(注意)
忍足が、名もない男子生徒に告白されるシーンがあります。そういったものが苦手な方はご注意ください。






「去年、同じクラスになったときからずっと好きだった! 俺と付き合ってくれないか!?」
そう告げたのがスカートを履いた可愛らしい女の子だったらオッケーを出したかもしれない。だが、相手が百七十八センチメートルの自分よりもなお背が高く、肩幅もがっしりしていて、如何にも「体育会系です」といった感じのむさくるしい男であったなら話は別だ。マイノリティを差別するわけではないが、同性愛には興味がない。余所でやってくれというのが正直なところだ。ましてや自分がその対象とされるなど、忍足侑士にとっては考えたくないことだった。これで相手がダブルスパートナーの向日のような可愛い系美少年だったらまだ考慮の余地もあっただろうが、目の前の男は筋肉の逞しい、確かラグビー部に所属する生徒だ。ポジションはバックス、パワー担当。顔立ちとて跡部のように整っているわけではない。そんな相手に、自分がずっと好かれていた? 見つめられていた? 去年、同じクラスだったときから? 劣情や下心を持って見られていたのか? そう考えた瞬間、忍足の背がぞわっと粟立った。ワイシャツの下は全身に鳥肌が立っている。いくら頬を染められたとしても、マッチョの男にやられたって可愛くないし気持ちが悪いだけなのだ。
「忍足・・・!」
「悪いけど、おまえとは付き合えへんわ」
「何で! テニスが忙しいのだったら俺もラグビーやってるし理解できる!」
「いや、そうやなくて」
男の沽券としてはいささか情けないが、忍足は同性、所謂男に告白されるのは初めてではない。それこそ向日やジローには劣るものの、忍足や跡部、宍戸とて同性から愛を告げられた経験は少なからずあるのだ。学園内で男子テニス部は有名だったし、向日などは可愛らしい容姿も相俟って女子よりも男子に告白される回数が多いという。その度に蹴散らしているらしいが、忍足は今、心の底からダブルスパートナーのことを尊敬していた。岳人のやつ、こないな目に遭うてたんか。次からはもっと優しくしたろ。ぎゃあぎゃあ叫ぶ親友をスルーしていた自分を、忍足は馬鹿なやつだと反省した。
「俺が男なのが悪いのか!?」
「っ・・・!」
「答えてくれ、忍足!」
伸びてきた手が忍足の手首を掴む。テニスプレイヤーとして決して細くはない身体なのに、男子生徒の指は忍足の手首を完全に捉えてしまった。伝わる生々しい体温とかさついた男らしい肉厚な皮膚に、思わず唇から悲鳴が漏れた。情けない、が、どうしようもない。間近に迫る男の顔に嫌悪が募って堪らなかった。これではまるで、大柄な男に脅える小さな女の子のようではないか。もはや同性とか、そんなレベルではない。もっと根本的な問題だ。生理的に駄目だ。強張る身体に鞭を打ち、忍足は全身の力を振り絞って拘束を解いた。それでも縋る指は強く、自分じゃ敵わないと理解させれる。力勝負になったら確実に負ける。負けたら、その先に待つのは。同性だからこそ容易く想像される自身の末路に、忍足は本気で泣きたくなった。男に犯されて堪るものか。
「お、俺、好きなやつがおんねん!」
これは全力で断らなくては。二度とこんな真似なんてしないように、完全に完璧に振らなくては。反射的に忍足の口を突いて出たのは、お決まりの台詞だった。実際には好きな人なんていないけれども、こうでも言わないと引かないと思ったのだ。取り戻した手首を背後に隠し、忍足は男子生徒から一歩距離を取る。顔色が青くなっている自信があった。もはや白かもしれないが。
「従兄弟と同じ学校に通っとる子や。東京に来る前から好きやった」
「従兄弟と・・・?」
「せや。大阪やから遠距離やけど、諦めきれへん。自分なら分かってくれるやろ?」
距離とか、何かもうそういうのは関係ないのだと。諦めてくれ諦めてくれ諦めてくれ諦めてくれ。心中で何百回と繰り返しつつ、忍足はどうにか笑ってみせた。テニスで培ったポーカーフェイスがこんなときに役立つとは思っていなかったが、まったくテニス様様である。今日から今まで以上に必死に部活に打ち込もうと忍足は決意した。目の前の男子生徒が傷ついた表情を浮かべ、大きな掌で拳を作る。しばらく沈黙が続き、忍足がついに一万回目の諦めてくれを唱えたところだった。
「・・・そいつの、名前は?」
ここで適当に流しておけば良かったものを。下手に従兄弟と口にしてしまったからか、忍足の脳裏には謙也が浮かんでしまい、次いでぽこぽこと連鎖反応的に思い出されたのは四天宝寺中テニス部の面々だった。他でもない男子、テニス部の。
「・・・こはる」
女らしい名前、それだけを思って探し出した。眼鏡とか坊主とか一切関係なく、忍足にとっては名前だけがすべてだった。
「小春、や」





たすけて跡部様!





(・・・うそ)
さて、まったく同じ時間帯、告白の行われた校舎裏から十メートルと離れていない位置に、ひとりの少女がいた。氷帝学園の制服を纏っている彼女は名をといい、掃除のゴミ捨て当番で焼却炉を目指してやってきた際にたまたま一部始終を目撃してしまった、非常に気の毒な少女である。しかし彼女にとってこれ以上ない不運だったのは、告白したラグビー部の男子生徒と同じように、彼女もまた忍足に淡い恋心を抱いていたことだった。それこそきっかけは先ほどの告白と変わらず、去年同じクラスになり、忍足君って格好いいなぁ素敵な人だなぁと思い始めたことだ。ぐらぐらする足元で、かさりとビニール袋が音を立てる。ああ、ゴミを捨てないと。腰をかがめてゴミを持てば、さっきよりも重く感じた。校舎裏、すでに忍足と男子生徒の姿はなく、一直線に焼却炉まで行くことが出来た。脇に置いてあるゴミ袋の山に一個加える。手のひらは軽くなったけれど、赤く刻まれたビニール袋の痕がやけにじんじんする。泣きたい。でも、ここで泣いたら後からゴミ捨てに来る人に見つかってしまう。おぼつかない足取りで先程の壁の影まで戻ってくると、ようやく足が止まった。
(そっかぁ・・・)
もはや声に出すパワーもなくて、ただ頭の中でぼんやりと反芻するだけだ。
(忍足君・・・好きな子、いたんだぁ・・・)
心臓がずきりと痛い。だけど何故か涙は出なくて、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。スカートが地面に着くけど、そんなことにまで気が回らない。好きな人に、好きな子がいた。それを本人の口から聞いてしまったことがショックで、ただただ胸が苦しい。
あの忍足の告白に対する返答は、そのまま自分への答えでもあるのだ。確かに、ちょっと、同性に告白されているのを見て驚いてしまったり動揺してしまったりしたけれど、彼は格好いいので仕方がないと思う。それに氷帝では結構あるのだ。男同士とか、女同士とか。見目麗しい少年少女が多いからかもしれないが、でも、それでも。
(・・・忍足君に、好きな子・・・)
考えてみれば当たり前のことなのに、それなのに全然想像していなかった。違う、本気で考えていなかったのだ。揃えた膝に額を押し付けて、ぎゅっと目を瞑ると涙が零れてしまいそうになる。はぁ、と吐き出す息が重い。
好きだなぁと思っていた。去年は同じクラスで、余り話すことは出来なかったけれど、一度だけ日直が一緒になった。それだけで好きになるには十分すぎる人だった。テニスをしている姿を見て、真面目な横顔や、悔しそうな顔、仲間たちと笑い合う顔を見て、もっともっと惹かれていった。クラスが分かれて、今は遠くから見ているしかできないけれど、それくらいなら構わないだろうと勝手に思っていた。こっち見てくれないかな。好きになって、くれないかな。努力なんてこれっぽっちもしていなかったのに、そんな期待だけが大きくなっていった。だからきっと、これは当然の結果なのだ。
(こはるちゃんって言ってた・・・)
忍足が口にした、女の子の名前。彼の選んだ人だ。きっと可愛くて、優しくて、思いやりのある子なのだろう。東京に来る前から好きだったなら、それは小学校の頃からだ。三年。遠距離になってもずっと、三年も想っていたのか。自分が忍足と知り合い、恋をしている間も、彼はずっと遠くの地にいる彼女を想い、胸を焦がしていたのだろう。ずるい。そんなの、ずるい。そんな、一生懸命な恋なんて、自分が割り込む余地もないではないか。
「・・・素敵な子、なんだろうなぁ」
ようやく音になった声は掠れていて、胸の苦しみも重なって本当に泣いてしまいそうだ。は膝を抱え込み、じっと丸くなってそれに耐えた。氷帝特有のクラシックがチャイムの代わりに放課後を告げる。掃除のことなんて、もう頭からすっぽりと抜け落ちていた。
どれだけ校舎裏に座り込んでいただろう。遠くで部活動の声がし始める。泣けたらいいのに、それでも何故か涙が出なくて、膝から顔を上げて一度目を擦る。そうしては制服のポケットからスマートフォンを取り出した。指先で操作し、耳元に押し付ける。ぐす、と鼻を啜りながらコール音を聞いていた。六回目の途中でコールは途切れ、相手の「もしもし」という声が耳に届く。
「もしもし? あ、えっと、ごめんね、今大丈夫? ちょっと、聞きたいことがあって・・・」
やはりどこか落ち込んだ声音で話しかける彼女は、本当に不運だった。

「ユウ君って確か四天宝寺中だよね? 同じ学校に『こはるさん』っていると思うんだけど、どんな子なのか・・・教えてもらえたらなって」
『四天宝寺におるコハルは俺の小春オンリーや! 他にはおらん! 俺のスーパーエクセレントな小春オンリーや!』

やぁだユウ君ったらぁ、うふふあはは小春ー。従兄弟のイチャイチャラブラブな声を電波越しに聞きつつ、は首を傾げた。同じ年の従兄弟である一氏ユウジの小春とは、夏休みに大阪にある祖母の家へ行ったときにも紹介された、金色小春のことだろう。坊主頭で、眼鏡をかけていて、どう見たって男の子なのに女の子言葉を話す彼に呆気に取られたのは良い思い出だ。どんな人なのかとびくびくしていれば、実際はとても気が利く面白い男の子で、時に見せる大人びた包容力には従兄弟ではないがどきっとしたものである。
しかし、四天宝寺にはその小春しか「こはる」は存在しないらしい。え、でも。慌てては問を重ねた。
「女の子でいないの? こはるちゃんって子。あ、でも、名前じゃなくてあだ名かもしれない」
『おらんな。女でコハルに繋がるような名前のやつはおらん。男なら古林晴雄っちゅうのがおるけど、そいつもコハルとは呼ばれてへんし』
「いない、の・・・?」
『おん』
「本当に?」
『しつこいで、おまえ。何や、何かあったんか?』
「う、ううん・・・。あの、ユウ君って、同じテニス部に忍足君っていたよね?」
『おん』
「その人って、うちの、氷帝の忍足侑士君の従兄弟だよね?」
『ああ、せやな。そう聞いとるわ』
「そう・・・そうなんだ・・・」
ありがと、と告げて電話を切る。大阪、四天宝寺中に、コハルという名前の女の子はいない。男の子もいないらしい。あだ名なら、と思ったけれど、お笑いの人気者として広い人脈を有している従兄弟が知らないのなら、きっとそれが真実なのだろう。四天宝寺中に、コハルという名前の人はいない。ただひとり、金色小春を除いては。以上のことから導かれる結論はたったひとつで、ざあっとの全身から血の気が引いた。
「忍足君、金色君のことが好きなんだ・・・!」
これは気づいてはいけないことだったのかもしれない。だって、小春にはユウジがいる。あのふたりは四天宝寺でもラブラブカップルで有名だと聞いているし、そんな恋人同士のうち、ひとりに片想いしているなんて、それは忍足にとってとても苦しい恋なんじゃないか。小春の幸せを望んで、あえて想いは告げないのかもしれない。距離を経てなおその笑顔を望み、ただ幸福でいてくれたなら。そう考え、身を引いているのかもしれない。だとしたら何て献身的な愛なのか。自分の、こんな、飯事みたいな「好き」じゃ、到底太刀打ちなんて出来ない。
慄き震えそうになる身体を抱き締め、はぎゅっと目を瞑った。諦めよう。諦めて、彼の恋を応援しよう。きっと出来るはずだ。笑っていてくれたならいいと、そう思えるように努力しよう。だって、好きだから。彼のことが好きだから。だから諦めて、金色君との恋を。
(―――あれ?)
はた、とは顔を上げた。坊主で眼鏡の「小春ちゃん」は。

「男じゃん!」

たすけて跡部様! 氷帝学園の絶対的な縋り文句を、思わず彼女は絶叫していた。





好きな人の好きな人は男の子でした!
2011年12月4日