千石清純の趣味は、可愛い子ウォッチングである。いや、可愛い子に限ったことではない。千石は女の子という性別だけで大抵の子を愛せる自信があったし、実際に女の子であるというだけで異性を可愛いと心から感じている。だからこそ彼にとって、女性に声をかけないというのは失礼にも程が行為だった。可愛い子を讃えて何が悪い。一緒にお茶が出来たら僥倖。恋人になってほしいと望まないわけではないけれど、部活もあるし、今は特定の誰かを作る気はない。時々一緒にお話をして、楽しく盛り上がり、そして可愛い女の子が更に可愛い笑顔を浮かべてくれたなら、それだけで満足である。ナンパ野郎と言われることの多い千石だが、彼は意外と欲のない人間だった。彼にとっての幸せとは、女の子の笑顔なのである。
「ねぇ、そこの君! 浮かない顔してどうしたの? 可愛い顔が台無しだよ」
部活を終え、地元駅で改札を抜けたところで目に入った相手に、千石はとても自然に話しかけていた。それはもはやコンビニエンスストアの店員が自動ドアを開けて入ってきた客に「いらっしゃいませー」と言うのと同じくらいの当たり前さだった。相手は自分が話しかけられていると分からなかったのだろう。暗い顔をしたままバス停へと向かってあるいていて、千石はラケットバッグを揺らして彼女へと近づいた。隣に立って初めて、気が付いたのか少女が顔を上げる。お、やっぱり美人さん。センサーが正しく働いたことに満足しつつ、千石はにこっと笑いかけた。
「暗い顔して、何かあった? せっかくの綺麗なのに勿体ない」
「え?」
「俺で良かったら話を聞くよ?」
ぱちりと目を瞬いた少女は、黒髪の艶が見事な、整った顔立ちをしている。可愛いというよりも綺麗系で、余り目立つタイプではないが密かに人気がありそうだ。上から下までさっと検分すれば、ブラウスの胸元に縫い付けられているエンブレムでどこの学校の生徒か知ることが出来た。名門中の名門、氷帝学園だ。中等部と高等部では制服のデザインが違うから、このネクタイは中等部。うん、跡部君と一緒だし間違いない。知り合いの氷帝生を思い出しながら、千石はひとり小さく頷いた。
「・・・ナンパ?」
綺麗な顔が少しばかり歪められて、違う違う、と千石は両手を振った。
「君が浮かない顔してるから気になってさ。ナンパじゃないって」
「・・・」
「俺、千石清純。山吹中の三年、ちなみに健全なスポーツ少年! 俺で良ければ話を聞くよ? 悩みとかさ、分かんないけど、関係ない第三者の方が話すのも楽じゃない?」
ちなみにこのときの千石の心情は、綺麗な女の子とお話がしたいが四割、女の子の憂いを取り除きたいが四割、腹が減ったからどっかで何か食べていきたい女の子と一緒ならなお美味しく食べれるが二割だった。とても健全で紳士的な思考回路である。氷帝の少女は眼差しを伏せて何か考えていたが、千石は急かすことなくじっと待った。待つのもまた、ナンパを成功させる秘訣である。睫毛長いなぁ美人さんだなぁ氷帝って可愛い子多いしそんな中のひとりと会えて俺ってラッキー。千石はそんなことを考えながら時間を潰すことの出来る男である。
「・・・本当に話、聞いてくれる?」
身長差から少しだけ上目使いになり、尋ねてくる少女には綺麗だけでなく可愛らしさまで相俟っており、もちろん、と千石は大きく頷いた。
「誰かに話したりとかしない?」
「約束するよ。俺は女の子との約束は絶対に破らないから。そこのファミレスでどう?」
「ファミレスだけだからね。それ以外はどこにも行かないから」
「もちろん! 俺は君に笑ってもらえたらそれで十分だよ」
名前、聞いてもいい? 尋ねれば、少女はほんの僅かに沈黙した後で、と名乗った。どこかほっとしたような笑顔に、可愛いなぁ、と千石はにこにこ笑顔になり、彼女を駅前のファミリーレストランへと誘った。





たすけて千石様!





夕食時のファミレスは家族連れや学生などで賑わっていた。最後のひとつだった空席に案内され、ラッキー、と千石は意気揚々とメニューを開く。お腹減ってたら悲しいことがもっと悲しくなるよ、と勧めれば、少女もミートドリアにサラダとドリンクバーのセットを注文した。彼女が母親に遅くなる旨のメールを打っている間に、千石は自分の分のビーフハンバーグステーキセットも一緒に注文する。
「何飲む?」
「え? いいよ、自分で取りに行くから」
「いいからいいから。コーラ? コーヒー? それとも紅茶?」
「じゃあ、オレンジジュースで」
ありがとう、と笑う少女にウィンクひとつで応え、千石はドリンクバーへ向かう。そこは何人かの学生で混み合っていたが、要領よく隙間を縫ってオレンジジュースとウーロン茶を注ぎ、ストローを手に座席へ戻る。親から了解が取れたのか、少女はすでに携帯電話を閉まっていた。
「お母さん、大丈夫だった?」
「うん。八時までに帰ってきなさいって」
ちゃんの家って、ここからどのくらい?」
「バスで十五分。千石君は?」
「俺はチャリで二十分。案外近いのかもね」
他愛ない話をしていれば、サラダがふたつと千石のスープが運ばれてきた。時間がかからないのがファミレスの良いところだと千石は思う。いただきます、と手を合わせる少女はやはり礼儀正しく、千石もいただきます、と笑ってスプーンを握った。コーンポタージュのスープは少しだけ熱い。冷ましながら口に運んでいると、しゃく、とレタスを呑み込んだが呟いた。
「・・・あのね、千石君。話、聞いてもらってもいい?」
「うん、俺で良ければ」
真剣な表情に、来たな、と千石は少しだけ心構えをする。とはいっても中学生の女の子の抱えている悩みなんて、友達のことか恋愛のことか家族のことくらいだろう。先程メールをしていたところからするに家族仲は問題ないようだし、だとすると友達か恋愛か。彼氏と喧嘩でもしたのかな。そんなことを予想しながら、千石はスープを飲みこむ。
「あのね、好きな男の子の好きな人が男だった場合、どうすればいいのかな・・・!?」
「ぶっほわあぁぁあっ!?」
思わずむせ返り、スープが気管に入った。ごほごほと咳き込む千石に、対面のが慌ててお手拭を渡してくる。それを受け取り、ウーロン茶を一気飲みして、何度か咳をすればどうにか喉も戻ってきた。周囲の座席から何だ何だと視線を向けられたが、咽ただけだと分かるとそれも離れていく。お代わり貰ってくるね、との言葉に甘えて、千石は制服のポケットに常備しているハンカチで顔を拭った。えっと、何? 彼女は今、何て言った?
「大丈夫? 千石君」
「あー・・・うん。ごめんね、びっくりさせて」
受け取ったウーロン茶のグラスを傾け、ちらりと千石はを窺った。サラダを食べ終えた彼女は、一房流れた黒髪を、そっと耳にかけ直している。大人しそうな印象は間違っておらず、けれども地味というわけでもないのだろう。整った顔立ちをした、いたって普通の子だ。千石はそう思っていたのだが、まさか違うのだろうか。俺、もしかして不思議ちゃんに声かけちゃった? 顔を上げ、見つめられて千石の心臓が跳ねる。ああでもやっぱり美人さん、と思う彼はやはり女の子相手に懲りることはなかった。
「えっと・・・好きな人の、好きな人が・・・?」
「・・・男の子、だったの。あ、これ、友達の話ね! 後、誰にも言わないでね! 約束してね!」
「うんうん約束する。友達の話ね、うん。えーと、ちゃんの友達の女の子には、好きな男の子がいて? でもその男の子には好きな人が別にいて、その人が男だった、と・・・?」
「・・・うん」
確認するように尋ねれば、こくんと首を縦に振られる。そうして「友達の話」として語られたのは、たまたま校舎裏で好きな男の子が、これまた別の男の子から告白されるシーンを目撃してしまったことに始まる一件だった。好きな相手のそんなシーンを見てしまったことも、たまたま従兄弟が大阪の中学にいたことも、そうしてその「好きな人」とやらが男だったと知ってしまったことも、何というか不幸としか言いようがない。ちゃん可哀想過ぎる。いやいやこれは彼女の友達の話なわけだが。それにしたって可哀想過ぎる。そして氷帝怖い。千石は心底そう思った。
「えっとね、何か、こういうの初めてで・・・」
「うん、そりゃあ初めてだと思うよ・・・」
「あの、どうすればいいのかな?」
「うーん・・・」
お待たせいたしました、とウェイトレスが千石の前にビーフハンバーグステーキセットを、少女の前にミートドリアを置く。とりあえず食べながら、とふたりでフォークを握った。熱々のハンバーグステーキは美味しいのだが、如何せん今は純粋に堪能することが出来ない。話題の方が気になってしまい仕方がないのだ。恐ろしいイレギュラーが発生したようだが、恋は恋、それ以上でも以下でもないから、きっと基本は同じだろう。うん、と考えて千石は付け合せの人参を飲みこんだ。
ちゃんは、好きな人の好きな人が男だって知ってどう思った? あ、えっと友達の好きな人の好きな人ね」
「え・・・。驚きはしたけど、でも、小学生の頃から好きみたいだし、距離も東京と大阪で離れてるし・・・本気じゃなきゃ、そこまで想えないと思う」
「嫌いになった?」
「ううん、それはない。凄いと思う。相手が女の子でも男の子でも、それだけ想えるのって」
だけどね、とは呟く。ミートドリアは余程熱いらしく、スプーンに載せてふうふうと息を吹きかけて冷ます仕草が可愛いと千石は思った。
「だけどね、相手の小春君には、もう決まった相手がいるから・・・」
「ああ、ちゃんの従兄弟」
「うん。ユウ君は従兄弟だし、どれだけ小春君のことを好きか知ってるから。だから・・・」
「ふたりの仲を壊すようなことは出来ない、と」
先を紡いでやれば、こくんと首を縦に振る。流れる黒髪には艶があり、ちゃんには髪を染めてほしくないなぁ、と何とはなしに千石は考えた。そんなのほほんとしていた彼に、二発目の爆弾が降ってくる。
「忍足君のこと、応援したいのに・・・」
「ごほおぉぉうっ!?」
今度はハンバーグステーキが喉に詰まったが、先程の教訓を生かしてすぐにウーロン茶で流し込む。無様に咳き込むことは三回で済んだが、彼女は今、何て言った? え? 嘘、マジで?
「忍足、君、なの・・・? その、男が好きな男の子って」
「あ、うん。・・・千石君、忍足君のこと知ってるの?」
「あ、ううん。全然知らない。珍しい名字だなーって思って」
の瞳が不安に揺れたから、千石は咄嗟に嘘を吐いた。まったく関係のない第三者が相手だからこそ、こうして話すことが出来ているのだ。これで千石が、おそらく話題の主であろう忍足侑士とテニスを通じた顔見知りであることが分かれば、そこからあらぬ噂を立てられるのではないかと懸念を抱いてしまうだろう。千石には、このから聞いた話を違う誰かにする気はなかった。しかし、よもやまさか「男に告白され、別の男が好きだと言って断った男」が、氷帝の天才、忍足侑士だったとは。世間は狭いねぇ・・・。千石はポーカーフェイスの美形を思い返し、深く溜息を吐き出した。
「忍足君のこと、凄いって思う。だから応援したいのに、小春君と付き合ってるのは従兄弟のユウ君だから、ユウ君を裏切ることもしたくないし・・・」
「そっか、板挟みだね。どっちも大切だから辛いんだ」
「・・・うん。でも、千石君に話したら、ちょっとすっきりした」
ドリアを食べ終えて微笑んだ顔は、最初に駅前で見かけたときより数段明るくなっており、千石はほっと安心する。やっぱり笑った方が綺麗だなぁ、と見惚れながら、そんなことないよ、と与えられた感謝を受け止めた。
「同じ学校の友達には話せないし、お母さんに相談できることじゃないし。ずっと自分の中でぐるぐるしてたの」
「俺なんか全然役に立ててないよ」
「そんなことない。一緒にご飯食べてくれてありがとう。最初はナンパかと思ったんだけど、千石君と話せて良かった」
「俺も、ちゃんに笑ってもらえて嬉しい。やっぱり美人さんには笑顔が似合うよね」
「やだ、もう」
後はふたりして日常のくだらない話をして、七時半を回る前にファミレスを出た。代金を千石が払おうとしたら横から千円札を一枚さし出されて、話を聞いてもらったし、楽しかったから、と言われてしまったら断れない。おつりと共に受け取ったレシートの裏に、千石は出入り口に設置されているアンケートのボールペンで、自身の携帯電話の番号とメールアドレスを書き走りした。ちょっと雑だけど読めないことはない。先に表に出ていたを追いかければ出口でカウベルが鳴り、ありがとございました、とウェイトレスの声を背中で聞いた。
ちゃん、これ」
先程のレシートを渡して、千石は車道側を歩いた。
「何かあったらまた話聞くから。いつでも連絡して」
「・・・いいの?」
「もちろん! キヨのお悩み相談室は二十四時間年中無休だからね」
「ありがとう」
微笑む少女は、夜のネオンに照らされていることを差し引いてもやはり美人だった。整った顔立ちをしていて、スタイルも良くて、だけど話すとどこか可愛らしい印象を与える女の子。いいなぁ、と千石の手がうずうずと動いた。しかしいきなり手を握るほど千石は無遠慮ではなかったし、軽い男でもない。ここだから、と駅前にあるバス停のひとつで少女が立ち止まる。掲示されている行先は千石の家と離れすぎているわけではないが、近所のスーパーの買い物で重なる距離でもなかった。自転車は駐輪場に停めてあるため、ここでお別れだ。
「千石君、今日は本当にありがとう。もう少し成り行きを見守ってみるね。忍足君はきっとずっと隠してたんだし」
「・・・うん、それがいいと思うよ」
何だかもうそれ以上言うことが出来なくて、千石はせめてもと笑ってみせた。ありがとう、とが笑うからこそ気の毒になってしまう。忍足侑士と、話に聞く限りでは「小春」と「ユウ君」とは四天宝寺のラブルスだろう、その三人が三角関係。いや、と忍足に告白した男を含めれば五角関係か。男四人に女一人。明らかに比率が可笑しいが、千石には何も言うことが出来なかった。
・・・ただ、聞いておきたいことがあった。だから肩を竦めて、困ったように、彼にしては珍しく女の子に対して苦笑を浮かべた。ほんの少しだけ覗いた真剣な顔は、彼女を「可愛い」以上に想ってしまったからか。
「ねぇ、ちゃん」
「何?」
ちゃんは今、忍足君のことをどう思ってるの?」
びゅう、と拭いた風が千石のオレンジ色の髪を、のスカートの裾を揺らした。男を好きだと知ってなお、その恋路が応援できないと心を痛めるほどには想っているのだろう。だが、このままでは苦しくなるだけだ。忍足が彼女に振り向く可能性は、おそらく低い。今好きなのが小春だとしたら尚更の話だ。だからいざとなれば、想いを諦めるように千石は忠告するつもりだった。新たな恋を探した方がいいよ。そう言う準備をして、問いかけた。
「・・・目で、追っちゃうの」
一度顔を伏せ、囁いた声はとても小さなものだった。戸惑うように睫毛を瞬かせ、告げる、その顔は誰かを想う女の子のものだった。千石は少しばかり痛む胸を堪えて、そんな彼女をじっと見つめた。
「忍足君から、目が離せなくて・・・。気が付くといつも姿を探してる」
「・・・うん」
「今はね、忍足君を見る度に、胸が」
両手をブラウスのエンブレムに当て、顔を上げたは綺麗だった。千石がそれこそ唾を飲みこんでしまうくらいに、赤い唇を開いて彼女は言ったのだ。

「胸が、ハラハラして止まらないの・・・!」
「うん、何かもうそれは恋じゃないよね」

びゅーっと吹き付ける風にも劣らず、思い切りツッコミを入れるしかない。何か俺、変な事態に巻き込まれちゃったなぁ。そう思わずにはいられない、千石のとある夕方の話だった。





ドキドキじゃなくてハラハラって、それはもはや珍獣を見る目だと思うよ?
2011年12月4日