黒装束のお姫様。
彼女は戦場に駆ける女神だと人は言う。
とても美しく、そして麗しい女神だと。





Goddess





先ほど知った真新しいニュースをもって、市丸ギンはある扉を叩いた。
コンコンという可愛らしい音に対して中からの返事はない。
だからと言ってこの部屋の主が不在だということはなく、単に聞こえていないだけなのだろう。
ギンは苦笑しながらドアノブへと手をかけた。
さん、開けるで」
少し力を込めて押せば扉は簡単に開いて中の様子を伺わせる。
「・・・・・・いっつも鍵閉めろ言うとるんに、まったくあの人は・・・・・・」
呆れとも怒りとも取れる言葉をつぶやいて、中へと歩を進める。
もちろん扉の鍵はきっちりと閉めて。
床も壁も天井も石で作られた部屋は、窓が大きいのも手伝って広く見える。
まぁ実際に広いのだが、家具が少ないのもその原因の一つだろう。
部屋を入ったすぐ左に、応接セットのソファーとテーブル。それにテレビやビデオまで。
反対の右側には簡易キッチンとシンプルな食卓。
そのさらに奥にはバス・トイレへの扉。
部屋の奥には仕事用の机があって、その近くでは書類が散乱している。
その、奥。この部屋の一番奥には大きな天蓋つきのベッドがあった。
見るからに柔らかい布団と、その周囲をさえぎっている白のレースのカーテン。
ギンは迷わずにベッドへと足を進めると、そのカーテンをそっと持ち上げた。
窓から入る太陽の光を受けて、眠り姫がほんの少しだけ眉をひそめる。
そんな可愛らしい様子に、ますます笑みを漏らして。



「王子様のキスで目覚めてや、お姫様」
チュッと軽く触れるキスをした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しかしお姫様は目覚めない。



ギンは苦笑してベッドへと腰掛ける。
「なぁ、起きてやさん。召集かかっとるで」
お姫様の頬をくすぐるように撫でて。
「お仕事やで、一番隊の隊長さん?」
「・・・・・・・・・ん・・・・・・・・・・」
眠っている少女・・・・・・いや、少女と女性の中間に位置していそうな彼女は小さく声を上げる。
けれども目覚めはせずに布団をかきこんで丸まって。
「こらこら寝るんやない。まったく猫みたいなお人やなぁ」
困ったような口振りだけれども、その顔は楽しそうに微笑んでいて。
今度は、少し長めのキスをした。



「・・・・・・ん・・・・・・・ゃ・・・?」
うっすらと瞼を開いたにギンは元から細い目をさらに細めてキスを繰り返す。
「起きた? お姫さん。そろそろ起きへんと部下が呼びに来てまうで?」
「・・・・・・・・・部、下・・・・・・?」
「せや。上からのお達しで一番隊に出動命令や」
「・・・・・・ギンちゃん行ってきてぇ・・・・・・」
「ボクはそれでもえぇけど、上からの要請やしな。とりあえず行ってきぃ」
「や・・・・・・眠い・・・・・・」
「あぁもう可愛えぇ姫さんやな」
ちゅっと音を立ててキスをして髪を撫でる。
気持ちよさそうに撫でられている様子にますます笑みを漏らして。
啄ばむだけだったキスを、深いものへと変えた。
「・・・・・・・・・ふ・・・っ・・・」
鼻にかかる甘い声が、広い部屋へと響く。



隊長、お休み中のところ申し訳ありません! 上層部から出動命令が下りましたのでご準備お願いいたします!」



繰り返されるノックにも、絡めた舌は離れない。



隊長! いらっしゃらないのですか!?」



「・・・・・・・・・隊長さんならおるで。五分待っとき。準備して送り出すさかい」
ようやく返された声がこの部屋の主のものではなくて、けれど見知ったものであることに扉の向こうで動揺しているようである。
「えっ!? あっ今の・・・っ! 市丸三番隊隊長!?」
「下で部隊の準備させとき。ちゃんと五分で送り出したるわ」
「は、はいっ! 判りました!!」
バタバタと慌ただしい足音が去っていくのを聞きながら、ギンはベッドから身を起こした。
「邪魔されてしもうたわ。この続きは帰ってきてからシよな?」
「・・・・・・・・・ゃ・・・。だってギンちゃんだってお仕事あるでしょ・・・?」
「そんなん終わらせとく。せやから早よう帰ってきてや。ボクかてさんと一緒におりたいんやから」
手を引っ張って起き上がらせると、いまだ濡れている唇をゆっくりと舐め上げて。
「ボクが我慢しとるうちに、帰ってきてや」
その着物からのぞく白い胸元にキスをした。



「無理やったら、戦場まで攫いに行くから」



白の着物を脱ぎ捨てて
黒の死装束に身を包む
腰に挿すは細身の真剣
長い髪を高く結わいて



その横顔はまるで女神



「―――――――――――行ってくる」



大きな窓を押し開いて
袴の裾を綺麗に翻して
女神は、飛んだ



そして湧き上がる歓声



「・・・・・・・・・・・・・・・行ってらっしゃーい・・・・・・」
窓から下の光景を見下ろしながらポツリと呟く。
黒装束の死神たちが集まっている中で、一際目立つ立ち姿。
凛とした振る舞い。
格が違う。
そこにさっきまでベッドでまどろんでいた彼女の様子は欠片もなくて。
それが、ほんのちょっとだけ悔しい。
同じ隊長としては見習わなくてはいけないのだろうけれど。
「難儀やなぁ・・・」
隊長に従って出動していく一番隊を見ながら苦笑して言葉を漏らす。



「早よう帰ってきてや。・・・・・・・・・ボクのお姫さん」



一番隊には隊長に似て素晴らしい部下が勢ぞろいしているから、きっと彼女は剣を抜くこともなく帰ってくるのだろう。
そんな様子を思い描いて。
彼は、幸せそうに笑った。





2003年3月5日