「・・・・・・何だって?」
「ですから、私、悪魔なんです」
「・・・・・・へぇ?」
「はい。これでも一応、悪魔なんです」





デリバリーサービス〜ご注文は悪魔まで〜





ある晴れた日の昼休み。井上直樹は屋上で空を見上げながらポツリと呟いた。
「あぁ〜・・・サッカーした・・・・・・ウギャッ!!」
しかし彼の台詞は途中で頭にぶつけられたペットボトルによって悲鳴へと代わり、最後まで言われることはなかった。
「何や! 人がしみじみと語っとるのに・・・!」
「へぇ、今ので語ってた? ハッ! よく言えるね、サルの分際で」
直樹は勢いつけて振り返ったが、見慣れた綺麗な顔がこっちを向いてニッコリ笑っているのを見ると、さらにギャッと叫び、一歩後ずさった。
「つ、翼・・・・・・」
おそるおそる名前を呼ばれ、椎名翼はさらにニッコリと微笑む。
「大体さぁ何回目だと思ってんの? その台詞。今日の午前中だけで十八回目だよ? マサキが二回、五助が四回、六助が五回、サルが七回。まったくいい加減にしなよね。いくら嘆いたって状況は変わらないんだからさ。第一俺はずっと前から言ってただろ? 今日はグラウンドは使えないから部活は休みだって。それなのにいつまでもグチグチとさぁ、いい加減にしないと俺も本気でキレるよ?」
「・・・・・・もう十分キレとるって・・・」
「何か言った? サル」
さらに綺麗な顔で微笑まれ、直樹は恐ろしさに無言で首を振った。そんな二人のやりとりを離れた場所で避難しながら見ていた畑五助も、やはり大きなため息をついて、
「でもまさか、フットサル場まで工事中とはなぁ・・・」
「でもさ、兄貴。明日になれば校庭は使えるんだからさ」
「明日はもう中間テスト一週間前だから、部活は停止だぜ。ロク」
兄を励ましていた六助も、横から言われた黒川柾輝の言葉に目を丸くする。
「なっ何だよソレ? マジかよ!?」
翼、柾輝、五助が大きく頷く。それを見た途端に六助はヘタリとその場に崩れ落ちた。
「一週間以上、サッカー出来ないってのはキツイよな」
柾輝の発言に皆が頷くが、翼はイライラと頭を振る。
「仕方ないもんは仕方ないんだよ! 別にこれっきりサッカー出来なくなる訳じゃないんだからいい加減に諦めなよね!」
「せやけどなぁ・・・・・・」
しつこく呟く直樹に堪忍袋の緒が切れたのか、翼が腹立だしげに吐き捨てた。
「大体さぁ祈るだけでグラウンドが使えるようになるんだったら幾らでも祈ってるっての! 相手が神だろうが悪魔だろうがキューピー下山だろうが関係ないね! 幾らでも祈ってやるよ!!」



「お呼びですか? 私のこと」



屋上の更に上から声をかけられ、翼たちは思わず空を仰いだ。しかしそこにはいつも通りの青空に白い雲。空耳かと流そうとしたけれど。
「私、悪魔なんです」
今度はもう少し身近なところで声が聞こえ、翼は振り向いた。屋上のドアの上、一階分高くなったところに誰かがいる。逆光で顔は見えないけれど、長い髪の毛から少女だと分かった。
「だから、貴方の命と引き換えに、願いを一つ叶えて差し上げます」
空に溶けるような声でそう言って、少女は笑った。



一階分高いそこから、少女は梯子を使わずにフワッと飛び降りた。長い黒髪が風に揺れ、スカートの裾を少しだけ翻して、音もなく着地する。そして、笑って言った。
「私、悪魔なんです」
一歩近づいてニッコリと少女が笑うと、翼はハッとして聞き返した。
「・・・・・・何だって?」
「ですから、私、悪魔なんです」
「・・・・・・へぇ?」
「はい。これでも一応、悪魔なんです」
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」
微妙な沈黙が全体を包む。翼は額に手を当ててハァと大きくため息をつき、少女へと向き直る。
「あのさぁ、あんた、中学生にもなってそういう馬鹿な事しないほうがいいよ? 第一、悪魔? そんなもんがいる訳ないじゃん。あぁいうのは本や宗教の中にだけ存在するもんなんだよ。それにその制服、ウチの学校のじゃないし。もしかして無断侵入者? ならさっさと出ていきなよ。今出て行けば何にも無かった事にしてあげるからさ。ホラ、早く行けば?」
「・・・でも、貴方、私を呼びましたよね?」
少女が翼のマシンガントークに眉を顰めながらも尋ね返すと、翼は不愉快そうに顔を歪めて、
「ハァ? 呼ぶ訳ないじゃん。何処の誰だかも知らないのにさ」
「・・・・・・・・・っちゅーか、その制服って桜上水のヤツなんとちゃうか?」
翼の言葉を遮って、呆然とその場の成り行きを見守っていた直樹が呟いた。え、と皆が直樹を振り返り、その後で少女へと視線を移す。
「はい。そうです。桜上水のものです」
少女が返事を返すと、直樹は我が意を射たりと大きく頷いて、
「やっぱりなぁ。シゲのとこの制服やと思ったわ」
「ってことはあんた桜上水の生徒な訳? なのに何でこんなとこにいんの? 早く学校戻ったら?」
「ちょっと翼、落ち着けって」
翼がなお言い続けようとするのを柾輝が止めた。五助と六助はまだ呆然と少女を見ている。
「何、マサキ。邪魔する気?」
「邪魔って何の邪魔だよ? ・・・あんた一つ聞くけど、マジな話、何でここにいるんだ?」
柾輝に聞かれ、答える時間を得て少女が喋りだす。
「私は先程も言った通り、悪魔です。この度は願いを叶えて欲しいとの言葉を聞いて、こちらに参上しました」
「言葉・・・・・・?」
思わず飛葉中の面々が首を傾げ、数分前の状況を思い出す。

『大体さぁ祈るだけでグラウンドが使えるようになるんだったら幾らでも祈ってるっての! 相手が神だろうが悪魔だろうがキューピー下山だろうが関係ないね! 幾らでも祈ってやるよ!!』

「「「「「あ」」」」」
呟いた言葉が重なった。
「何だ、やっぱり翼が呼んだんじゃん」
「そう言えばそうだ。呼んだよな」
五助と六助がウンウンと頷くが、翼はやはり大きくため息をついて、
「・・・判った。確かに俺は呼んだよ、神か悪魔かキューピーをね。でもさぁ、あんたは本当に悪魔な訳? 何か証拠でもあんの?」
「・・・証拠、と言いますと?」
少女が首を傾げた。
「だから、あんたが悪魔だっていう証拠だよ。それがなきゃ信用できないね」
翼の言葉に、少女は困ったように眉を寄せた。
「証拠と言われましても・・・。何をもってすれば、私が悪魔だと信じて頂けますか?」
「さぁね。それを考えるのもあんたの仕事なんじゃないの? 俺は悪魔に会ったのも初めてなんだし、判る訳ないじゃん」
「ちょっ・・・翼、言い過ぎやで」
直樹が横から口を挟むと、翼の瞳がそちらを向いた。その間に柾輝が、困った顔で俯いている少女にフォローする。
「悪いな。翼のやつ、今日部活が出来なくて機嫌が悪いんだよ」
「いえ、大丈夫です。慣れてますから」
少女はそう言ってはにかんで見せると、そうだ、と思いついたように声を上げた。翼や直樹たちが振り返ったのを見て、口を開く。
「私が、貴方の願い事を叶えて差し上げます。そうすれば、私が悪魔だって信じて頂けますよね?」
「・・・・・・まぁ確かにそうだけどさ」
翼が髪を掻き揚げて話す。
「でもだからって、たかが一日部活が出来るようにする為に、命を懸ける馬鹿が何処にいる訳?」
「それなら大丈夫です。お得な『ちょびっとプラン』がありますから」
「「「「ちょびっとぷらん?」」」」
四人の声が重なり、翼も胡散臭げな顔で少女を睨む。
「・・・何? そのいかにも怪しげなプランは」
少女は翼の物言いに苦笑しながら、
「お客様の望まれた願いを、一生ずっとではなく、たったの一度だけ叶えるプランです。もちろんその分代金の方もお安くなっていて、命を丸ごと懸ける必要は御座いません。まだ始まったばかりのプランなんですが、割と好評を頂いておりまして、先日もお一人ご契約なされたお客様がおります」
まるっきり電話代のコース選択だな、なんてことを翼が思っていると、隣にいる柾輝が興味深げに質問した。
「今回だと、その代金ってのはどうなるんだ?」
「そうですね、今回の場合ですと、大体サッカーで一試合分くらいのエネルギーを頂くことになります」
少女がそう言うと、直樹や五助、六助たちもガヤガヤと話し出す。翼は何と無く嫌な予感を感じて、隣を振り向いた。
「マサキ・・・まさか」
柾輝はそんな翼と少女を見比べて、ニヤリと笑った。
「一試合分の疲れで部活が出来るんだぜ? 安いもんじゃねぇか」
「ちょっとマサキ、本気!?」
「あぁ。それにコイツが本当に悪魔かどうか調べなくちゃならないしな」
どこか楽しげにそう言われ、翼は呆気に取られた後、信じられないとため息を吐く。
「・・・・・・どうなっても知らないからな」
「大丈夫だって」
柾輝はそう言うと、少女へと向き直った。
「じゃあ頼む」
少女も柾輝の右手を取って頷く。
「それでは、『本日の放課後、校庭が使えて部活が出来るように』との願いでよろしいですか?」
「あぁ」
「確かに承りました。お代のほうは、本日の部活が終わった頃に受け取りに参ります」
そう言って少女は柾輝の右手に口付けた。柾輝も翼も全員が驚いて目を見開いた次の瞬間、少女はすでに屋上にはいなかった。



「やっぱり騙されたんじゃないの? マサキ」
屋上で悪魔と名乗る少女と出会ってから約一時間後、六時間目の授業を受けるべく、翼と柾輝は階段を降っていた。
「・・・かもな。でも面白かったから別にいいんじゃねぇの?」
少女に口付けられた右手を見ながら、柾輝は笑って言う。そんな彼を横目で見ながら、翼は胡散臭げに眉を寄せて、
「何? もしかしてマサキ、ああいうタイプが好きだった訳? 確かに今時珍しく、変に化粧してなくて大人しそうなタイプだったけどさぁ」
「そういう翼こそ、結構気に入ってただろ。アイツの事」
「ハッ! まさか。・・・・・・まぁ、あれで本物の悪魔だったら考えないでもないけどね」
そんな会話をしながら職員室の前を通りかかった時、ガラリと扉が開いて見慣れた姿が現れた。
「玲」
「あら、翼。丁度良かった」
声をかけられて、西園寺玲が振り返った。そして驚愕の事実を告げる。
「今、下山先生から聞いたんだけど、今日校庭でやる筈だった工事が業者の都合で明日になったんですって。だから、今日は部活が出来ることになったんだけど、どうする? やる?」
「「・・・・・・・・・」」
言われた瞬間、翼と柾輝はあんぐりと口を大きく開けてしまった。まさか、冗談だろうと思ってしまったけれど、どうやらそれは本当のようで。
「・・・・・・本物、だったみたいだな」
呟いた柾輝の一言に、玲が首を傾げた。



放課後、突然の召集だったけれども何とか部員も集まって練習をこなし、空が赤く染まりきった頃、監督によって解散の声が校庭に響いた。皆で使った用具を片付け、制服へと着替える。
「お代は放課後取りにくるって言ってたけど、いつ来るんだろうな?」
着替えながら六助が聞くと、柾輝はさぁなと受け流して。
「ほら、着替え終わったならさっさと部室からでろよ。鍵閉めるぞ」
翼が鍵をクルクル回しながら言うと、皆急いで着替えを済ませて、手を振って帰っていく。ガチャリと鍵を掛け、五人は校門へと向かって歩き出した。そんな中、夕焼けに染まった校門に、背を預けるように立っている小さな影が目に入って。
「・・・あれって・・・・・・」
翼が呟いた言葉が聞こえたのか、その人物が振り返った。ニッコリと笑顔を浮かべて頭を下げる姿は、昼休みに会った悪魔の少女だった。思わず駆け寄った翼たちに、少女は微笑んで尋ねる。
「いかがでしたか? 部活」
「・・・・・・最高だったよ。あんたのおかげで」
翼の返した言葉に、昼と変わらず、セーラー服の少女は嬉しそうにはにかんだ。それを見て、翼はほんのすこし頬を赤く染めながら言う。
「仕方ないからさ、認めてやるよ。あんたが悪魔だって」
直樹や五助も興奮して目を輝かせながら、
「そうそう! すごかったでぇ! イキナリ部活が出来るようになっとるなんてな!!」
「しかもキューピーが部活していいなんて言うしよぉ!」
柾輝が背の低い少女の頭をくしゃりと撫でて礼を述べる。
「ホント、ありがとな。助かった」
「いいえ。これも契約ですから。こちらこそご利用ありがとう御座いました」
二人の間に流れる和やかな空気にムッとしながら、翼が割って入る。
「あのさぁ、これでもうあんたの事は呼び出せなくなる訳?」
「いえ、そんな事は御座いません。でも、悪魔を呼び出したその場にいらっしゃった方々は、この後しばらくの間は悪魔を呼び出すことは出来なくなりますのでご了承下さい」
「ってことは、またしばらくしたら、あんたをまた呼び出す事は出来るんだ?」
「はい。けれど何度も悪魔を呼び出しますと、同じ願いでも料金の方は高くなっていきますので、その所はご注意下さい」
「オッケ。判った」
翼が頷くのを見て、少女は柾輝へと向き直った。
「それでは願い事一つ分の料金、お支払い願えますか?」
「あぁ。でもどうすればいいんだ?」
「ほんの少しだけ屈んで、目を閉じて下されば結構です」
少女の言う通り、柾輝は屈んで目を閉じた。その少し後に首元に感じた柔らかい感触。
「なっ・・・・・・!」
翼の驚きと怒りの混ざった声と、チクッとした痛みが同時に起こって、柾輝は目を開けた。そこには、すでに少女はいなかった。



「次は絶対に俺が呼ぶ! 邪魔するなよ! 特にマサキ!!」
「ヘイヘイ」
荒れ狂う翼に適当に返事をしながら、柾輝は首元につけられたキスマークを軽く手で覆った。それを見て、翼は更に怒りを燃やす。
「あぁもう! こんな事ならマサキなんかに譲らないで、さっさと契約しとけばよかった!」
「そうだな。まぁ、俺としてはラッキーだったけど」
「うるさいよマサキ!!」
相変わらず悔しがる翼に、疲れた体ながらも柾輝は余裕の微笑を返して。
そして歩く、夕方の道。



今日の収穫はサッカー一試合分のエネルギーと、お客様二人の恋心。
もちろんリピーターも喜んでお出迎え致します。
とりあえず、今日も悪魔は営業中。





2004年6月3日