謙信の目に、その少女の横顔はとても稚いものに映った。そして思い出し、得心する。彼女はまだ16歳なのだ。伊達家家臣だった父親の跡を継ぎ、家の当主として振る舞い、戦場で名を挙げて奥州軍特攻隊長という地位にまで上り詰めているけれども、それでも16歳の少女でしかない。心はまだ柔らかなものであり、巷の様々なことに対する理解と判断を己の中に養っている最中で、少女から女性への過渡期にあたる。それでも甘やかな面を感じさせないのは、彼女が己を律しているからなのだろう。自分は何のために存在しているのかを。
「・・・・・・分かりません。どうして他人の気持ちを知りたがるのでしょう」
ぽつりと漏らす声は高い。沈毅ではあるが心地よさとはどこか異なり、まだ成熟しきっていないからだと謙信は淡く笑む。下女によって用意された盃を手にすれば、少女が当然のようにとっくりを持って酌をしてくる。その所作も洗練されているけれども柔らかさは感じられず、義務のひとつであると認識しているのが手に取るように分かり、謙信は小さく苦笑した。どくがんりゅうもきのどくに、と心中で少女の主に同情を覚える。
「筆頭は、私に何を求めておられるのでしょう。私は伊達家のために命さえ捨てても良いと考えております。その気持ちのどこに不満がおありなのでしょう」
「どくがんりゅうがもとめているのは、とてもささいなものですよ。ささいでいて、そしてとてもたいせつなもの」
「大切なもの?」
「ええ」
頷けば、少女は分からない自分が不出来だと思ったのか眉の間に皺を寄せる。その表情が少し子供っぽくて、ふふ、と謙信は笑みを漏らした。
「あなたは、だれかをおもったことがありますか?」
「それは父や姉を除いてですか?」
「そうです。しんるいをのぞいて、とくていのだれかにこころをかたむけたことがありますか?」
「・・・・・・いいえ」
首を横に振る少女は、自らが伊達家に仕えるのは、己の家が奥州にあるからだと述べたと聞く。家が奥州にあり、二人の姉らが伊達家家臣に嫁いでいるからこそ、その立場を悪くしないためにも伊達家に助力をするのだと。奥州筆頭である伊達政宗を前に、少女はそう己の在り様を告げたらしい。そのときの政宗の心情が、謙信には容易く推測することが出来る。つまりこの少女は、政宗に心酔しているわけではないのだ。彼のために刀を振るうのではない。例え政宗を庇って死んだとしても、それは彼のためではなく、己の利害のためである。そう宣言されて、政宗はどんなに主従という出会いを嘆いたか。しかもそれが戦場で背を、日常で心を預けたいと思った相手だったら尚更のこと。
「あなたはいちど、だれかにこいをするとよいのかもしれませんね」
謙信の言葉に、少女は嫌そうに表情を歪めた。
「恋など、それこそ理解することも出来ません。誰かに焦がれる気持ちなど」
「そうひていせずとも。こころはすなおなものですよ。あなたはいまは、しらないだけ。そうですね、たとえば」
手の中の盃を、目線の高さまで持ち上げる。つられるようにして少女の眼差しもそれを追い、縁側から庭先、夜の闇からぽっかりと空に浮かぶ月へと誘われる。盃を満たす酒に黄金の円を映し出すようにして、謙信は柔らかに瞳を細めた。
「こよいのつきはうつくしいですね」
「はい」
「うつくしいつきをともにみたい。そうかんがえておもいうかんだあいてはきっと、あなたのこころにすんでいるのですよ」
少しばかり寄せられていた眉が、徐々に信じられないように解かれていく。紅を塗っているでもないのに鮮やかな唇が開かれ、言葉にならない困惑を載せたようだった。黒目がちの瞳にも月が映り、その様を美しいと思いながら謙信は見守る。
「ほら、こころはすなおなものでしょう?」
初めて覚える感情に、少女の色が花開く。





月は遠く





(ただ、つきよりもあおざめたよこがおは、こいのかなしみをしってしまったのかもしれません。)
2008年8月5日