悪魔とは営業職である。ちなみに自ら仕事を取りに行くことは少なく、大抵の場合において客に呼ばれる。指名制度ではないので、距離的に客に一番近い悪魔が喚ばれるのだ。
それはつまり。

「「呼びましたか? 僕/私のこと」」

・・・・・・こういう事態も、有り得るということである。





デリバリーサービス〜ご注文は悪魔まで〜





混み合い過ぎてアナウンスさえ聞こえづらい駅構内で、若菜結人は携帯を握り締めて叫んだ。
「あーっちくしょう! このままじゃマジで遅刻だって!」
「うるさい、結人。今調べてるからちょっと待って」
騒ぐ若菜を一喝して、郭英士は携帯を操り続けるが、そんな彼とは逆に隣にいた真田一馬が肩を落とす。
「・・・・・・ダメだ、英士。ここからじゃ京浜でしかいけないみたいだ」
若菜はその言葉に天を―――天井を、仰いで。
「サイアクー・・・・・・」
「仕方ない。監督かコーチに連絡するしかないね」
「つーか英士、監督の携帯番号なんか知ってんの?」
「知ってるわけないでしょ。ロッサのフロントにかけておけば伝えてくれるだろうし・・・・・・」
眉をしかめて郭がメモリーを捜す。相変わらず混みあっている駅構内を眺めて、真田は深く溜息をついた。
「マリノスユースとの練習試合、楽しみにしてたんだけどな・・・・・・」
「電車が止まっちゃ仕方ないけど、何も練習試合の日に止まんなくてもいいよなー」
「ホント、まったくだよ」
三人はそれぞれ不貞腐れたような、むくれたような表情をして、大きなスポーツバッグを地面に下ろした。フロントに電話をかけている郭を尻目に、若菜は行き交う人々の邪魔にならないよう壁際によって座り込む。事故で止まってしまった電車は、いまだ再開の目処すら立っていない。
「あー・・・・・・ドコデーモドアがほしい」
「何言ってんだよ、結人」
「だって一馬、あれがあれば部屋からすぐに練習場に直行できるんだぜ? それこそ学校だって一瞬だし」
「だからって起きるの遅くして、なのに結局間に合わなくて遅刻するだろ、結人の場合」
「うるせ。一馬ってば夢ねーの。可愛くないでちゅねぇ、かじゅまちゃんは」
「可愛くなくてケッコウ。俺は結人ほど夢見がちじゃないんだよ」
「夢見がちも何もこういうときは願掛けしかないじゃん。神様とか魔法使いとか悪魔とか」
「悪魔に願ったら魂取られるんだろ?」
「練習試合のために魂を賭ける? ハハ、悲劇のサッカー選手みてぇ」
二人が手持ち無沙汰に他愛もない会話を交わしていて、郭がフロントに電話をかけおわって通話ボタンを切ったとき。彼らは、現れた。
「「呼びましたか? 僕/私のこと」」
見事な、ハーモニーを奏でて。

突如現れた人物たちに、三人は絶句した。けれどすぐに気を取り直して声を上げる。それもそのはず、登場した二人のうち、彼らは片方を知っていたのだから。
「―――って杉原!? おまえ、こんなとこで何やってんの?」
若菜が驚きながら立ち上がれば、杉原と呼ばれた小柄な少年は、細い目でパチパチと瞬きをして。
「何だ、若菜君か。それに真田君に郭も」
視線を向けられて郭は微妙に表情を歪めたが、真田は軽く手を挙げて応える。
「杉原も電車で足止め食らってんのか?」
若菜が尋ねると、杉原はフルフルと首を振って。
「僕は違うよ」
「・・・・・・じゃあ何でここにいるんだよ?」
「え、だってそれは君たちが呼んだから」
相変わらずの笑顔で、ニコニコと笑って。
「呼んだよね? 僕のことを――――――っていうか、悪魔を」

若菜・真田・郭にとって、杉原多紀という人物は、同じ東京都選抜に所属しているチームメイトだ。かつては同じ川崎ロッサにもいたプレイヤー。ポジションが同じ郭などは、表情には出さずとも彼を結構意識している。
そんな杉原が、今何と言った? 悪魔と、言わなかったか・・・・・・?

「それにしても、ちゃんも喚ばれたんだね」
訳も分からず硬直している三人を放って、杉原はにこやかに隣を振り向いた。そこには彼らと同じ年くらいの女の子が、これまた穏やかな笑顔で立っている。
「久しぶりだね、多紀君」
「久しぶり。珍しいね、複数の悪魔がお客さんから同距離にいたなんて」
「私、初めて。誰かとブッキングしたの」
「僕も初めてだよ」
なごやかに会話を交わす二人は、まるで同級生のようだった。けれどよく見てみれば、杉原の方はラフなハーフパンツにTシャツ、そして手には『天下を取るための丸秘テク』と書かれた本を持っていて。かたやと呼ばれた少女は、デニムに薄ピンクのTシャツ、そしてその上にシンプルなエプロンを身につけている。
そんな二人はスリッパを履いていた。駅構内で、スリッパ。スリッパ。スリッパ!
「・・・・・・悪魔・・・・・・?」
唇から漏れた言葉に杉原と少女が揃って振り返り、郭は反射的に身を引いてしまった。家の中ならともかく、外にいるには違和感のある格好をしている二人。―――彼らが、悪魔?
「うん、そう。実は僕、悪魔なんだ」
よろしくね、なんて言って笑う杉原は、相変わらずのアルカイックスマイルだ。
「私は多紀君の同僚で、同じく悪魔をしています。どうぞよろしくお願いします」
そう言って頭を下げる少女は杉原よりも柔らかいが、それでも似たようなスマイルを浮かべている。
「郭たち、僕らのことを呼んだよね? 確か、若菜君と真田君が」
ビクッと名指しされた二人は肩を震わせて。けれど杉原と少女は明るく笑う。
「とりあえず、私たち二人は悪魔ですから」

「「だから、あなた方の命と引き換えに、願いを一つ叶えて差し上げます」」

やっぱり綺麗にハモッて、悪魔二名は宣伝をした。



駅はまだ人込みで賑わったまま。電車も再開する目処は立たないらしい。そんな都会の片隅で、三人は悪魔というものに出会ってしまっていた。それも一人は元からの知り合いで、もう一人は普通に同年代らしい可愛い少女の。
「じゃあそういうわけで、依頼は『横浜マリノスユースとの練習試合会場に連れて行くこと』でいい?」
「え・・・・・・・え?」
「あれ? 違った?」
首を傾げる杉原は、彼らの知っている杉原と何ら変わりはない。そんな彼が悪魔だと言われても俄かに―――・・・・・・。
俄かに、信じてしまえそうなのだ。杉原が悪魔だということは。あぁそうなんだという、いたって普通のリアクションで!



「僕としてはチームメイトを三人も失うのは残念だけど、でもこれも望みなら仕方ないよね」
やはり笑顔で言われた物騒な言葉に反応したのは、杉原の悪魔説を普通に信じたらしい若菜だった。
「待てっ! 待てよ、俺たちまだ死ねないって!」
「でも試合会場に行きたいんでしょう?」
「行きたいけど、でもさぁ・・・・・・っ」
焦って自分でも訳が分からなくなっているらしい若菜に助け舟を出したのは、もう一人の悪魔らしい少女だった。
「それじゃあ、『ちょびっとプラン』はいかがですか?」
「「「ちょびっとぷらん?」」」
三人の声がハモる影で杉原が小さく舌打ちしたが、少女は変わらずに笑顔で話し続ける。
「お客様の望まれた願いを、一生ずっとではなく、たったの一度だけ叶えるプランです。もちろんその分代金の方もお安くなっていて、命を丸ごと懸ける必要は御座いません」
「命を丸ごと懸けないって、どういうこと?」
「エネルギーを懸けて頂くということです。今回の場合ですと・・・・・・」
少女は杉原と視線を交し合った後で。
「お一人につき、満員電車に30分乗車したくらいのエネルギーになります」
「うわ・・・・・・」
それは嫌だ、と思わず呟いたのは、ロッサの練習場まで二時間近くをかけて通っている真田である。
――――――けれど。でも。



駅員のアナウンスが、構内に響く。



「・・・・・・絶対に試合場まで送ってくれるんだろうね?」
郭の低い声に、杉原と少女は穏やかに微笑む。
「もちろんだよ」
「もちろんです」
立ち上がり鞄を持った真田と若菜に対しても、同じように笑って。
そして、手を伸ばす。
「「大丈夫。悪魔は嘘をつかないから」」
少女に手首を握られてささやかなキスを落とされ、杉原からは何故か左手で握手を求められ。何なんだ、と三人が戸惑いながら手首を押さえた瞬間。騒がしかった駅構内の喧騒が、ふいに止んだ。
足元のタイルが、柔らかな芝生に変わる。
「―――郭!? それに真田と若菜も!」
遠くの方から自分たちの名を呼ぶ声につられて、三人はそちらを振り返った。見ればいつも指導してくれているロッサのコーチが、驚きながらもこちらへと走って来るのが見えて。
「おまえたち、電車が遅れて間に合わないって聞いてたが、大丈夫だったのか! そりゃ良かった・・・・・・!」
安堵しているコーチの向こう、ウォーミングアップのために控え室から出てくる選手たちの姿が見える。ロッサのユニフォームに身を包んだチームメイトと、その近くにマリノスユースのユニフォームを着たライバルたち。三人は呟くしかなかった。
「「「・・・・・・・・マジで?」」」



「試合、お疲れ様でした」
マリノスの練習場を出たところで声をかけられ、三人は肩を震わせながら振り返った。入り口の門のところに寄りかかっているのは、やはり微笑している少女と杉原で。今度はちゃんと靴を履いている二人に、三人は動揺しながらも足を止める。
「勝ったんだね。おめでとう。まぁ当然かもしれないけど」
「真田君のシュートすごかったです。相手キーパーが触れもしなくて」
「途中で何度か突破されるシーンもあったけど、何はともあれ勝利できたし」
にこやかに微笑んでいる二人は本当に悪魔なのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎるが、けれどこの二人によって自分たちが練習場に一瞬で到着できたのは事実なのだ。だからこそ試合に間に合って、出場できて、でもって勝てて。・・・・・・信じないわけにはいかない。これほどまでに不可思議を体験したら。
「それじゃあ、代金の方を頂こうかな」
そう言う杉原の微笑がどことなく深まった気がして、真田と若菜は反射的に一歩引いた。郭が微動だにしなかったのは、杉原に対するプライドかもしれない。少女はそんな三人を安心させるように軽く手を振る。
「大丈夫です。お疲れのところ申し訳ないのですが、こちらとしても契約は全うして頂きたいので」
痛くも何ともありませんから、と言う少女の様子に嘘は見られない。
しかし杉原。されど杉原!
「・・・・・・・・・分かったよ」
観念して溜息をついたのは、もう逃げられないと分かっているからかもしれない。杉原は怖いので、とりあえず少女の方に問いかける。
「それで、何をすればいい?」
「少し屈んで、目を閉じて頂ければ十分です」
「そう」
言われたとおりに身を屈めて、郭が目を閉じる。柔らかな気配を感じた瞬間、真田と若菜の悲鳴が上がって。思わず目を開けたとき、少女の可愛らしい顔はすぐ真横にあった。何をされたのかと理解するよりも先に、今度は杉原が前に出てくる。
「じゃあ次は僕だね。郭、今と同じように目を瞑って」
・・・・・・よくよく考えれば、それはものすごくアヤシイ命令だったのではないか? そう思うよりも、まるで魔法をかけられたかのように郭は目を閉じてしまった。先ほどとは意味合いが違うけれど、やはり真田と若菜の悲鳴が聞こえて。気配を察知した次の瞬間。

バキッ

――――――ものすごい痛みを感じて、郭は意識を失った。



「じゃあ僕らは帰るね。今回は契約ありがとう」
晴れやかな笑顔を浮かべている杉原を、真田と若菜は殴られた頬を押さえたまま力なく睨んだ。二人の首筋には少女からの領収書を含んだキスマークがつけられている。対して杉原の領収書は、彼らの顔面へのパンチだった。しかもそれは、少女の甘さを吹き飛ばしてしまうほどのスナップが効いたもので。幾分かの私怨も含まれていたのか、スクリューをプラスされたパンチを食らった郭は、いまだ気絶したまま意識が戻らない。アフターケアがなってない。でも悪魔だから当然なのかもしれない、と痛む頬を押さえて若菜は思う。
「一度悪魔を呼び出された方は、その後しばらくの間は呼ぶことは出来ないのでお気をつけ下さい」
「何回も呼び出すと、その分取られていくエネルギーも大きくなっていくから」
「最終的にはやっぱり命丸ごとになりますので」
「僕はそれでもいいけど」
その笑顔に、やっぱり杉原は悪魔だと真田は実感する。
「それじゃ」
彼らは爽やかに笑みを向けて。
「「ご利用、ありがとうございました」」
そしてやはり来たときと同じく、一瞬で彼らの前から消え去ったのだった。残された若菜と真田は、まだ意識のない親友を見やる。
「・・・・・・俺さ」
「うん」
「・・・・・・杉原と違うポジションで本当に良かった」
「英士とか水野とか、黒魔術で呪い殺されないといいけどな・・・・・・」
そんな心配をしつつ、彼らは疲れた身体でさらに電車に乗らなければならないことに溜息をつくのだった。



今日の収穫は、満員電車で30分揺られたエネルギーを三人分。
ブッキングをしても悪魔は同族で揉めません。
だって二人分の代金をお客様からもらえばいいんですから。
むしろ仲良しこよしの同僚です。
とりあえず、今日も悪魔は営業中。





2004年6月7日