チーンという音が鳴る。
ミトンを片手にはめてオーブンを開けると、甘い香りがキッチンに広がった。
綺麗な茶色の表面に、ふわふわに膨らんだ生地。竹串を刺すとしっかりとした弾力を感じる。
「・・・・・・うん、いい出来」
思わず笑って、型を逆様にしてビンの上に乗せた。
冷ましている間に生クリームを粟立てて、チョコシロップを作って、飾り用にバナナを一本スライスしておかなくちゃ。
それと食器を洗って、お湯を沸かせてお茶の準備を。
ポーンポーンポーンと、時計が三つ鳴って時間を知らせる。
すべての準備を終えて、私は備え付けの内線電話をとった。
繋がる先は研究室にいるはずのご主人様。
高くて綺麗な声が聞こえる。

「お茶をご用意いたしました。お部屋までお持ちいたしましょうか? ―――ブルマ様」





LOVE & PEACE





ふわふわのシフォンケーキ。中にある粒々はペーストされたバナナ。
添えた生クリームとバナナスライスの上で、とろとろのチョコレートシロップが輝いている。
それをフォークに乗せてブルマ様が頬張るのを、私はどきどきしながらじっと見ている。
「ん〜っ美味しい! やっぱりの作るお菓子は絶品ね!」
「・・・っありがとうございます」
思い切り頭を下げた。ブルマ様は何度も『美味しい』と言って下さるけれど、やっぱり毎回嬉しい。
この綺麗な方が幸せそうに食べて下さっている姿を見ていると、私まで幸せになってくる。
「紅茶もいい香りだし、開発ばっかで鈍ってた頭が冴えてくるわぁ」
「御代わりもご用意していますから、いつでも仰って下さいね」
ミルクとレモン、シュガーもトレイに乗せてお出しする。
ブルマ様は世界有数の巨大企業カプセルコーポレーションの御令嬢。
両親を失って途方に暮れていた私を引き取って下さった、感謝しても感謝しきれない掛け替えのない恩人。
ただでお世話になることは出来ないと言って、代わりに家事を引き受けて二年経つけれど、今はとても幸せな日々を送れている。
これも全部、ブルマ様もおかげ。
「それにしても、あなた家事なんてやらなくてもいいのよ? そりゃロボットより全然美味しいから嬉しいけど」
綺麗にケーキを食べて下さって、ブルマ様が紅茶を飲みながら聞いてくる。
「いえ、私に出来るのはこのくらいですから。それにお掃除はロボットがしてくれますし、十分楽させて頂いています」
「そう? だってあなた来年16歳でしょ? 普通ならハイスクールに通って青春をエンジョイしてる頃じゃない」
「私は今の生活がとても楽しいです。ブルマ様にこうして『美味しい』って言って頂けることが何よりも嬉しいですし」
「可愛いこと言ってくれるわねぇ。だけど若い乙女がおさんどんで青春を終わらせるなんて勿体無いわよ。やっぱり恋人を作らなくっちゃ!」
「・・・・・・恋人、ですか?」
「そうよ!」
きっぱりと言い切るブルマ様は今年で43歳になられるそうだけれど、とてもじゃないけどそう見えない。
肌だってつやつやだし、スタイルはいいし、それに何より雰囲気が若くて魅力的なんだもの。
だからブルマ様ならいくらだって恋は出来ると思うけど、でも私は別に・・・・・・。
そう考えていたら、うりうりと肘で突っつかれた。
「知ってるわよ〜? 、あなたこの前の買い物のときにラブレターもらってたでしょ?」
「え」
「結構カッコイイ男の子だったじゃない? どうするの? 付き合っちゃうの?」
「え、えっと、その」
うりうりしてくるブルマ様の目は、面白いことを見つけた少女みたいに輝いている。
「あ、あれはお断りしました。そんな時間、ありませんし」
「ええぇ! 何でよ!? 別にあたしたちのご飯くらい多少手抜きしたって大丈夫よ!?」
「それはダメです! そんなことするくらいなら私、誰とも付き合いません!」
ただでさえお世話になってばかりなのに、これ以上迷惑なんてかけられない。
それに今は恋とかそういうのに興味はないし、男の子も正直苦手だし。
そう言ったらブルマ様は苦笑して、柔らかく笑って下さった。
「あんたを好きになる男は大変ねぇ。じゃあ将来的にうちのトランクスなんかどう? いい男になるわよ、あいつ」
「そんな、恐れ多い」
トランクス様はブルマ様のご子息なんだから、私にとっては仕える方だし。
そう返したらブルマ様はやっぱり何故か苦笑なさって。
「今日の夕飯は孫君たちが遊びに来るっていうのよ。いつもの倍用意しておいてくれる?」
「はい、畏まりました」
二杯目の紅茶とケーキをテーブルに用意してから、一礼して私は研究室を後にした。



ブリーフ様とパンチー様にもケーキとお茶をお出しして、ワゴンの上に残ったティーセットは後二つ。
広すぎるカプセルコーポレーションだけど、これから行くところは大体決まっていて。
エレベーターから降りて廊下を進むと、並んでいた扉のうちの一つが開いて、探していた二人のうち一人の方の姿が見えた。
まっすぐにこちらへと歩いてこられるのに、緊張しながら口を開く。
「あ、あの、ベジータ様」
お返事を頂けることはないけれど、でも聞いて下さっていることは知っている。
「お茶をご用意いたしました。本日のお茶菓子はバナナシフォンケーキですが、いかがですか?」
「いらん」
「・・そうですか・・・・・・」
ブルマ様の旦那様でいらっしゃるベジータ様は、甘いものがお苦手なのか、数えるくらいしかおやつを召し上がって下さったことはない。
夕食はとてもたくさん食べて下さるから、嫌われてるとは思わないけれど・・・・・・。
「おい」
「は、はい」
声をかけられて、慌てて顔を上げる。
ベジータ様は気高くて厳しいから、物言いが少しだけ乱暴で。
でもブルマ様はそんなベジータ様を『実は優しい人』だと仰る。だからきっと、ベジータ様は優しい方なんだと思う。
ただこうして目の前に立つと、そのまっすぐな眼差しにやっぱり緊張してしまう。
「何でしょうか、ベジータ様」
「重力室を掃除しておけ。それと中にいる奴もだ」
「? はい」
『中にいる奴』の意味が判らなかったけれど、とりあえず頷いておく。
それだけ言って去っていかれるベジータ様の後ろ姿は、寡黙だけど強いと思う。
ブルマ様はきっと、ベジータ様のそんなところに惹かれたのかな。



カプセルコーポレーションでの生活は、とてもとても幸せ。
こんなことを言うのは出すぎた態度だと思うけれど。

ここは私にとって、第二の家族みたい。



入り口の画面で、重力がゼロになってることを確認して扉を開く。
広い室内の中に家具などは何もないのだけれど、今は一つだけあった。
床に倒れている姿に思わず息を呑む。
「・・・トランクス様っ!」
駆け寄って手を当てると、ちゃんと心臓は動いてる。
急いで隣室に駆け込んでタオルを濡らし、戻ってきて額に乗せる。
そうすると冷たい感触を覚えたのか、トランクス様はゆっくりと目を開かれた。
ぱちぱちと瞬きをする様子に安心する。
「大丈夫ですか? トランクス様」
「・・・・・・・・・・・・?」
「はい」
どこかまだぼんやりしたような声で尋ねてくるトランクス様は、今年で10歳になられる。
父君でいらっしゃるベジータ様と鍛錬をしているらしくて時々こうして倒れているのをお見かけするけれど、その度に私はびっくりしてしまう。
きっと先程ベジータ様が仰られた『中にいる奴』というのも、トランクス様のことだったんだろう。
介抱しろってことだったのかな。そうだとしたら、やっぱりベジータ様は優しい。
「―――っ!」
「まだ寝ていらして下さい。頭を打たれたかもしれませんから」
飛び起きたトランクス様に言うけれど、ふるふると頭を横に振られた。
淡い紫色の髪が私の視界で揺れる。
「大丈夫だよっ! それよりパパ―――お父さんは!?」
「すでに退室なされました。今はシャワールームか、あるいは自室にいらっしゃるかと」
「また負けた・・・・・・っ!」
拳を握りこんで、床を殴る。何だか建物が揺れたような気がしたけれど、それにも慣れてしまった。
座り込まれたトランクス様の肩に、乾いたタオルをそっと乗せる。
この二年の間で、トランクス様はとても成長された。今じゃ同じ年の子供たちの中では、すぐに目を引いてしまうくらいに輝いていると思う。
ブルマ様も、言葉にはなさらないけれどベジータ様もきっと、自慢に思っていらっしゃるご子息だもの。
「トランクス様は強くなっていらっしゃいますよ」
慰めでも何でもなく言ったけれど、弱弱しく首を振られた。
「・・・・・・だけどこれじゃ守れない」
はっきりと仰る様子は、やはりベジータ様の血を引いていらっしゃると思う。
「早く強くなって・・・・・・大人になって守りたいのに・・・っ」
押し殺したような声でそう言うトランクス様は、すでに十分大人だと思う。
強くて優しい心を持っている、素敵な大人。
さっきのブルマ様の言葉じゃないけれど、こういう人に想われたら素敵だろうな。だから。
「トランクス様に想われる方は幸せですね」
言った瞬間、手首を強く握られて。
青い瞳にじっと貫かれた。

「じゃあ、幸せ?」
「・・・・・・え?」

思わず問い返したら、トランクス様はお顔を真っ赤に染められて。
それでも、何だか懸命に。



「オレが守りたいのは・・・っ・・・好きなのは―――・・・・・・!」
「トランクスくん! あそぼーっ!」



ばたん、とものすごい音がして振り向くと、重力室の入り口に別の方の姿があった。
カプセルコーポレーションの方ではないけれど、とても見慣れた笑顔が。
慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「いらっしゃいませ、悟天様」
「悟天でいいよ、姉ちゃん」
「申し訳ありません。それは出来ません」
言うと、悟天様は頬を膨らまして不満を訴えてこられる。
でも悟天様はトランクス様のご友人だから、そう気軽に名前を呼ぶことなんて出来ない。
「ちぇー。あ、そうだ! 外にあったケーキって姉ちゃんの手作り?」
「はい。よろしければご用意いたしますが」
「やった! ボク、姉ちゃんのケーキ大好き!」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げてから、トランクス様を振り返る。
何だか呆気に取られていらっしゃるようで固まってらしたけれど、目が合うと我に返られたみたい。
「では、トランクス様のお部屋の方にお運びいたしますね」
「あ、あぁ、うん」
「ありがと、姉ちゃん!」
お二人に一礼して、重力室を出る。



「・・・・・・何でおまえがここにいるんだよ、悟天。いつもはオレの部屋に直接来るくせに」
「だってトランクスくんが抜け駆けしようとしてたから! ボクだって姉ちゃんのこと好きなの知ってるくせに」
はオレの家のメイドなの。だからオレのものなんだよ」
「うっそだー! だってブルマおばさん言ってたもん。『トランクスくんと姉ちゃんは恋人じゃない』って」
「母さん・・・・・・っ!」
「だからボク、負けないもんねーっだ!」
「うるさい! オレだって負けないからな!」




「お二人とも、お夕食に何か召し上がりたいものはありますか?」
「スパゲティ!」
「ハンバーグ!」
「畏まりました」
声を揃えて別のことを言い、むっとお互いを睨むお二人は少し可愛い。
こういうところはまだ子供だな、と思う。
きっとすぐ大人になってしまうのだろうけど。



このカプセルコーポレーションと、世界の平和が、いつまでも続きますように。
微笑んで、私は心から祈った。





2005年1月20日