不可抗力ドラマティカ





「俺を殴れ」
きょとんと瞬く仁王の睫毛は長い。何なんだこいつはいきなり呼び出してドM宣言か。そんな失礼な考えが仁王の横顔からは明らかに読み取ることが出来、それも仕方がないな、と柳は嘆息する。しかし先の発言をした真田は本気で、帽子まできちんと脱いで待っている始末だ。緩く小首を傾げる仁王に、真田は再度繰り返す。
「俺を殴れ。おまえにはそうする権利がある」
「何じゃ、おまんいつからSMに目覚めたんじゃ?」
「俺たち立海は全国三連覇を成し遂げた。おまえのおかげとは言わん。だが、おまえの手助けがあったからこそ果たせた優勝だと思っている」
「俺が見せたのは可能性のひとつナリ。攻略法を編み出して努力したおまんらの過程が実った結果ぜよ」
「そうだ。だが、このままでは俺の気が済まん。俺を殴れ、仁王!」
「弦一郎、それでは余りにも」
説明が足りないだろう。せめて以前に殴ってしまったことに対する謝罪の気持ちだと言わなければ。そう柳が口添えしようとしたところ、仁王の身体がふっと沈んだ。そして繰り出されたのは平手ではなく拳で、しかもコークスクリューのごとく回転が加えられている。女の細腕であるというのに、どこにそんな威力を潜めていたのか、食らった真田の身体が大きく揺らいだ。遠慮がないな、と柳は思わず感心してしまう。許可が出ているとはいえ、あの真田弦一郎に容赦ない一撃を加えることが出来る女子がいたとは。いろんな意味で規格外だと、柳は仁王に関するデータを修正する。
「っ・・・いいパンチだ」
「半端は嫌いじゃろう?」
揺らめいて、態勢を立て直した真田は痛みに眉を激しく顰めながらも口元は笑っていた。ひらひらと手を振って、仁王は呆れた表情を浮かべている。その頬にすでに湿布は貼られていない。夏のあの日、真田が怒りと恥辱に任せて仁王を殴りつけてから数日の間、彼女の色白の頬には、それとは異なる純白の湿布が欠かせなかった。相当腫れていたぞ、と柳に密やかに叱責され、女に手を挙げてしまったことを真田自身も悔やんでいたけれども、それでも仁王雅治という存在には全力でぶつからなければいけないと思うのだ。理由は分からない。だが、自分は仁王を認めているのだろうと真田は考える。異性にうっすらとした敬意を抱くのは、母親を除いて初めてのことだ。
「・・・もう、怪我はいいのか」
手を伸ばすことは流石に出来なかったが、仁王は意味することに気づいたのだろう。不思議そうな顔をした後で、楽しそうに小さく吹き出す。
「いつの話をしてるんじゃ。とっくの昔に治ったぜよ」
「そうか。痕が残らなくて良かった。だが、おまえを傷物にした責任は取る」
おや、と柳が首を傾げる。仁王が怪訝そうに眉を顰めたが、真田は至極真面目に宣言した。
「仁王、おまえが三十歳になっても独身だった暁には、俺がおまえを嫁に貰おう。幸せにすると約束する」
柳生がやってきて三年A組大戦が勃発するのは、それから二分後のことである。





何気にずっと見ていたらしい幸村様は爆笑して床を転がっている。全国対青学編、終了。
2011年1月16日