高校に入学してから、家のお嬢さんはバイトを始めた。
駅前にある小さなレストラン。地元では知る人ぞ知る隠れた名店の一つである。
そこで週に四日ウェイトレスをすると言い出した娘に、家の母は「何か欲しいものでもあるの?」と尋ねた。
お小遣いじゃ買えない物を手に入れるためにバイトでもするのか、と思ったのだが。



「ううん。私、専門学校に通おうと思って」



そのためのお金を貯めるんだ、と言った娘に、母は感動するよりも先に呆れ返ってしまった。





正しい男女交際の仕方(高校生編)





今日も今日とてバイトをしてから帰宅した娘は、制服から着替えて居間で緑茶をすすっている。
夕飯はバイト先で賄いを振舞われているらしい。ときには「作ってごらん」と言われて、娘が作っているとも聞いているが。
確かあのレストランは初老の夫婦が経営をしていたはず、と母は大福を食べながら思い返す。
今度挨拶に行くべきかしら、なんて考えながら。
「ねぇ。専門学校の費用くらい、ちゃんと出してあげるわよ?」
別にバイトをすることに反対なわけではないが、愛しい娘のために一応言ってみる。
夫は定年までまだまだだし、特別裕福なわけではないが、家計に不安があるわけでもない。
大切な一人娘のために割くだけの余力は十分にあるのだ。それこそ、四大に行った後で専門学校にも行かせられるくらいに。
けれど娘は新たなお茶を注ぎ足しながら、穏やかに、けれどキッパリと首を振った。
「ううん。あのね、私、高校を卒業したら家政科のある短大に進みたいの」
家政科、という言葉に母は深く納得する。理由は聞かずとも判っているので流しておいて。
「じゃあ専門学校はいつ行くの?」
「短大の間。高校三年間でお金を貯めて、それで夜間の部に通おうと思って」
「栄養士コース?」
「ううん、それは短大で専攻するから、調理師コース」
これ以上料理が上手くなってどうするのだ、と母は思ったが、親の心子知らずなのか、娘はニッコリと笑って。
「だってスポーツ選手の栄養管理をするんだから、ちゃんと資格も取っておきたいの」
あぁ、と母は頷きながらも視線を逸らして明後日の方を向いた。

そういえばこの娘は、サッカー選手のお嫁さんになることが決定しているのだ、と今更ながらに思ったりしながら。



家のお嬢さんは、家事が万能な良い子だとご近所でも評判である。
買い物からゴミ出し、掃除に洗濯何のその。主婦顔負けの中でも、一番得意なのは料理で。
その味はずっと食べ続けている母親のお墨付き。
洋食中華、お袋の味はもちろんのこと。それこそお菓子に至るまで何でもござれだ。
けれどこれらはすべて、たった一人のためなのである。

正確には、たった一人の将来の旦那様のため、なのである。



「・・・・・・・・・日生君、今はブラジルだっけ?」
今までは国内だったのだが、転勤続きに止めを刺すように日生父は外国任務を言い渡されたらしい。
春先にそんなことを聞いた気がする、と思いながら尋ねると、娘はコクンと首を縦に振った。
「お父さんがブラジル支店の支店長になったらしくて、三年は帰って来れないみたい」
「・・・・・・帰ってくる頃にはサッカー選手?」
「向こうの日本人学校を卒業したら、戻ってきてJリーグチームの入団テストを受けるって言ってた」
「・・・・・・・・・」
「二年でマンションを買う資金を稼ぐから、それまで待ってって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから私も四年制大学じゃなくて、短大にしようと思うの」
18歳で高校を卒業して、その年でプロになって、短大生になって、二年後にマンション?
それは、つまり。
「・・・・・・・・・・・・20歳で結婚ってこと?」
「うん、多分そうなると思う」
冷や汗を流しながら尋ねた母に、娘はいともあっさりと頷いたのだった。
「だから高校三年間でお金を貯めて、栄養士になるために短大に行って、調理師の資格をとるために専門学校に通うの」
そう話す娘は、自宅から自転車で15分の都立高校に通っている。
もっと上の私立女子高にでもしたら、と言ったときに、確か「公立の方が自由だし、それに自転車通学ならお金もかからないから」と答えたはず。
「日生はブラジルで高校を卒業したら、関東圏にあるチームに入団するみたい。マンションも練習場に近いところで、駅と商店街にも近いところを選ぶって」
そういえば高校入学時に一人暮らしでもするのかと思っていた件の少年は、大人しく両親について海外へ出て行った。
それはつまり、あと少ししか一緒にいられないための親孝行だったのではないだろうか。
「・・・・・・・・・」
あまりにもテンポ良く進みすぎている現状に、母は頬を引き攣らせてしまった。
五年後には娘を嫁に出すことになってしまうのだろうか、と考えて。
「ねぇ、・・・・・・」
「何、お母さん?」
とりあえず、尋ねずにはいられない。



「あなた、日生君のこと、ちゃんと好きなのよね・・・・・・?」



お風呂へ向かった娘を見送りながら、母は深く溜息をついた。
去り際に入れてくれた温かい緑茶が、やけに心に沁みる、なんて思いながら。
「・・・・・・・・・恨むわよ、日生君・・・」
こんなに早く攫っていくだなんて、と呟いて。
そしてやはり母は溜息を吐き出す。



良い娘なんだから幸せにならなきゃ嘘よね、なんて考えながら。





2004年9月25日