訪れた街で、アレン・ウォーカーは途方に暮れていた。
「えーっと・・・・・・」
手の中のよれよれになった地図と、周囲を見比べて顔を上げては下げる。
目の前にあるのは水の湧き上がっている噴水。
右手には教会、左手には役場。店や屋台で賑わっているそこは。
「・・・・・・うん、街の中心だ」
安心したように頷き、地図を折り曲げてポケットに仕舞う。
人で溢れている通りは活気があり、親子連れや店主の呼び声が微笑ましく、アレンは笑みを浮かべた。
だけど、すぐにその顔を引き締める。



彼はエクソシストとしてこの街を訪れているのだ。
AKUMAの存在が確認されている今、気を抜くことは出来ない。





LOVE PHANTOM





『黒の教団』の本部にて、アレンはコムイから指令を下された。
それは「とある街でAKUMAが出たみたいだから、ちょっと片付けてきてくれる?」という言葉にすれば簡単なもので。
とりあえずアレンは渡された地図を手に、荷物を持って本部を出た。
そして海越え山越え今に至る。
賑わいのある街の中心で、ポツンと立っているアレン一人。
「この街のどこかにAKUMAがいるって言っても・・・・・・」
きょろ、と右を見回せば人だかり。
きょろ、と左を見回せば人だかり。
「どこから探せばいいんだか・・・・・・」
がっくりと肩を落とし、アレンは溜息を吐き出した。
規模の大きいこの街では、AKUMAの居場所を突き止めるのは骨を折る作業だろう。
それで自分の目が必要になったのかな、と考えて髪をかき上げる。
左額に刻まれたペンタクルの下にある、縦に傷の走った眼。
それは人間とAKUMAを見分けることの出来る、アレン特有のものだった。
もう一度溜息をついて、よし、と背筋を伸ばす。
「とりあえず、片っ端から歩いてみよう」
アレンは決意を固めたが、それは容易く破られることになる。
「――――――っ!」
視界の隅を掠めた、人の皮を被ったAKUMAを見つけて。



人で溢れ返っている通りを駆ける。
「すみません―――・・・・・・ちょっと通して下さい・・・っ!」
ぶつかる相手に謝りつつも、掻き分けて前に進む。
活気のある街だと思っていたが、多すぎる人間の数にアレンは苛立って舌打ちしかけた。
人の波に紛れて、金色のウェーブの頭がひょこひょこと少し前を歩いていく。
女の人だった、とアレンは一瞬の記憶を忘れないように心に留める。
せっかく見つけたAKUMAを見失わないように、必死で人込みを追いかけた。
だんだんと人の少ない通りになってきて、拙いな、と走るスピードを上げる。
けれど前を行くAKUMAは足取りは普通なのにひどく歩みが速くて、彼女の曲がった角にアレンが辿りつくには10秒かかった。
そして、息を呑む。
行き止まりの路地に、『それ』はいた。

縦に伸びた奇形。
一瞬前の人間の女性の形はなく。
姿を現した、まるで巨大な塔のようなAKUMA。
生えている鎌のようなものに、ざわり、とアレンの肌が粟立つ。
すぐさま左腕の対AKUMA武器を発動させ、身構えた。
もしかしたら千年伯爵も近くにいるのか、と思った瞬間。



目の前のAKUMAが、何かに吹き飛ばされて身体を散らした。



アレンの目線と同じ位置を丸く抉り、第二撃は背の高いAKUMAの上部を襲う。
AKUMAの悶絶する悲鳴のような声が響き、狭い路地に木霊した。
何かによって貫通されたAKUMAの身体の向こうに、アレンは目を凝らす。
薄暗い中に立ち込める埃。
揺らいで、見える影。
「――――――!」
アレンの小さな声は、爆音によって掻き消された。
致命的な一撃を受け、AKUMAが粉々に散っていく。
その、向こうに。

見慣れた十字のついた黒いコート。
ふんわりと揺れるショートの髪。
短いスカートから伸びる足は黒いブーツに包まれている。
大きな瞳は、髪と同じ明るい茶色。
それを瞬かせる様子は、どこか愛らしく、それでいて美しかった。
赤い唇から、声が漏れる。



「ひょっとして、あなた、エクソシスト?」



問いかけてくる彼女の服には、右の袖がなかった。
そこに腕ではなく巨大なバズーカのような対AKUMA武器があるのを、アレンは見た。



「はじめまして。私、
年はアレンよりも二つか三つ年上だろうか。
が笑顔で差し出した手は、左手だった。
アレンが袖があると思っていた左腕も実は右と同じく袖はなく、エクソシストの証である制服が彼女のものはノースリーブだった。
その代わりに同じ十字の入っている黒いショールを肩から腕へとかけている。
さっきはそれを見間違えたんだろう、とアレンは思った。
「アレン・ウォーカーです。よろしく」
どうしようかと迷ったけれども、失礼にならないように左手を差し出す。
するとやはり気づいたのか、と名乗った少女は握手したアレンの手をまじまじと見詰めた。
「・・・・・・さっき見たときも思ったけど、アレンってもしかして寄生型?」
「はい。・・・・・・もですよね?」
先ほどの見たバズーカのような対AKUMA武器は、彼女の右腕の位置にあり、身体と繋がっていた。
それを思い返しながら問えば、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
「そう! 寄生型って少ないでしょ? 私、同じタイプの人に会ったの初めて」
「僕もです」
何となく互いに笑みを浮かべながら歩き出した。
AKUMAはすでに倒したし、この近辺に千年伯爵のいる気配はない。
アレンとしては自分は何もしていないので、少し消化不良気味ではあったが。
「それにしてもダブっちゃったね」
最初にいた人通りの多い広場まで来て、はアイスクリームの屋台に向かっていく。
会話が続いているようなので、アレンも大人しくその後についていった。
「私は仕事先で指令を受けてきたんだけど、アレンは誰からもらったの?」
「僕は本部でコムイから言われました」
「コムイ? じゃあダブっても仕方ないかも」
少し苦笑するような感じで肩を竦めたに、アレンは自分が教団本部を初めて訪れたときのことを思い出す。
師匠から紹介状がいっていたはずなのに、それは山のような机の中で埋もれていて読んでもらえてなかった。
その所為で千年伯爵の仲間扱いをされて、神田に刀を突きつけられて、門番に触ったら悲鳴まであげられて。
「・・・・・・・・・そうですね、ダブっても当然かもですよね・・・」
「コムイは変わってない? リナリーは元気?」
バニラとチョコレートのアイスを買って、バニラの方をアレンに差し出す。
慌てて財布を取り出そうとする彼を笑って止めて、は自分のアイスに口をつけた。
受け取るときに一瞬触れた指を、綺麗だとアレンは思った。
「私、最近忙しくって全然本部に帰れてないの。忙しいのは期待されてるからだって判ってるけど、何だかねー」
「コムイは・・・変わってないと思いますよ。あれが、彼の普通なら」
「あはは、じゃあ変わってないよ。リナリーはますます可愛くなった?」
「それ、は・・・・・・」
返事に困って、アレンが俯く。
うっすらと紅くなった頬を見ながら、は楽しそうに笑った。
「ふふ、いいよ。みんな元気そうで安心した」
「・・・・・・はい」
「アレンは新人よね?」
問われて、溶け始めたバニラアイスを慌てて舐めながらアレンは頷く。
「その対AKUMA武器、すごく強力そう。そのうちアレンも仕事に引っ張りまわされるわよ?」
「それは・・・・・・嫌だなぁ」
「もう誰かとペア組んだりした?」
聞かれたので、先日の任務を思い返してこくり、と頷く。
「この間、神田と組みました」
神田って知ってます?
アレンはそう聞きながら振り向いて、目を見開いた。
「・・・・・・知ってるよ」
声が届く。
明るかった笑顔が一瞬だけ影を潜めて。
けれど次の瞬間には、花開くように鮮やかに、美しく。
伏せた瞼を押し上げる様はひどく艶めいていて、アレンはごくりと唾を飲んだ。
は茶色の瞳に、蕩けてしまいそうな熱を浮かべる。
「知ってるよ、神田」
両手を胸の前で重ね合わせ、ほぅ、と吐息を零すように唇を震わせて。



「だって、私の大好きな人だもの」



そう告げた彼女はとても幸せそうだったのに。
アレンは何故か身震いした。
彼女はとてもとても幸せそうだったのに。



――――――何故か酷く、心が騒いだ。



アイスクリームを食べ終わって、払おうとした代金は結局見事に流されてしまった。
先輩の奢り、と言っては笑う。
それは先ほどの艶めいたものではなく、快活な明るい笑みで。
「それじゃ私、次も仕事が入ってるから行くね」
「大変ですね、連続なんて」
「もう慣れちゃった。本部のみんなによろしく伝えて」
「はい」
「それと神田には、頬にキスを」
「・・・・・・それはお断りします」
青褪めて頬を引き攣らせるアレンに笑い、はショールをかけ直す。
ショートカットの茶色の髪を風に遊ばせて、少し考えるようにしてから。
「じゃあ、代わりに『愛してる』でもいいよ」
「・・・・・・」
「百歩譲って『大好き』でも」
「・・・・・・」
アレンはその伝言を伝えている自分と、伝えられている神田を想像した。
いくらからの言葉とはいえ、その光景はシュールで、ある意味とても直視し難いものがある。
男女間ならまだしも、とアレンが悩んでいる一方で、はそれか、と呟いた。
顔を上げるアレンに微笑を浮かべて。
彼の向こうにいる、愛しい人に向かって。
想いを綴る。



「『私はあなたとずっと一緒にいられる日を、楽しみに待ってる』」



またね、と告げて去っていく後ろ姿を、アレンは引き止めることが出来なかった。
どの伝言も神田に伝えるのは難しそうだが、そう判断する以前にの笑みに魅入られてしまった。
向けられる神田を妬ましくさえ思ってしまうような、そんな微笑。
温かくて、優しくて、まっすぐな愛情。
「・・・・・・いいなぁ、神田」
紅くなってしまった頬を擦って、に背を向けアレンも歩き出した。
『黒の教団』本部へと戻るために。



この一瞬のすれ違いがどんな意味を持つのか、アレンは知らなかった。
小さくなっていくエクソシストを見送って、は笑う。
十字架の刻まれたショールを、丁寧に肩にかけ直しながら。



「またね、アレン・ウォーカー」





2004年10月14日