ろしいとは思いませんでした。
大きなお腹を抱きかかえ、温かな七つの命を感じながら、穏やかに子供たちと話していました。
今までずっと静かだった彼らは、私が話し掛ければ雄弁に答えてくれました。言葉はまだ通じないけれど、優しく撫でれば小さなリアクションを、試しに叩いてみれば同じようなリアクションを、しっかり私に返してくれました。
愛しさが溢れました。今まではまったく感じなかった愛情を、私は彼らに抱いていました。大切な大切な私の子供たち。一日も早く会いたいと、毎日毎日思いました。



九ヶ月目は、子供たちと過ごしました。今までの人生の中で、最も優しい時間でした。
母親だと名乗れないのならせめて、元気に産みたいと思いました。
彼らの生が幸せであるように、永久に祈ろうと思いました。



ついに来た十ヶ月目。周囲はだんだんとそわそわし始め、もしかしたら私が一番落ち着いていたのかもしれません。
先生方はいつでも大丈夫なように準備をし、オルネッラさんは私から目を離さないようになりました。ボンゴレ九代目もディーノも気が気ではないようで、毎日電話をくれました。
私は何となく分かっていました。お腹の中の彼らは、きっと準備が出来たなら自分たちから教えてくれるだろうと、分かっていたから毎日を安心して過ごしていました。
出産は万全を期したいとのことで、出産に立ち会う医師はDr.シャマルになりました。彼はボンゴレ九代目が懇意にしているすご腕の医師だと聞きました。男の人でしたけれど、その頃の私は、もう先生が男だろうと女だろうとどちらでもいいと思うようになっていました。七人全員を無事に取り上げてくれる人ならどんな人だろうと構わない。そう思うようになっていました。
Dr.シャマルは少しキザで、話の上手な人でした。



少しだけ寂しかったのは事実です。私は産まれてくる子供たちに母親と名乗れないのですから。産まれてしまえば、それで終わり。もう彼らに関われなくなると思うと、寂しくて仕方ありませんでした。
だからせめて彼らに祝福を。七人全員を元気な姿で産むことが、私から彼らにできる唯一のことだと思いました。



その日はとても自然に、穏やかに訪れました。
お腹の中にいる子供たちの声が、とてもよく聞こえてきました。まだ姿も見ていないのに、抱きしめられる気がしました。
Dr.シャマルがすぐに手配をし、私は分娩室へと移されました。
教えられた通りのラマーズ法で、教えられた通りに力を振り絞って。
私のお産は始まりました。



痛かったし、苦しかったし、大変だったけれど。
これ以上の喜びは決して存在しないでしょう。
一人産むことが出来たたび、私は涙を流しました。
それは最高の幸せでした。



大きかったお腹から質量が消え、私の体から優しい気配が消えました。
疲労と負担のせいで今にも意識を飛ばしそうになりながら、私はDr.シャマルに尋ねました。どうしても聞かなくてはならないことでした。
「先生・・・・・・私の子は」
私の子は全員、元気ですか?
そう口にした私に、Dr.シャマルは笑いました。彼も私も汗だくで、額に前髪がくっついていました。
「あぁ、七人とも元気だ。後はこっちで引き受けるから、おまえさんは今は寝とけ」
おつかれさん。そんないたわりの言葉をもらい、私はゆっくりとまぶたを閉じました。嬉しくて嬉しくて、今までの人生の中で最も幸福な時間でした。
イタリアに来て良かったと、心の底から思いました。



次に目を覚ましたとき、へこんでいる自分のお腹を見て、喪失感が私を襲いました。
けれどこれで良かったのでしょう。彼らを産み出せたという幸福感の方が、ずっとずっと大きかったからです。
けだるい体を起こしていると、オルネッラさんが手を貸してくれました。アルコバレーノを産み終わった私にも、彼女はとても優しくしてくれました。
用意された軽食をベッドの上で食べながら、私はぼんやりと今後のことを考えました。
アルコバレーノを産んだ今、もう私はここにいる意味がないのでしょう。ならばまだ庇護をしてもらえるうちに、ここを出て行こうと決めました。
その日の午後、ボンゴレ九代目が屋敷を訪れました。私のところへ来る前に、あの子達を見てきたのでしょう。とても嬉しそうな彼は私の手を何度も握り、感謝の言葉を繰り返しました。子供たちの顔を知らない私は、彼を恨めしく思いました。
「ボンゴレ九代目。私、イタリアに住みたいんです」
そう告げると、ボンゴレ九代目はゆっくりと目を瞬いて、手にしていた紅茶のカップをソーサーへと戻しました。おいしい紅茶においしいケーキ。もうすぐお別れかと思うと残念だと感じました。この十ヶ月はまるで夢のような生活でした。至れり尽くせりだったけれど、それ以上に大切なものを私は得ることが出来ました。
「日本にはもう帰る意味もありません。それなら私は、もっとイタリアのことを知りたいんです。いずれは学校に通って、将来何がやりたいのかじっくり考えたいと思います」
「そうか・・・・・・分かった。もちろん協力は惜しまない。君はアルコバレーノを七人とも五体満足に生んでくれた。口座はすでに用意し、七百万ユーロも振り込んである。新しい住処や学校、必要ならメイドなどもすべて手配しよう」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。しばらくは一人でやってみようと思ってます」
柔らかな十ヶ月でした。もっと一日一日を大切にすればよかったと、今になって思いました。けれどもう、私はここに必要ないのです。あの子達にとっては赤の他人以下、おそらく最低限の接触も出来なくなるのでしょう。分かっていました。分かっていたからこそ、一人になりたくなりました。あの子達のことを思いながら、静かに時を過ごしたいと思いました。
「私には監視がつくのでしょう? おとなしくしているつもりですから、心配しないで下さい。ボンゴレ九代目やディーノに会えなくなるのは少し寂しいですけれど、どうかお元気で」
正直な言葉でした。けれどそれを口にするとボンゴレ九代目はとても悲しそうな表情をし、大きな手のひらで顔を覆い、深い深い溜息を吐き出しました。
「・・・・・・すまない。我々は本当に、君から多くのものを奪ってしまった」
今更の台詞でした。思わず笑ってしまうほどに今更の台詞でした。
「いいえ、気にしないで下さい。確かに私はたくさんのものを失ったけれど、それ以上に得たものの方が多かったです」
そう、何よりも愛しい子供たちを得ることが出来ました。もう一緒にいることは出来ないけれど、彼らがどうか少しでも幸せになれるように祈りたいと思いました。
「ボンゴレ九代目。私の最後のわがままをきいて下さい」
顔を上げた彼に、私は告げました。十ヶ月目はこうして過ぎていきました。



初夏を迎えた晴れた日に、私は屋敷を去ることを決めました。
七人の赤ん坊を写した一枚の写真だけを、大切に大切に抱きしめながら。



屋敷で過ごす、最後の夜でした。プールも図書館もシアタールームも、すべての部屋を見て回りました。ディーノと過ごしたサンルームで、最後のケーキを味わいました。
お世話になった先生やメイドさん、警備の人など、すべてにお礼を言いました。オルネッラさんには明日最後に、と言うと彼女はくしゃりと顔を歪めました。そんな表情もきれいな人でした。最初から最後まで、私は彼女にお世話になりっぱなしでした。
最後の晩餐はとても豪華で、シェフは私のおいしいと言った料理ばかり作ってくれました。給仕してくれる方もみんな優しく、気を抜けば泣いてしまいそうでした。私はこの屋敷で過ごすことが出来て本当に幸せだったと、唇をかみ締めながら感じました。
屋敷にあった洋服などは、すべてボンゴレ九代目が新しいアパートに移し変えてくれました。家具などはカタログを見て、好きなものを選ばせてくれました。3LDKのアパートが、明日からの私の家になるのです。寂しさと僅かながらの期待。それらを抱いて最後の夜を過ごしました。
静かな夜でした。庭から聞こえる虫の鳴き声がよく響いて、空の月は雲に隠れず、締めくくりに相応しい夜でした。
皆が寝静まり、気配すらしない廊下を私は一人歩いていました。誓って言えます。他意はなかったのです。ただ私は忘れていた本を図書室に返しに行った、その帰りだったのです。静かな静かな夜でした。

「おまえ、誰だ?」

そのときの私の衝撃が、歓喜が、泣きたかった気持ちが分かりますか?
体中が震えました。魂から揺さぶられました。せり上がってくる涙を必死で堪えました。
小さな小さな影が、月明かりしかない廊下にありました。
鼓膜を震わせた、子供よりも幼い声。姿を見なくとも分かりました。この屋敷で赤ん坊といったら、七人しかいなかったからです。
闇の中から、その子は一歩出てきました。黒い髪に、大きな黒い瞳。写真に写っていた、アルコバレーノの一人。私の息子。名前は、確か。
「・・・リボーン・・・・・・」
私の呟きに、彼は眉を動かしました。赤ん坊ながらにとても整った顔をしていました。
私には全然似ていなくて、きっと先代アルコバレーノそのままでしょうけれど、それでもちゃんと分かりました。この子は紛れもない、私が産んだ私の子です。
「おまえ、俺のことを知ってるのか?」
高い声でした。乱暴な言葉遣い、生まれつきのものなのか少し疑問に思いました。愛しさが止まりませんでした。その姿をもっと近くで見たくて、私は膝をつきました。
「・・・・・・知ってるよ。あなたはリボーン。黄色のアルコバレーノでしょう?」
「そうだぞ。おまえはここの関係者か?」
「うん、メイドなの」
嘘をつきました。母親と名乗ってはいけないという約束通り、私は息子に嘘をつきました。
「こんな時間にどうしたの? お世話係の人は?」
「いなかったぞ。目が冴えたからな、散歩をしてたんだ」
「そうなの? でもあなたがいないことに気づいたら、きっとすごく心配するよ」
送ってあげるから部屋に戻ろう? そう言った私は、うまく笑えていたでしょうか。涙に歪んでいなかったでしょうか。
じっと見上げてくるリボーンの瞳は、吸い込まれそうなくらいきれいでした。星を映したかのように、きらきらと輝いていました。
「ん」
差し出された両手はとても小さくて、私は彼が何を欲しているのかすぐには分かりませんでした。けれど一歩近づいてきたリボーンが私の体に抱きついて、ようやくだっこを望まれているのだと気がつきました。
よいしょ、と掛け声をかけながら立ち上がった私は、腕の中の温かい体に今にも泣き出してしまいそうでした。お腹の中にいたときとは違う、初めて触れた、我が子でした。
愛しくて愛しくて堪らなくて、このまま逃げてしまいたいとさえ思いました。



ゆっくり、出来るだけゆっくり向かった先では、やっぱりお世話係の人が青い顔でリボーンを探していました。
その人は私に気がつくと怪訝そうな顔をして、私に抱かれているリボーンを見つけるとはっとしたように駆け寄って来ました。
とてもとても名残惜しかったけれど、私はリボーンを渡そうとしました。ここで余計な疑いをかけられて、ただでさえ触れられない今以上に彼らとの関わりを減らされたくなかったのです。
けれどリボーンは、その手を放しませんでした。お世話係の人がだっこをしても、小さな手は私の服を掴んだままでした。
泣きそうだから止めてほしいのに、でも放してほしくなくて、抱きしめたくて、でもそれも出来なくて。
「おまえが寝かしつけるなら、おとなしく寝てやってもいーぞ」
リボーンの目は、本当に吸い込まれそうでした。顔を歪めたらしい私の袖を掴む手を、彼は一層強いものにしました。
普通の赤ん坊では考えられない力は、リボーンがアルコバレーノだからでしょう。でもそのときの私は泣き出さないように、抱きしめないようにするだけで精一杯でした。
何分か経っても諦めないリボーンにどうしようもなくなったのか、お世話係の人が小さく「どうぞ」と私に囁きました。案内されたそこは、広い、天窓のある部屋で。
そこにはカラフルなベビーベッドが七つ、円を描いて並んでいました。
心臓が音を立てました。大きくなっていく鼓動の中、リボーンが黄色のベッドに寝かされました。赤から始まり、橙、黄、黄緑、緑、青、紫。虹の七色。アルコバレーノ。
―――私の、子供たち。
「子守歌でいーぞ」
リボーンからのリクエストでした。気がつけば寝息は聞こえず、色の違う七対の瞳が、私をじっと見つめていました。
泣いてしまいそうでした。写真でしか見たことのなかった彼らが、十月十日共にいた彼らが、私が確かに産んだ彼らが、そこにいました。
堪えきれずこぼれた涙をうつむいて拭いました。その際に紫のベッドにいる赤ん坊と目が合いました。この子はスカル。私が産んだ、七番目の子。他にもいました。私の産んだ子が、七人全員。
神様に感謝したいと思いました。これはご褒美なのかもしれない、そう思わずにいられませんでした。会えないと思っていたのです。彼らにはずっと、一生、会えないと思っていたのに。それなのにこうして今、彼らは私の前にいる。
この世のすべてに感謝しました。人生で何よりの贈り物でした。
もう一度涙を拭って、今度は笑って顔を上げました。
円を描いているベッドの中心に立ち、愛しい息子たちを見回しました。この子たちのためなら何だって出来る。強くそう感じました。
「私の母国の歌でいい?」
「何でもいいぞコラ」
「母国ってどこ?」
「アジアのね、日本っていう国。四季がきれいなの。いつかあなたたちも行ってみるといいよ」
懐かしい祖国。幼い頃に歌ってくれた母親にはもう会えないだろうけど、その歌を私は彼らに歌い継ぐことができました。
穏やかなメロディーが眠りを誘ったのか、三曲も歌わないうちに彼らはすやすやと可愛らしい寝息を立て始めました。
いまにもくっつきそうなまぶたを堪え、リボーンが私に問いました。
「おまえは・・・・・・メイドなんだな・・・?」
うん、と私は頷きました。リボーンはむにゃむにゃと寝言のように言いました
「じゃぁ・・・・・・あすも、こい・・・。おまえがいるなら・・・ぉとなしくしてやってもいぃ・・・ぞ・・・・・・」
最後の方は間伸びしていて、少し聞き辛かったけれど、それでも言われた内容は理解しました。だからこそ私は笑いました。
黄色のベッドに近づいて、無邪気な寝顔を見せるリボーンにそっとキスを落としました。
「・・・・・・あなたに限りない祝福を」
他の六人にも同様に、祈りとキスを贈りました。とてもとても幸せな夜を過ごし、次の日の早朝、私は屋敷を去りました。



何度でも言います。私は後悔していません。
呪われた赤子だろうと関係ない。あの子たちは私の子です。私のかけがえのない子供たちです。
誓って言えます。私はあの子たちを愛しています。





大空にかかるアルコバレーノ。
色鮮やかな我が子たちに、永遠の愛を!





・・・・・・え? それから私がどうしたのかですか?
屋敷を出た私は、そのままの足で新しいアパートに向かいました。ボンゴレファミリーの治める、景色のきれいな街でした。管理人さんに挨拶をして部屋に入ると、すでに家具から食材まですべてのものが揃っていました。ボンゴレ九代目は義理固く、とても優しい人でした。
一人で生活を始めて半年間は、家事やイタリアの街に慣れながらゆっくりと過ごしました。今はインターナショナルハイスクールに通っています。年齢からすれば一つ下の二年生から新たに勉強を始めました。友達もたくさん出来ました。今度の休みには一緒に買い物に行く約束もしてます。
マフィアとも、ディーノからときどき電話をもらい、ボンゴレ九代目と食事を一緒にしたりなど、細々とですが縁は続いています。
あぁ、そうそう、今度マフィアランドに連れて行ってもらえることになったんです。ディーノの話では、あそこには今コロネロがいるらしいので、姿がほんの少しでもいいから見れたらいいなと思っています。そんなところです。ええ、毎日楽しく暮らしていますよ。だから何度も言ってるでしょう? 私は後悔なんてしていません。あの子たちは私の自慢なんですから。



愛しい私の子供たち。
あなたたちの母になれたことを、永久に誇りに思うよ。
I miei figli,Arcobaleno.(私の息子、アルコバレーノ)





そうね、出来るならいつか、もう一度・・・・・・あなたたちに会いたい。
2006年6月11日