アレンたちエクソシストの所属する『黒の教団』の本部は、断崖絶壁に近い崖の上にある。
どう考えても常人が登るには難しいそれを、エクソシストたちは越えなければならない。
落ちそうになること数回、アレンはどうにか無事に本部へと帰還することが出来た。
今でも触れられるのを嫌がる門番に挨拶して、中に入る。
「おかえり、アレン君」
「・・・ただいまです、リナリー」
すぐに気づいて向けられた笑顔に、帰ってきたんだと再認識してアレンも笑った。





LOVE PHANTOM





人気の多い本部は任務に出る前と変わっていなくて、アレンは少しホッとした。
リナリーの笑顔は相変わらず優しいものだし、コムイの机の上も変わらずに散らかっている。
崩れ落ちる資料に慌てるのは周囲だけで、当の本人はにこやかに笑いながら話しかけてきた。
「おかえり、アレンくん。ずいぶんと早かったね」
「ただいまです、コムイさん」
「あの街は大きいし、AKUMAを見つけるのにもっと時間もかかると思ったんだけどなー」
「・・・・・・知ってて行かせたんですか・・・・・・」
不思議そうに首をかしげるコムイに、怒りすら沸かずにアレンは脱力する。
たしかに街は大きくて、人間に化けたAKUMAを見つけることはアレンの眼をもってしても時間がかかったかもしれない。
けれど、今回は。
「偶然、街に入ってすぐに見つけたんですよ」
「逃げたりしなかった?」
「逃げたっていうか・・・・・・」
そういえば、とアレンは思い返す。
あのときAKUMAは何処に行こうとしていたのだろうか。
人で溢れている通りを抜けて、わざわざ行き止まりの裏路地の方へ自ら進んで向かっていった。
それは自分を招き寄せるための罠だったのか。・・・・・・それとも。
ポン、と頭に置かれた手に思考が停止する。
見上げればコムイが笑っていた。
「何はともあれ、ご苦労様」
「いえ・・・・・・」
まるで兄弟のような遣り取りに、横で見ているリナリーが笑っている。
照れくさくなって俯きかけたとき、アレンはふと思い出した。
「そういえば、コムイさん。指令をダブって出したでしょう?」
「え? そんなことしてないけど」
「嘘ついたって駄目ですよ。だって、が現場に――――――・・・・・・」



続けようとした言葉は、突然静まり返った周囲によって遮られた。
人の大勢いるはずの部屋が、今は物音一つさえしていない。
アレンはその異常な様子に息を呑み、視線を彷徨わす。
目が合ったリナリーは大きな瞳を見開いて、その唇は震えながら何かを綴ったようだった。
それが何かを問う前に、アレンはものすごい力で襟首を引かれて壁に叩きつけられた。
目の前に漆黒。
それが神田の髪だと気づく前に、低い声がまるで脅すように耳に叩きつけられた。
「――――――どこだ」
神田の向こうで、コムイがアレンのゴーレムであるティムキャンピーを掴んだのが見えた。
その横顔は今までに見たこともないほど険しい。
他のメンバーたちも、誰もが皆強張った顔をしている。
「どこで、あいつを見た」
「・・・・・・南で、二番目に大きな街・・・」
それだけ答えると、手が放された。
アレンは咳き込んで、走り出そうとする神田の後ろ姿に続ける。
「でも、は次の仕事があるからすぐに移動するって言ってました。だからもうあの街には―――・・・・・・」
「・・・・・・・・・仕事?」
振り返った神田の目は暗く、けれど鋭かった。
彼の怒るシーンは今まで何度となく見てきたが、その比ではない。
今にも周囲を切り刻んでしまいそうな、静かで熱い怒り。
煮え滾るような、憎悪。
その理由が判らなくて、けれど迫力に押されてアレンは肩をびくつかせる。
一歩ずつ近づいてくる神田を、壁に背をつけながら見上げた。
「あの女は、おまえに何て言った・・・・・・?」
コムイが繋いだスクリーンに、賑やかな街並みが映る。
ティムキャンピーが記録していた映像。
聞こえてくる明るい声がとても場違いだった。
「何って・・・・・・」
「どうせモヤシのことだ。あいつにいい様にあしらわれたんだろ?」
「―――神田っ!」
の笑顔が浮かぶ。神田のことを大好きだと言った、あの笑顔が。
何故か心が騒いで堪らなかった瞬間を思い出して言い返そうとするが、神田はアレンの胸倉を掴み、再び壁に叩き付けた。
スクリーンの中で、アレンがAKUMAを追う。
「・・・・・・・・・知らないのなら、教えてやる」
路地を曲がる。神田が笑う。
整った顔がひどく不恰好に歪んだとき、ざわりと周囲がさざめいた。
複数の息を呑む音が響き、リナリーは口元に手を当てて悲鳴を堪え、コムイが鋭く画面を睨んだ。
神田の背中越し、スクリーンが瞼に焼きつく。



『ひょっとして、あなた、エクソシスト?』
はエクソシストじゃねぇ」





「あいつは――――――AKUMAだ」





画面の中で、が笑う。
『はじめまして。私、
着ているコートは紛れもない、エクソシストのもの。
『寄生型って少ないでしょ? 私、同じタイプの人に会ったの初めて』
微笑む顔は紛れもない、人間のもの。
『コムイは変わってない? リナリーは元気?』
きつく握られたコムイの拳が見えた。
リナリーが俯いて、黒髪が彼女の表情を隠した。
信じられないように呆然としたアレンを、神田は睨み続ける。
「あいつは、かつてはエクソシストだった。だが二年前に『黒の教団』を抜けて、千年伯爵の下へ走った」
知らされる事実に息を呑む。
「で、でも・・・・・っ僕の眼は」
「あいつ自身はAKUMAじゃねぇ。その代わりにダークマターを持っている」
「―――っ!」
「それを対AKUMA武器で打ち込むことによって、あいつはAKUMAを作り上げるんだよ」
アレンの喉を掴む手に力が込められ、息が詰まる。
苦しさに顔が歪んだが、神田がそれを気に留めるはずがない。
けれどそれも、スクリーンから聞こえる声に放される。
『知ってるよ、神田』
黒い髪がゆっくりと揺れて。
解放されたアレンが床にずり落ちるのに背を向けて、彼は初めて振り返った。
険しい眼差しで、スクリーンを睨む。
二年ぶりに姿を見る。





『だって、私の大好きな人だもの』





虫酸が走った。
その笑顔が昔と同じものだったから。
昔と比べ物にならないくらい、変わっていたから。
唇を噛んで吐き捨てた。
「ふざけんな・・・・・・っ!」
乱暴な足取りで部屋を出て行く神田を、アレンはただ呆然と見送った。
リナリーの涙をすする音が、その場に小さく響いた。



『本部のみんなによろしく伝えて』
それがどういう意味なのか。
考えたくなかった。





2004年10月23日