ある晴れた日の午後、土方と沖田は仕事であり日課でもある市中見回りをしていた。
お気に入りのアイマスクを胸ポケットで待機させながら、沖田が空を見上げて言う。
「暇ですねィ、土方さん」
「そりゃ良い事だろうが。俺たち真選組の出番なんかないにこしたことはねぇ」
「だけどこんなに暇じゃあせっかくの俺の腕も鈍っちまいまさァ。どうです、土方さん。真剣でチャンバラでも」
「真剣な時点でチャンバラじゃねぇだろうが。やりたきゃてめぇ一人でやれや」
「つれないですねィ。じゃあまぁ他に面白いことでも見つけましょーや」
そんな会話をしながら歩く二人は、その黒い隊服がなければ間違っても警察には見えないだろう。
私服で歩いた日には通報されても可笑しくない物騒さだ。
本日二箱目の煙草に火をつけ、土方は美味そうに煙を吐き出す。
「俺が副流煙で結核にでもなったら、間違いなく土方さんの所為ですぜ」
「俺が精神性胃炎になったら、間違いなくてめぇの所為だな」
「土方さんは胃炎よりも禿げる方が先でさァ」
三十路付近を漂っている男に対して、将来の展望が暗くなるようなことをよくもまぁさらりと言いやがって。
ちょっと俺よりも若いからっていい気になってんじゃねぇぞ。
何故か笑みに引き攣る口元で土方が帯刀している日本刀に手を伸ばしたとき、見事にそれを遮って沖田が声を上げた。
「土方さん、アレ」
「あぁ?」
指差した先のものを見て、土方は目を丸くする。
瞳孔が開き気味の目では些か判り辛かったけれども。
沖田はその端正な顔で、真選組一の腹黒の名に相応しい笑みを浮かべてみせた。

「面白そうなもん、ありやしたねィ」





異星人交差点【えいりあんくろすろーど】





店が立ち並び大勢の人が行き交う中で、そこにはぽっかりと穴が開いていた。
いや、穴が開いているのではない。人々がそこを避けるようにして歩いているから、自然とそう見えるのだ。
だからこそ数十メートル先にいる土方と沖田からも、その存在は良く見えた。
長くなった灰を携帯灰皿に落としながら、土方が口を開く。
「ありゃあ・・・・・・天人か?」
目つきが悪くて態度も極悪で二言目には「斬る」で誤解されがちな彼は、携帯灰皿を持つ中身は割合と常識人な人間だった。
少なくとも、隣に並ぶ沖田よりは。
「どうなんですかねェ。ガマや触覚よりかはよっぽど人間に見えまさァ」
「あぁそりゃ俺にも人間には見えねぇよ。だけど金髪の人間なんかこの世にいるのか?」
「あんたの目に俺の髪はどう見えるんですかィ?」
「茶髪だ茶髪。だけどあの餓鬼の髪は完璧な金色だぞ」
「瞳の色は紫でさァ。あぁ、こりゃ見事な別嬪さんだ」
「十年後ならな」
「五年後でもイケまさァ」
ロリコンか、てめぇ。
土方の呟きを華麗に無視し、沖田はどんどんと人波を掻き分けていく。
その足がまっすぐに目標へと向かっていて、あいつは本気でロリコンか、と土方は思った。
だが放置しておけばどうなることか判らない。一応警察である真選組が通報なんてされたら沽券に関わる。
はぁ、と心から溜息を吐き出して後を追う土方は、やはり胃炎と禿げと戦う運命にあるのかもしれない。



一方、土方を胃炎にし副長の座から退けようと狙わんでもない沖田は、ご機嫌で鼻歌でも歌いだしそうなくらいだった。
市中見回りの際に偶然見つけた『面白そうなもの』。
一歩近づく度にその確信が深くなり、自分自身の感の良さに思わず笑った。
これも日頃の行いがいいからでしょーねィ、などと土方に言わせれば切腹物なことを考えながら。
長い足を活かして早々と辿りついた先で、これまたニッコリと胡散臭さ満点の人好きのする笑みを浮かべる。
「どうかしたんですかィ? お嬢さん」
きょとんと振り向いた相手に、やっぱり三年後でもオーケーでさァ、と沖田は思った。



沖田の言う『面白そうなもの』とは、金色の髪に紫色の目をした子供だった。
賑やかな往来で、人々から距離を取っておかれている幼女。
それは彼女の様子や格好が怪しいのではなく、むしろその容姿こそが問題だった。
金髪と紫の目は江戸では見られない。人間外である天人とはまた違った異質さ。
異形の美ってのはこういうのかもしれねーや、と沖田は思う。



齢十歳くらいと思われる幼女は、こてん、と首を傾げた。
その際にツインテールに結わかれている金糸も同じように揺れる。
可愛いなァ、と思いながら沖田も同じように真似をしてこてん、と首を傾げた。
「・・・・・・何やってんだ、てめぇは」
「遅い到着ですねィ、土方さん」
ご老体には辛い道のりでさァ、とこちらも見ずに言ってくる沖田に殺意が芽生えたのは今日だけで何回目だろうか。
刀の柄に手をかけて抜こうとしたとき、土方の目を紫の瞳が捉えた。
紫水晶にも似た曇りない目に魅入り、思わず手が止まる。
ちらり、と沖田が自分を見たのにも土方は気づけなかった。
「・・・・・・・・・」
「ちょいと土方さん。瞳孔開きっぱなしの目で睨んじゃあ、この子が怯えまさァ」
「あぁ? てめぇこそいたいけな餓鬼をナンパしてんじゃねぇよ」
「別にナンパなんかしてやせんぜ。紫の上計画はお持ち帰りしないと無理ですしねィ」
「尚更わりぃぞ、コラ」
そこまで言い返して土方ははた、と気づいた。
自分にとってはいつもの応酬だが、子供にとっては怖かったかもしれない。少なくとも教育上良くはない。
チッと舌打ちをしかけてこれも教育上良くないと慌てて辞めながら、土方は子供と向かい合った。
これもやはり子供の成長上良くないので、吸えない煙草を恋しく思いながら。
「おい、餓鬼」
どれだけ行動に配慮していても、口下手な彼は人生の八割を損していると思われる。
「こんなところで一人でどうした。親はどこだ?」
「そうですねィ、拉致るならまず親御さんの許可がいりまさァ」
「おまえはちょっと黙ってろ」
ぴしゃりと言われて沖田はとりあえず口を噤む。
子供と同じ目線にするためしゃがみ込み、土方はもう一度尋ねた。
余談だが、俗に言う『ヤンキー座り』をした彼は紛れもない本物に見えるので止めた方がいいと思われる。
人相の悪さに拍車をかけてらァ、と沖田は内心で思うが、指摘してあげるほど彼は善良でも土方思いでもない。
「おい、まさか迷子か?」
二度目の問いかけに、金色の睫を瞬かせてから幼女は赤い唇を開いた。



「あいうぉんとぅばいさむばんどえいず。うぇあきゃんあいばいいっと?」



・・・・・・・・・?



ぽん。ぽんぽんぽんぽん。
沖田の脳内をハテナマークが飛び交い、土方の頭の中も同じ記号が埋め尽くしていく。
ちらり、と視線を交錯させた二人は、互いに幼女の言った言葉が理解できていないことを悟った。
「・・・・・・とりあえず、天人じゃねーみてーですぜ」
「天人は見てくれはどうあれ言葉は通じるからな。ってことはこの餓鬼は一体何なんだ?」
「それが判りゃ苦労はしませんや」
ひそひそと会話をする沖田と土方を眺め、幼女は再び首を傾げた。
「・・・・・・まぁ可愛けりゃ何でもありでしょーねィ」
呟いて、沖田は腰を屈めて笑顔を浮かべる。
それは相変わらず胡散臭いものではあったが。
「お嬢さん、お名前は?」
尋ねてから、自分の胸元を指差してゆっくりと言う。
「俺は、沖田総悟っていいまさァ。そ・う・ご」
「・・・・・・そーご?」
「そうそう、お上手じゃありゃーせんか。じゃあ今度はお嬢さんの番だ」
年齢にしては派手な色合いの着物の胸元を指差しながら、ゆっくりと。
「お・な・ま・え・は?」
聞くと、幼女は花開くように笑った。
小さな手で、自分を指差して言う。

「―――おぉ、やった。ちゃんっていうらしいですぜ、土方さん」
意思疎通が出来たことを伝えると、隣でヤンキー座りをしている土方はがっくりと頭を垂れていた。
その旋毛と赤く染まっている耳を見て、沖田は目を平らにしてふぅん、と笑う。
という幼女に向けたのとは違う、邪悪な笑顔だ。
「土方さんが稚児趣味たぁ知りゃーせんでした」
「―――誰が稚児趣味だ!? 勝負だ総悟! 剣を抜けぇ!」
相変わらずの血気の早さに、にやりと唇を吊り上げて沖田も刀へと手を伸ばす。
けれど握った柄を引こうとしたときに、ぺた、と温かな熱を感じて。
目線を上げれば、紫色の瞳がすぐ傍にある。
あぁ、睫まで金色でさァ、と場違いなことを沖田は思った。
「すとっぷ! あいうぉんとぅばいさむばんどえいず! ぷりーずてるみーうぇあきゃんあいばい?」
捲くし立てるように言われても意味が判らない。だけど可愛い。
ふわふわさらさらの金髪も、宝石みたいな紫の目も、桃色の頬も、真っ白な肌も、見事に全部可愛い。
アイドル歌手のように短い着物の裾から、形の良い足がまっすぐに伸びている。
その先はだぼっとした靴下と厚底のぽっくり下駄。
本気で将来有望ですねィ、と沖田が目を細めたとき、刃をぎらつかせていた土方が呟いた。
「・・・・・・思い出した」
「何がでさァ?」
ちん、と音を立てて刃を鞘に収める。
「その餓鬼は『異人』だ」
「異人?」
目を見開く沖田に、土方は頷く。
「さっきの『すとっぷ』ってのは異人から伝来された言葉とされている。以前に近藤さんと共に幕府の官僚と異人の会合に立ち会ったが、そういやこんな言葉を話していたな」
「・・・・・・へぇ」
異人ですかィ、と噛み締めるように沖田は繰り返した。
目の前にいるは確かに江戸では見ることのない形をしている。
侍の国では拝めない金髪は、そういえば海の向こうの国にいる人間が持つものだと聞いたことがある。
「で、何でその異人さんが江戸にいるんですかィ?」
天人によって無理やり開国させられたが、その対応だけで精一杯のため、海の向こうの国との交易はまだ行われていない。
「そんなん俺が知るか」
「使えねーなァ、土方さん」
「何だと、コラ。切腹するか?」
「『すとっぷ』ってのは『待て』ってことでしょーねェ。後は何て言ったか判りますかィ?」
「判んねぇよ。異人の言葉は俺たちにゃ通じねぇ」
「それは困りまさァ」
うーん、と二人は首を傾げる。
土方は眉間に皺を寄せて人相をさらに悪くしながらも真剣に考えているが、沖田は瞳をキラキラと好奇心むしろ悪戯心一杯に輝かせている。
だからそんな二人の様子を見比べて、幼女が土方の膝を叩いたのは当然の判断と言えるかもしれない。
土方は良い人なのだ。強面で瞳孔は開いているが、根は善良な人なのだ。
ぺしぺし、という可愛らしい擬音に顔を上げれば、が何か身振り手振りをしている。
一度土方の腰にある刀を指差してから、自分の腕を示して、細い人差し指でピッと横に引く。
「あうち!」
わざとらしく痛そうな声をあげて、そしてふーふーっと腕に息を吹きかける。
こてん、と首を傾げた土方を他所に、沖田はぽん、と手の平を打ちつけた。
「怪我じゃねーですか?」
け・が、とゆっくり言ってみれば、は嬉しそうにコクコクと頷く。
そして今度はその腕に何かをポンポンと当てるような動作をしてから、くるくると手を動かした。
「・・・・・・・・・治療して、包帯でも巻いてんのか?」
「―――いえす! ほーたい! ほーたいいずばんどえいず!」
推測して言った土方の言葉に、がパッと笑顔になった。
「包帯?」
「いえす!」
「包帯が欲しいんですかィ?」
「いえす! ばんどえいず!」
確認すれば首を縦に振る。
なるほど、と膝に手を置いて沖田は立ち上がった。
「どうやら、この子は包帯が買いたいみたいでさァ」
包帯のことを異人はばんどえいずって言うみたいですねィ。
ふむふむ、と頷いて沖田は手を差し伸べる。
不思議そうにそれを見つめる幼女の小さな手を取って、にっこり笑って。
「包帯、買いに行きましょーや」
「どぅーゆーていくみーとぅあふぁーましー?」
「オーケーオーケー。さぁて行きまさァ、土方さん」
幼女の手を引いて意気揚々と歩き出す沖田を、土方は未成年者誘拐容疑で捕まえたいと思った。
つーか絶対に意味判ってねぇだろ、おまえ。
青筋を立てながらも二人の後を追いながら、ちょうど良いから薬局で胃薬でも買うか、と思った。



もしも異形の幼女の手を繋いでいるのが隊服を着ている真選組でなければ、間違いなく警察へ通報されていただろう。
いつも以上に周囲の注目を集めながらも、一行は無事に薬屋へと到着した。
胃薬の棚を眺めて店主と相談している土方を他所に、沖田はと包帯の陳列されている方へと向かう。
真剣な表情で品を吟味するを見下ろしながら、届かない高い位置にあるものを取ってやって。
ニコニコと笑っている沖田は本当に楽しそうだった。
とてもとても怪しかったが、とりあえず楽しそうではあった。
高い台に背伸びをして代金を乗せている様子を後ろから眺めて。
「本気で拉致るかねィ・・・・・・」
その呟きを聞き取ってしまった土方は、胃薬を購入することを決めた。
増毛剤も一緒に買うことをお薦めしたい。



無事に包帯を購入できたは、おつかいをちゃんと出来たことが嬉しいのか満面の笑顔である。
金色の髪と紫色の目は珍しいことを差し引いても眼福物で、それは沖田だけではなく土方も認めていた。
こいつを一人で歩かせるたぁ親は何してやがんだ、と怒りと心配を感じるほどには。
「ここからは一人で帰れるか?」
ゆっくり言ってやれば、はこくりと頷く。
両手で大切そうに抱えられている紙袋には、買ったばかりの包帯が入っている。
愛らしい笑顔に思わず頭を撫でかけて、けれど止めた。
綺麗に結わかれている髪を乱すのが申し訳なかったというよりも、隣にいる沖田から向けられている視線がものすごく痛かったから。
行き場の失った手で煙草を取り出すことで、土方はどうには体裁を取り繕う。
けれどそんな彼を鼻で笑う沖田は、やはり流石沖田総悟だ。
ぽん、と土方の堪えた仕種を意図も簡単にやってのけて。
金色の髪をゆるゆると丁寧に撫でる。
「また会いましょーや。不肖沖田総悟、ちゃんのためなら火の中水の中どこでも行きまさァ」
「じゃあ手始めに獄舎へ収まってもらおうか」
「土方さんには言ってねーですぜ。むしろ土方さんなら火の中水の中に投げ込んでやりまさァ」
「てめぇ総悟・・・・・・っ!」
三度刀を抜こうと手を伸ばすが、それもやはり三度遮られた。
くいっと小さな手が袖を引く。
包帯の入った紙袋がいつの間にか地面に下ろされていて、白い手が二人の隊服を引っ張って。
可愛らしい力に土方も沖田も逆らわなかった。
紫水晶の瞳が伏せられて近づく。

ちゅっ

柔らかいものが頬を掠め、沖田は目を瞬き、土方は硬直した。
再び紙袋を大切そうに抱えて、が笑う。
「さんきゅーべりーまっち! あいらいくゆーでぃあー!」
意味は判らないが、とりあえずほっぺにちゅーをされたことから感謝されているのだろう。
沖田は目を細めて笑った。
「お安い御用でさァ。また会いましょーねィ」
「いえす! れっつみーつあげいん!」
まだ頬を押さえて固まったままの土方を見上げて。
「さんきゅーでぃあー! ばぁい!」
走っていく後ろ姿を沖田は手を振りながら見送る。
一方の土方は、三十路付近を漂っているはずなのに初心な少年のように未だ硬直したまま。
ぽつり、と呟いた沖田の言葉さえ今の彼には届かないようだった。
「・・・・・・稚児趣味ってことで副長の座を追われませんかねェ」
沖田の辞書に『同じ穴の狢』という言葉はない。



それは、ある晴れた日の午後。
真選組の副長と一番隊隊長が可愛らしい異人の少女と出会った日だった。



そして『真選組の副長は稚児趣味らしい』という噂が誰かの手によって流され、屯所内を駆け巡った日でもある。





2004年9月23日