街の中心にある二本の塔が、夕の時間を知らせる。
鳴り響く鐘の音を聞きながら、は足を組み替えた。
短いスカートの裾が風に乗って揺れる。露になる太腿を気にすることなく、街を見下ろして笑う。
撫でるようにそっと、手を伸ばして。



「ほら、やっぱり運命」



細い指が指し示す街外れに、今三人のエクソシストが踏み入れようとしていた。





勝手にWJ(D.Gray-man第43夜)





一歩その街に入った瞬間、分かった。
途端に鳴り出したノイズ。しかも尋常じゃない量のそれは脳内を痛めつけるかのように響く。
「この街・・・・・・っ」
デイシャが言葉にするよりも早く、横の壁をすり抜けるかのように巨大なAKUMAが姿を現した。
六幻を抜刀した神田が斬りかかり、その額をまっぷたつに裂く。
けれど休むまもなく次々と湧き出てきたAKUMAたちに、デイシャもマリもそれぞれのイノセンスを発動させた。
「ったく何だってんじゃん、この街は!」
「無様にやられんじゃねぇぞ!」
「一時分かれよう」
マリの言葉を機に、三方向へ散る。
入り組んでいる通りを南へ向かって走りながら、神田は街の中心部に見える二対の塔を見上げた。
傾いた夕日でオレンジ色に染まる中、何かが一瞬だけ彼の視界を掠める。
「―――ちっ!」
舌打ちして振り返り、六幻を構えた。

十字を象ったコートの内には、あの日のショールが秘められている。



太陽が西の地へ消え、月と共に夜が来る。
半月にも満たない光の中をAKUMAが静かに飛んでいて、は片手を振ってそれを下がらせた。
塞がれていた月光が、彼女自身に注がれる。
深夜を迎えた街は、明かりすらも疎ら。
「デイシャが東に3キロ」
歌うような声は楽しげに闇を彩る。
「マリが西に5キロ」
伸ばされた両腕は白く細く柔らかく。
目を閉じて、ふふ、と小さな笑みを漏らして。
「ダメだよ、眉間の皺は癖になっちゃう。舌打ちもダメ。怪我もダメ」
ぶらぶらさせていた膝を抱え込むと、街に落ちる影が丸くなる。
「ちょっと背が伸びた? 髪も伸びたね。前より格好よくなったなぁ。もちろんいつだって格好いいけど」
指を唇に触れさせる。ささやかな風か茶の髪を揺らした。
耳にかかる程度のそれはふんわりと舞い、静かにきらめいて元の位置に戻る。
しばらくそのまま時を過ごしていたが、ふいに思いついたようには右腕を翳した。
・・・・・・始まりの合図。

「早く来て、神田」

闇の街で、AKUMAとエクソシストの戦いが始まる。



「よぉ、ティッキー」
「・・・・・・うげ」
通された部屋に入った瞬間、ティキはおとなしくついてきたことを後悔した。
しかし今更帰ろうにも後ろには伯爵がいるから無理。
吐きたい溜息をこらえて、帽子とステッキを執事へと渡す。
「何してんのよ?」
呆れながら問いかければ、少女らしくなくテーブルの上に足を乗せ、ロードは明るく言い放った。
「見てわかんねェ? ベンキョォー」
「学校の宿題、明日までなんですっテ」
テーブルの上に積み重ねあげられている本から、なんとなくそうではないのかと思っていたけれど。
その通りの答えを返し、ロードは分厚い本を突き出してくる。
「やべェの。手伝ってぇ」
「ハァ? 学無ぇんだよ、オレは」
それくらい知ってるだろ、と言えば「字くらい書けんだろ」と中々に失礼な言葉を返される。
しかもいつのまにか隣では伯爵がものすごい勢いで問題を解いていて、後ろを向けば傘であるレロも同じ状態。
「今夜は徹夜でス」
伯爵の言葉に、ティキは顔が引きつるのを感じた。
「ねぇ、チョットまさかオレ呼んだのって宿題のため? つーか勉強ならあいつがいるだろ。どこ行ったんだよ?」
焦って問いかければ伯爵はわざとらしく首を傾げ、ロードは羽ペンの先をがしがしと噛んだ。
「あいつならいねェよ。今頃どっかで遊んでんじゃねェの? もしくはオウジサマのストーカー中とか?」
だから代わりに、と本とペンを押し付けられて、ティキは思わず脳裏に浮かんだ姿に文句を連ねた。
黒いコートと茶の髪を持つ、『家族』である少女に。



学なんてないと言いながらも、どうにか四苦八苦していると、静かに伯爵がカードを示した。
「ひとつめのお仕事。ここへ私の使いとして行ってきて欲しいんでス」
ハートマークつきで言われても、書かれている地名に思わずティキは漏らした。
「遠っ」
「まあそう言わずニ」
やはり笑顔で言われ、カードがスライドされて二枚目が現れる。
「ふたつめのお仕事。ここに記された人物を削除してくださイ」
その言葉に、ティキは軽く目を見張った。
わずかながらしかめられた眉は悲しげで、それを見とめたロードは目を細める。
「・・・了解っス」
軽い不満を言いながらもティキは了承し、これ幸いといった感じでそそくさと席を立った。
「そんじゃ、宿題がんばってね」
「―――ティキ」
その後姿を引き止めるように、ロードは声をかけて。
振り向いた彼に、ゆるく笑った。
「手伝ってくれてありがとぉ」
「・・・・・・家族だからな・・・・・・」
返された言葉と笑顔は想像していたもので、羽ペンをかじりながらロードは楽しそうに笑う。
「ティキぽん・・・辛いのかナ」
「人間と仲いいレロにもんねぇ」
「辛いってゆーかさぁ」
伯爵とレロの言葉を肯定するように、否定するように。

「怖いんじゃないのぉ?」



AKUMAがどんどんと破壊されていく。
せっかく育てた彼らが消えて行くのは悲しいけれど、また作ればいいや、と思いながらは路傍へと降り立った。
間隔を隔てて置かれている街灯だけが、お互いの姿を浮かばせる。
目の前に立つ男は驚いた様子で、はそんな彼に笑顔で口を開いた。
「久しぶりね、ティキ」
「・・・・・・何、ここにいたの?」
「そうよ。AKUMAを育ててたの」
「何だ。じゃあオレがわざわざ来なくても良かったんじゃない?」
脱力する彼に、は不思議そうに首を傾げる。
「あなたは何をしにきたの? その格好ってことはお仕事でしょう?」
「ああ。ちょっとお使いとデリートを・・・・・・」
「やだ。消すのってまさか神田じゃないよね? 神田は私が殺すの。譲らないよ」
「・・・・・・分かってるよ」
街灯の明かりの中で見た笑顔は揺らめいていて、ティキはまるで妹を慈しむかのようにの頭を軽く撫ぜた。
柔らかく、愛に溢れた笑顔。けれど見る者が見れば分かる。のそれは、愛に壊れた笑顔なのだ。
一人を想うがあまり闇に堕ちてしまった彼女からそっと目を離し、ティキは夜空を見上げる。
「それにしてもまた・・・・・・随分と派手にやってるねぇ」
距離があるだろうに、ここからでも聞こえてくる建物を壊す音。
もちろんエクソシストたちとてそれを第一にやっているわけじゃない。AKUMAを倒す際にたまたま建物を壊してしまっているだけ。
そうは分かっていても、溜息を吐かずにいられない。
「このままじゃ育てたの全部やられちゃうんじゃないの?」
「今回はそれでもいいの。だって神田が来てるんだもの」
「へぇ? それは是非見てみたい―――・・・」
が『家族』となる理由となったエクソシスト。ただ単純に顔が見てみたいとティキが思った瞬間、二人の目の前の壁が音を立てて崩れた。
「・・・お?」
飛び散った瓦礫がガラガラと路傍を埋めていく。
巻き起こる砂埃を避けるように、がティキの後ろへと回った。
自然と盾にされながらも、ティキは舞い散る埃の中を見つめる。
だんだんと晴れていき、戻ってくる静謐と闇。
けれどその中で輝き続ける何かと、十字のついたコートだけは消え去ることは無かった。
「!」
こちらを向いたエクソシストとティキの目が合う。
首を傾げて、声だけで後ろに問いかけた。
「これ?」
「ううん、違う。これはデイシャ」
「そう」
突然顔を合わせた相手が何故か自分の名前を知っていて、デイシャは警戒すると同時にイノセンスを彼らに向かって構える。
背の高い礼服の男の影。かすかな茶色と、月光に映える白を捉えて。
その顔を見た瞬間、信じられないようにデイシャは叫んだ。
「おまえ―――・・・・・・っ!」
ティキが動く。



闇の中、ノイズの酷いゴーレムは最期の言葉さえ運んでくれない。
崩れ落ちる時の中で、デイシャは目を見開いていた。
瞳孔に、手を振るかつての仲間―――を映して。
「かん・・・だ・・・っ・・・・・・」
落ちたシルクハットを拾い、ティキは埃を払う。
ほら、もう届かない。



「・・・・・・あ?」
誰かに呼ばれたような気がして、神田は思わず振り向いた。
けれどそこには誰もいない。何もない。
二本の塔を見上げてみるけれども、闇の中に蠢くシルエットは見つけられない。
やはり夕方のは見間違いだった。そう考え、再び戦闘に戻る。
同じ頃にマリもまた、聞こえなくなったノイズに仲間の名を呟いていた。



「朝が来るねぇ」
「朝が来るよ」
「もう行かなきゃ」
「いってらっしゃい」
「王子様によろしく」
「うん、もちろん」



握っていた手の平を離すと、黒い三角が羽を広げて飛び立っていく。
白い朝日の中に消えていくゴーレムを、ティキとは見送った。
月が西の地へ消え、太陽と共に朝が来る。



光を失くした街灯に、エクソシストが飾られていた。





2005年4月19日