「ねぇ」
東方司令部の門で見張りをしていた憲兵は、かけられた声に振り向いた。
しかし視界には誰も映っていなくて。
イタズラかと思って眉を顰めると、もう一度声がする。
今度は、下から。
「ねぇ」
「・・・・・・・・・・・・・・・はい、何か」
首を45度下に向けると、そこには少女が立っていた。
おそらく時折東方司令部に出入りする鋼の錬金術師と同じか、少し下くらいの年。
黒いストレートの髪を背中に流し、同色のレースのついたワンピースを着ている。
闇のような深い瞳は、白い肌や赤い唇と相俟って、まるでアンティークドールのよう。
美少女と言っても差し支えない可愛らしいお客さんに、憲兵は思わず呆けながら答えを返した。
まっすぐに相手を見上げて、少女は尋ねる。

「焔の錬金術師に会いたいの。・・・・・・ねぇ、会わせて?」

小さく首を傾げた少女の愛らしさに、憲兵は一気に顔を赤く染めた。





Princess of the Ouroboros





ざわざわと仕官たちが行き来する執務室で、ロイは処理済の書類をホークアイに手渡していた。
やっと自由になれると思ったら、空いた手には次の書類が乗せられて。
「・・・・・・・・・少しは、休みを」
「それは定時にお帰りになった昨日のご自分に仰って下さい」
「・・・・・・・・・」
いつも通りの光景が交わされている中で、音を立てて扉が開かれる。
立っていたのは軍人の青い制服ではなく、黒いものを着た憲兵で。
彼はロイやホークアイに敬礼をして、些か緊張した様子で話し出した。
「マスタング大佐にお客様がお見えになっておりますっ!」
ロイは首を傾げる。
「私に客? 一体誰だ?」
「はっ! えー・・・・・・10代半ばの少女であります!」
「「少女?」」
ロイとホークアイの声が重なり、それに反応するように仕事をしていた面々も振り返った。
煙草を吹かしながらハボックが笑う。
「大佐、いくらなんでも少女はヤバイんじゃないスか?」
何を、とロイが否定する前に、すでに話題は他の仕官たちによってサクサクと進められて。
「大佐が今年で29歳だから、10代半ばの子だと13・4歳差か?」
「うわーそれは犯罪だろ。いくら大佐でも」
「そうだよな、いくら女にだらしのない大佐でも犯罪だよなぁ」
好き勝手に言う部下たちに、ロイは信用されているのだかいないのか。
ロイは反論しようと口を開くが、冷静なホークアイの声によって止められる。
「大佐、心当たりは?」
「ない! 10代の女性に手を出せば犯罪になることくらい私でも判っている!」
「そうではなく。親戚のお子さんということは?」
「・・・・・・・・・たぶん、ない」
何だか余計なことを口走ったかもしれないロイに、ホークアイは殊更冷ややかな視線を寄越して。
ハボックたちは思わず笑い声をあげる。
汗をダラダラと流すロイを放って、ホークアイは憲兵を振り返った。
「・・・だそうよ。悪いけれどお帰り頂いて」
「で、ですが・・・・・・っ」
「身元不詳の人間を大佐に会わせるわけにはいかないわ。これでも一応ウチの司令官なのだから」
一応、という言葉により一層の笑い声が上がって。
ロイはどんよりと肩を落として項垂れた。
戸惑う憲兵を差し置いて、これにて一件落着というところに、鈴を鳴らすような高い声が響く。

「ねぇ、焔の錬金術師って、どれ?」

その言葉に、執務室にいた人間は動きを止めた。



黒い軍服を着た憲兵の背中から現れた人物。
年齢はおそらく10代半ば。ならばきっとこの少女が憲兵の言っていた『客』なのだろう。
膝よりも短いワンピースのレースの裾が、一歩踏み出す度に軽やかに揺れる。
絞られている細いウェストから、形の良い胸の膨らみが曲線を描いて。
ハイネックの首元と二の腕を被う袖口にも、レースが綺麗にあしらわれている。
シンプルな黒のワンピースは、この上なく少女に似合っていた。
黒の先の丸いローファーと、同色のニーソックスがスラリとした足を覆って。
夜のような色をした髪。雲よりも雪よりも白く輝く肌。血よりも艶やかな唇。
そして何より、深い闇を思わせるような瞳。
生きた印象を与えない。まるで人形のような少女だった。



年齢よりも少しだけ小柄な身体で、少女はゆっくりとロイに近づく。
「あなたが、焔の錬金術師?」
ひたすら凝視され、ロイは驚きと戸惑いを混ぜながら、どうにか首を縦に振る。
回答を得て満足したのか、少女は今度はじっくりと上から下までロイを見なおして。
将来はかなり有望だろうと思われる可愛らしい美貌で、細い指をその顎に添えた。
「・・・・・・・・・名を、聞いてもいいかい?」
一方的に見られるのに耐え兼ねたのか、ロイが少々焦りながら尋ねる。
ホークアイを始めとした執務室の面々は、いまや黙って二人の動向を見守っていて。
「名前?」
「そう。君も知っているみたいだが、私はロイ・マスタング」
「私は
「可愛らしい名だ」
言ってからすぐにロイはしまったと思った。
これでは先ほど話題に上がっていたロリコン説を肯定してしまう。
慌てて取り繕おうとするが、時すでに遅し。
冷ややかな複数の視線を背中に感じて、ロイは思わず泣きそうになった。
けれど目の前の少女―――は、そんなことはお構いなしにロイを観察し続けている。
「ねぇ」
「ん?」
「あなた、強いの?」
次いで告げられた言葉にロイは瞠目し、そして目を細める。
この少女は一体何者かと探るために。
執務室内の空気が一気に張り詰めたものに変わった。
それを受けても表情を変えずに、少女はロイを見上げて。
そして、愛らしい笑みを浮かべた。



「いい人柱になりそうね」





2003年12月5日