ドクター・マルコーとおぼしき医者がいる街への道程で、エドワードは車窓から流れる景色を眺めていた。
東部ではわりと大きめな駅に到着したのか、ざわざわと列車の中を人が行き交う。
「あの、ここいいですか?」
透き通った声にエドワードは顔を上げる。
見れば、金色の髪をした女性がエドワードの隣を示していた。
「あ、どうぞ。すみません、気が利かなくて」
向かいの席に座っていたアルフォンスが慌てたように鞄をどかす。
軽く会釈をしてから女性は腰を下ろした。
「ありがとう」
鎧姿のアルフォンスに笑顔を浮かべて、次いでエドワードにも同じように礼を言う。
照れたようなアルフォンスと会話を始めた女性を見て、エドワードの頭を何かがふっと過ぎった。



この人をどこかで見たことがある。
金色の髪と綺麗な横顔に、そう思った。





涙とたたかい続けるあなたに今この愛がとどいたなら





過去の凄惨な内乱を思い出して顔をしかめるロイに、リザは紅茶を差し出す。
自分用にも同じものを淹れて、ふと小さく笑った。
「この紅茶の淹れ方も、姉さんに習ったんです」
顔を上げたロイに笑みを向けて。
戦場しか共有できなかった上司は知らないだろうけれど、と思いながら先を続ける。
姉さんは私なんかよりもずっと家事が上手でした。特に料理は絶品で、そこらへんのレストランじゃ敵わないくらい美味しくて」
「それは是非ともご相伴に預かりたかったな」
「絶対に嫌ですね。姉さんの料理を大佐に食べさせるだなんて」
率直過ぎる拒否の言葉に、ロイは呆れるよりも悲しくなった。
「・・・・・・度が過ぎるシスコンはどうかと思うが」
「何とでも仰って下さい」
「まぁ、気持ちは判る」
その一言が余計だったのか、ジロリと睨んでくる部下にロイは苦笑を浮かべて紅茶に口をつける。
自分は『国家錬金術師』としてのしか知らない。
逆にリザは『姉』としてしか知らなかった。





両親が事故に巻き込まれて死んだのは、まだリザが幼い頃だった。
「お父さんとお母さんはね、もういないの」
膝をついてリザの眼を覗き込みながら、は言った。
痛いほどに握られた肩に、顔を歪める。
けれど真剣な姉の眼差しから、リザは顔を反らすことが出来なかった。
「でもね、リザにはお姉ちゃんがいるから。だから一緒に頑張ろう?」
「・・・・・・・・・うん」
「リザは私が守るから。だから心配しないでいいからね」
「うん」
苦しいまでの姉の真剣さと、掴まれた肩の痛さに、リザはついに泣き出した。
両親が死んだということはよく判らなかった。ただ、もう会えないことだけが嫌だった。
そんな妹を抱き締めたは、まだ15歳になったばかりだったはず。
数年後、その年齢になったときにリザはようやく気づいた。



そういえば、あのとき自分を抱き締めていた姉は泣いてなかった。
人前で泣くことは絶対にない。誰かが泣いていれば自分は決して泣かない。
姉は、そんな人だった。



学校から帰ると、姉が洗濯を取りこんでいる。
白いシーツを抱えて微笑むが大好きだった。
「お帰り、リザ」
駆けよって抱きつく。苦笑しながら抱き返してくれる姉が大切だった。
「今日のお夕飯は何が食べたい?」
「シチューがいい!」
「リザはシチューが好きね」
手を繋いで玄関をくぐる。掃除の行き届いた綺麗な家。
の作るシチューは世界で一番美味しいとリザは思っていた。
「お姉ちゃん、大好き」
振り向いて微笑むは、紛れも無いリザの自慢だった。
両親がいなくても姉さえいてくれればいい。そう思っていた。





「そんな姉さんが国家錬金術師にスカウトされたのは、姉さんが19歳のときでした」
思い出してしまった過去をそのままにすることは出来ず、リザとロイは話し続ける。
姉さんが錬金術を使えるのは知っていましたけれど、まさか大総統自らスカウトにみえるほどの腕前だったなんて。後で軍に入って驚きましたよ」
クスクスとリザは笑う。
姉さんは迷っていたみたいでした。争いが嫌いなのに迷っていたのは、きっと私の所為なんです。私がまだ小さくて、何も出来なかったから」
「・・・・・・さんは、軍に向いている人じゃない」
「でも姉さんは結局そのスカウトを受け入れました。これも後で知ったことですけれど、非常時以外の召集は出来るだけ止めて欲しいという条件を出していたみたいです」
「大総統に?」
「はい。それだけの力が・・・・・・姉さんには、ありましたから」
ロイは思わず眉を顰めた。
もしかしてはイシュヴァール戦が初めての召集だったのではないか。
だとしたら、あまりにもひどい。
「私がまだ幼くて、二人で生きていくには両親の残した遺産では足りなかったんでしょう。だからきっと姉さんは国家錬金術師になった」
守りたいものがあると、彼女は戦場で言っていた。
銃を握る手は震えていた。その美しい横顔は青褪めていなかったか。
「命令とはいえ銃を携帯するようになった姉さんに、すごく驚いたのを覚えています」
優しい姉が人を殺す姿なんて想像出来なかった。
だっていつも笑っていたから。
涙なんて見せない、そんな人だったから。
溜息とは違う深い息を吐き出して、リザは両手で顔を覆った。
「・・・・・・私は、幼かったんです・・・」
だから、重荷にしかなれなかった。





優しい人だった。
何よりも笑顔が似合う人。
声をあげて笑うよりも、唇を上げて微笑む方が多かった。
綺麗で、見惚れてしまうような美しさを持った人。
柔らかな身体、均整のとれたプロポーション。
女性的で落ちついた、穏やかな雰囲気をまとう人だった。
リザの憧れる、尊敬する唯一の姉。
「仕事で少し出かけなくちゃいけないの」
止めるべきだったのだ、あのとき。
姉が何をしているか。自分の為に何をしようとしているのか。
知っているべきだったのだ。
そのときに自分はもう、両親を失った姉の歳をとうに超えていたのだから。
「気をつけて、姉さん」
今でも夢に見る。止めたいと手を伸ばしても届かない。
姉は微笑んで出ていった。
軍服が似合わない人だった。



そんな姉が軍を抜けたと聞いたとき、リザは正直ひどくほっとしたのだ。



「『天殃の錬金術師』はどこだ!」
乱暴に開けられたドアは壊れてしまった。
青の軍服を着た兵士たちにリザは顔を強張らせて立ち上がる。
男たちは玄関やキッチン、やリザの寝室まで立ち入って荒らしていく。
何かあったのかという疑念は、すぐに不安にとって代わられた。
「『天殃の錬金術師』はどこだ」
目の前に立った大柄な男が『鉄血の錬金術師』だと知ったのは、リザが士官してからのことだ。
「・・・・・・誰、それは」
「自分の姉の二つ名も知らんのか」
傲慢に笑う相手にリザは顔を歪める。
その間にも家はどんどん散らかされていく。
とリザがきれいに整頓していた家を。
姉さんが、何」
「一週間前に戦地から逃亡した」
その言葉にリザは目を見開いた。
男は忌々しげに吐き捨てて、部下に何か手掛かりを探せと指示を出す。
「あの力はまだまだ軍の役に立つというのに。今さら殺人に怖気付いたか」
「―――・・・・・・」
「あれだけ殺しておいてまだ慣れないとはな。所詮、女は女か」
鈍器で頭を殴られた気がした。



知っていなくてはいけなかった。
姉であるが、妹である自分のために何をしてくれているのかを。
知っていなくては、いけなかったのだ。



優しい人だった。
綺麗で微笑の似合う人だった。
料理が上手で、家事が得意で、犬や猫が好きな人だった。
そんな姉が、人を殺していた。
軍の命令とはいえ、錬金術を使って殺戮を犯していた。
だけどそれは自分のためじゃない。
リザは姉を信じている。疑う気持ちは微塵も無い。
が人を殺したのは自分のためだ。
姉は、妹であるリザのために己の手を血に染めたのだ。
そして優しいは、ついにその罪に耐えられなくなってしまった。



守られるんじゃない。守らせるんじゃない。
姉は誰よりも守られるべき人だった。
二人きりの家族なんだから。今までずっと守ってきてもらったんだから。
今度はリザがを守る番だったのだ。
姉が泣けない人だと判っていたのに。
守れなかった。
守れなかった。



姉さん・・・・・・・・」
踏み荒らされた家で、リザは手を握り締める。





待ってて。もう誰にも傷なんてつけさせないから。
今度は私が、守るから。





「それで君は士官してきたんだったな」
空になったカップを置いて、ロイが楽しそうに笑う。
「ええ。軍に追われている姉さんを探すには、やはり軍にいる方が都合がいいと思いましたので。幸いにも銃の扱いは悪くないようですし」
「賢明な判断だ。そして私は有能な部下を手に入れることが出来た」
「私は、私の目的に理解のある上司を」
顔を上げたロイとリザは、互いの顔を見て口角を上げた。
に多大な恩と愛情を感じているのは二人とも同じ。
だからこそ力になろうと決めたのだ。
さんは今頃どこにいるのだろうな。是非とも早く帰ってきてシチューを作ってもらわないと」
「ですから大佐には振舞わないと言ったはずですが?」
「心が狭いな、君は。そんなところはさんと似ても似つかない」
「私と姉さんは似ていませんよ。私は姉さんほど強くもないし、優しくもありません」
自らを否定するような言葉を、けれど微笑みながらリザは言った。
それだけ誇りを持っている。ただ一人、という自分の姉に。
さんは、今年で32歳か・・・・・・。何だかあの人が老いるというのは想像できないな」
出会ったときは25歳だったはず。そのときの印象が強すぎて、変わっていく彼女の姿を思い描けない。
それはリザも同じらしく、彼女も苦笑しながら首を縦に振った。
「まぁさんなら美しいことに変わりはないのだろうが」
「大佐、私は姉さんを嫁に出すつもりはさらさらありませんから」
「・・・・・・・・・そのシスコンは本当にどうにかした方がいいと思うぞ」
「何とでもどうぞ」
にこやかに、は決してしないだろう棘を含んだ微笑をリザは浮かべて。

姉さんは、たった一人の家族ですから」

だから必ず探し出して、そして絶対に守りきる。
そのために軍に入り、銃を手にして立ちあがることを決めた。
今まで貰っただけの愛を、感謝と共に返したいから。
ありがとうと愛しているを、あなたに伝えたい。
もう一度、祈るように願うようにしてリザは決意を口にする。
変わらずに大好きな姉の笑顔を思い描いて。





姉さんは、私の大好きな姉なんですから」





大きな汽笛の音を立てて列車がホームへと到着した。
終点のため下車する人、乗り換える人と大勢の人間で駅がごった返している。
「じゃあお元気で」
列車の中でいろいろな話をして盛り上がった相手に、アルフォンスは軽く頭を下げた。
金色の髪を揺らして、女性は微笑む。
その笑みはとても穏やかで温かいものだと二人は思った。
「アルフォンス君とエドワード君こそ、気をつけてね」
小さな旅行鞄を手にし、スカートの裾を少しだけ翻して。
手を振って去っていく後ろ姿を見送りながら、アルフォンスは嬉しそうに笑った。
「優しい人だったね」
「あぁ」
「それにすごく綺麗な人だったし」
「そうだな」
エドワードも苦笑しながら同意した。
穏やかな物腰の優しい人だった。そしてどことなく傷を背負っているかのような。
眼差しが温かくて心地よい、そんな人。
鎧姿であるアルフォンスにも、機械鎧を身につけているエドワードにも変わらず普通に接してくれた。
余計な詮索などはしないで、ただあるがままに受け入れてくれて。
そうやって接してくれる人は少ない。故郷の幼馴染の家族と、東方司令部の人間と―――・・・・・・。
「あぁ、そっか」
納得したのか満足げに笑ってエドワードが目線を上げる。
緩やかな金色の髪が雑踏に紛れて見えなくなっていくのを見送って。
不思議そうに首を傾げる弟に、彼は笑顔で口を開いた。



「あの人、中尉に似てたんだ」





2004年1月22日