勢いよくガラスが砕け散り、執務室にいた面々は、開いた窓から丸い物体が転がり込んでくるのを知覚した。
――――――いや、それは完全な丸ではなかった。
ちょこちょこっと何かが伸びていて、大きな丸の上に小さな丸が乗っている。
人だとハボックが気づいたとき、すでにその人物は執務室内を見回してニヤッと笑っていた。
そして入るときにぶち破ってきた窓の外に向かって手招きをする。

「ラスト、エンヴィー、がいたよ〜」
「グラトニー兄様っ!」

まだ涙の溜まっている瞳を輝かせたに、嘘だろ、と即座に彼らは思った。





Princess of the Ouroboros





何て似てない兄妹だ。
窓から侵入してきた男を見て、ロイは第一にそう思った。
現在はとても可愛らしく、将来はどんな美女になるのかと周囲に期待を抱かせるとは全然違う。
いま目の前にいる男は、ただひたすら丸い。
丸い、丸い、まるで肉団子のようだと、ロイは失礼なことを考えて。
けれどその考えはあながち外れてはいないだろうと納得する。
・・・・・・敵二名を前にしながらもそんなことを考えてしまうほど、彼にとって先ほどのの暴れっぷりはすごかったのだろう。
すでに執務室内の机の半数は破壊され、棚から落ちたファイルや備品などが床を埋め尽くしていて。
そんな中心に立っているは、グラトニーと呼ばれる男の出現に、パァッと満面の笑顔を浮かべる。
涙の滲んだ表情が可愛い、などとロイは思った。
・・・・・・その一瞬が、さらなる侵入者を許してしまって。



――――――っ!!」
「やっと見つけたわ! 無事でしょうね!?」



こちらはと血が繋がっているとしてもおかしくない美貌を持った二人。
しかし彼らは妹の姿を見るなり固まった。
「エンヴィーお兄ちゃん、ラスト姉様」
が実に嬉しそうに顔を輝かせる。
片手は血をダラダラと流し、目は涙で真っ赤に染めながら。
登場シーンの焦りっぷりからも判る程に妹を溺愛している彼らが、果たして黙っていられるか。



――――――否。



「・・・・・・で、誰から死にたいって?」
「可愛いに傷をつけた罪は重いわよ・・・・・・?」



エンヴィーの額に青筋が浮かび、纏うオーラがおどろおどろしいものに変化する。
ラストの細い指先が、さらに鋭さを増して長さを帯びた。
いろんな出来事が一気に起こってしまった当方司令部の面々は、あまりの展開の速さについていくことが出来なくて。
かろうじてホークアイが下げてしまっていた銃を構える。
一触即発な空気がその場を支配して、そして―――・・・・・・。



「・・・・・・なぁ、これ使えよ」



コートのポケットからハンカチを取り出して、エドワードは差し出した。
散乱している部屋の中で、いまだに血をダラダラと片手から流しているへと向かって。
きょとんとした瞳に見つめられると居心地が悪く、思わず乱暴にハンカチを押し付ける。
「―――傷っ! 早く手当てしろよ!」
「・・・・・・いいの?」
「良くなきゃ貸さない。ホラ、さっさと手ぇ出せって!」
片腕を握って引き寄せる際、触れた感触の柔らかさにエドワードは内心で心臓を高鳴らせた。
白くて、柔らかい。見た目以上に細くて、エドワードの手でも余りがでて。
だんだんと熱を持っていく頬を見られないように、俯いて手早く止血をしてハンカチを巻く。
コイツは敵なのに、自分は何で手当てなんてしてやっているんだろう、なんて考えながら。
終わっても向けられている視線が恥ずかしくて、顔が上げられない。
白いハンカチに包まれた指先が、エドワードの視界の中で動いて。
「ありがと」
満面の笑みが広がった。
――――――同時に、寒気も。



「ちょっとオチビさん? テメェ何してんだ、あぁ?」
「うちの妹にちょっかい出さないでもらえる?」



実はロイも似たようなことが言いたかったのだが、とりあえずそれは置いておく。
手当てしてもらったことが嬉しいのか、グラトニーに走りよって報告するのことも置いておいて。
問題は真っ赤に顔を染めて、次いで真っ青に顔色を変えたエドワードだ。
エンヴィーの今にも殴りかかりそうな拳と、ラストの今にも突き刺しそうな爪を間近に感じて。
ひたひたと冷たい影が近づいてくる。
「オチビさーん。あんた、自分がに触ってもいいと思ってんの?」
「人間ごときが私の可愛いに触れようなんざ1000年早いのよ」
「しかも笑顔なんか向けてもらっちゃったりして?あーもったいない、殺したい」
「あんたみたいな人柱は大人しく私たちに生かされてればいいの。余計なことすると殺すわよ」
何だかいろいろと反論したいことがあったりもしたのだが、エドワードは何も言えずに左右から言葉攻撃されても大人しく黙っていた。
しかし柄の悪いヤンキーのごとく、エンヴィーとラストは攻撃を続けていて。
そんな状態を破ったのは、やっぱりと言うか何と言うか、目に入れても痛くない妹の一言。
「お兄ちゃんも姉様もやめてっ! 彼は手当てをしてくれただけなんだから!」
パッとエドワードが顔を上げた。
グラトニーの傍から、が黒髪を揺らして自分の下へ走ってくる。
揺れるレースがまるで羽のようで、ラストは隣のエンヴィーを蹴り飛ばしてを両腕で抱きとめた。
・・・・・・どうやら、時には味方も敵になるらしい。
「あぁ可愛い。一人で出かけちゃダメだっていつも言ってるでしょ? はすごくすごくすごくすごく可愛いんだから。変な男に声をかけられてからじゃ遅いのよ?」
「ごめんなさい、ラスト姉様」
ぎゅーっと抱きしめられた腕の中で、が上目遣いに見上げて謝る。
可愛らしいその様子にラストは柔らかな笑みを浮かべて、頬をいつのまにか普通の長さに戻っていた手でそっと撫でた。
「今度からは気をつけなさい」
「うん」
ちゅっと頬にキスを落とされて、はくすぐったそうに笑った。
傍から見れば美女な姉と美少女な妹の微笑ましい抱擁シーン。
しかし納得できないのはもう一人、その抱擁を受けるべき権利を主張する彼である。
「おばさん、ズッルー! 何一人だけを抱きしめてんの!? 、こっちお出で! 俺のとこにも来て!」
「エンヴィーお兄ちゃん?」
首を傾げるをラストは尚更きつく抱きしめて。
「やぁよ。たとえ身内だとしても誰があんたなんかにを渡すものですか」
「うっわームカツク。いいよ、じゃあオチビさんを殺るから」
先ほどエドワードを苛めていたらが止めに入ったことを踏まえ、エンヴィーはそちらを選択した。
案の定、可愛らしい妹はラストの腕の中からスルリと抜け出して、今度はエンヴィーの元へとやってくる。
「待って。ね、止めて、エンヴィーお兄ちゃん」
「うーんどうしよっかなー」
「お兄ちゃん・・・・・・」
じわじわと浮かんでくる涙に逆らうことも出来ず、エンヴィーは笑って妹の頭を撫でた。
「じゃあ俺にもキスして?」
少しだけ腰をかがめて頬を示せば、ちゅぅっと柔らかい感触が落とされて。
エンヴィーは上機嫌でをその腕に抱き上げた。
「・・・・・・・・・近親相姦か・・・」
呆れ半分、頭痛三割、その他二割で、額に手を当ててロイが呟いた。
耳聡くそれを拾ってエンヴィーが唇を尖らせる。
「ロリコンなんかに言われても説得力ないしー」
「別に私は」
「あぁ? じゃあうちのが可愛くないって言うのか? 死にたいなら言ってみろコラ」
妹を子供抱っこしながら凄むエンヴィーに、ロイは名誉と生命を秤にかけなければいけなかった。
可愛いと答えれば、自分はロリコンのレッテルを貼られ。
可愛くないと答えれば、間違いなく自分は命を落とすだろう。
・・・・・・・・・ガチャリと天秤が傾いた。
「ものすごく可愛い」
「ほーらロリコン」
ロイの言葉の半分以上が本気であったということは、彼の今後のためにも秘密にしておこう。



それにしても、どうして敵味方がこんなにも他愛ない話をしているのだろうか。
誰かつっこまないのかな、とアルフォンスは思った。



「じゃあそろそろ帰ろっか」
を抱き上げたままで、エンヴィーが資料やファイルを踏みしめて窓へと歩き出す。
「そうね。もどうして急に一人で出歩いたりしたの? しかもこんなところに」
こんなところで悪かったな、と東方司令部の面々は思ったが、決して口にはしなかった。
「だって、姉様も兄様たちも人柱候補に会ったことがあるって言うんだもの。も会ってみたかったの」
「今度からはちゃんと言いなさい? そうしたら連れてきてあげるから」
「うん、ありがとう姉様」
ニコッと嬉しそうに笑って、はそのまま顔を上げた。
どうやら四人の異形の敵を相手にするには分が悪いと考えて、引き止め様とはしない面々を見まわして。
可愛らしいその顔で、ヒラヒラと無事な方の手を振りながらは笑った。

「またね、人柱さんたち!」

こうして執務室を半壊にして、嵐たちは去って行ったのだった。



「・・・・・・大佐。マジでロリコンは止めた方がいいと思うんスけど」
「口が要らんようだな、ハボック」
「中尉もそう思いますよね?」
「仕事をちゃんとこなして下さるのなら何も言うことはありません」
「「・・・・・・・・・」」
夕焼けを壊れた窓の向こうに眺めながら、ロイとハボックは沈黙するしかなかった。



「・・・・・・・・・兄さん」
「何だよ、アル」
「可愛い子だったね」
ドンガラガッシャン
真っ赤になってベッドから転がり落ちたエドワードに、アルフォンスは溜息をつくしかなかった。



、じゃあ今度はマルコーのところに行こっか」
「マルコー?」
「そ。あいつも一応人柱候補だし。でもって観光でもして美味しいもの食べてー」
「エンヴィー。あんたはしばらく仕事よ」
「げっ! おばさん、マジでムカツク!」
「あんたこそいい加減にムカツクわね・・・誰がおばさんですって?」
「年増を年増って言って何が悪い?」
仲間割れも時間の問題。
火花を散らせる兄と姉を差し置いて、は愛らしい笑みを浮かべてもう一人の兄を振り返った。
「じゃあグラトニー兄様、一緒に行こう!」
「うん、いいよ〜」
こうして仲の良い兄妹は食い歩きツアーに出向いていく。



ウロボロスのお姫様は、今日も大事に愛されて過ごすのだった。





2003年12月8日