「お呼びですか? 私のこと」
誰もいない筈の後ろから声をかけられて、藤代は驚きながらも勢いよく振り返った。
そこにはセーラー服を着た一人の少女。学生鞄を両手で持ち、いかにも学校帰りの少女は藤代を見てニッコリと笑って言った。
「私、悪魔なんです」
「だから、」

「貴方の命と引き換えに、願いを一つ叶えて差し上げます」





デリバリーサービス〜ご注文は悪魔まで〜





時は放課後、夕飯もまもなくという住宅街を、藤代誠二はどことなく沈んだ足取りで歩いていた。
「ハァ〜・・・。やだなぁ、寮に帰んの・・・」
先ほどから何度も呟いては、仕方ナシにトボトボと足を進めている。手にはコンビニのビニール袋。中は季節限定のスナック菓子が所狭しと詰まっている。大好物を手にしながらも藤代の表情は優れない。むしろサッカーの試合に負けてもしないであろう位、その顔はどんよりと曇っている。
「大体さぁキャプテンがひどいんだよ。誰だって嫌いな物くらいあるんだからムリヤリ食べさせなくたっていーじゃん」
一人でブツブツと悪態を吐きながら歩く姿は傍から見てとても不気味だったが、偶然にも道路に人はいなく、藤代は思う存分独り言を呟く。
「それに何でニンジンなんて物がこの世にあるんだよ! 別に無くたって死にはしないじゃん。だったら食べなくてもいいと思うんだけどなー」
言いながら腹が立ったのか、その表情に苛立ちが見える。
「ちくしょー。何でニンジンなんかにこんなに悩まなくちゃいけないんだよ!?」
元来、あまり出来のよくない頭を使った堂々巡りに思考がショートしたらしく、藤代はブンブンと頭を左右に振って叫んだ。
「もーやだっ! この際、神サマでも魔法使いでも悪魔でも何でもいいから、ニンジンをこの世から無くしてくださいっ!」
馬鹿馬鹿しい願い。それは藤代自身にも判っていた。しかし・・・。

「お呼びですか? 私のこと」

誰もいない筈の後ろから声をかけられて、藤代は驚きながらの勢いよく振り返った。
そして場面は冒頭へと遡る。



藤代は呆気にとられて目の前にいる少女を凝視した。白に水色のセーラー服。赤いリボン。黒の学生鞄とローファー。一見して、一見しなくとも学校帰りに見える少女は、自分を見つめたまま硬直している藤代に向かって、再度同じ台詞を口にする。
「私、悪魔なんです。だから、貴方の命と引き換えに、願いを一つ叶えて差し上げます」
ニッコリと笑った少女はとても可愛らしくて。
「・・・・・・・・・あくま?」
「はい。悪魔です」
藤代の呆然とした問いかけにも、少女は平然と頷く。
「・・・・・・・・・ホントに悪魔?」
「はい。本当です」
少女はニッコリと頷いた。けれども、
「・・・・・・・・・ウッソだぁ―――!!」
自分を指差してそう叫んだ藤代に、さすがの少女も目を丸くする。しかし藤代はそんな少女に気づくこともなく捲し立てる。
「だってだって悪魔って普通コウモリみたいな羽があってさー! 猫とか連れてて!服とかも黒で統一されてて絶対セーラー服なんかじゃないって! それに何でこんな可愛い子が悪魔なわけ!?」
何でここにいるのかとか、悪魔なんている訳ないとか、そんな事は微塵も指摘せず、偏ったイメージな上ボギャフラリーの貧困な藤代の言葉に、少女は楽しそうに笑ってから言葉を返す。
「羽は私も一応持ってますけど、ここでは出せないんです。猫もいますよ。今はどこかに行っちゃってるみたいですけど。服は、今学校帰りだったものですから」
「えー、えー、えー、でもさぁー」
クスクスと笑う少女に思わず見とれながら、言葉にならない言葉を紡ぐ。少女はそんな藤代を見上げて、ニッコリと笑った。
「それで、願い事は何ですか?」
そう言われながら見上げられて、藤代は微妙な間の後、視線を泳がせた。そしてさらに考えた後、言いにくそうに口を開く。
「あー・・・あのさ。こんな、呼び出しちゃって悪いんだけど、・・・ゴメン。やっぱいいや」
「・・・・・・そうですか?」
「あっ・・・ゴメン! 本当にゴメン! でも何か、命かけてまで願うことじゃないなー・・・とか思って」
少女の声がとても悲しそうに聞こえて、藤代が慌てて言葉を付け足す。すると少女は、あ! と声を上げた。
「じゃあそれなら、『ちょびっとプラン』はいかがですか?」
「・・・『ちょびっとぷらん』・・・・・・?」
突然振って湧いた、携帯電話の料金コースのような名前に、藤代は反復しながら首を傾げる。少女は、ハイと頷いて、
「命を懸けるのは嫌だけれど、願い事は叶えたい。そんな人の為のお試しプランです。お得な超割引でお受けしてます」
「・・・・・・超割引?」
命に割引なんてあるんだろうか?と思いながら藤代が聞き返すと、少女は笑顔のまま説明を続ける。
「はい。例えば、『跳び箱が跳べるようになりたい』と願うお客様がいらっしゃったとしますね。そうすると、通常プランですと、跳び箱が跳べた時点で代金を頂きに参ります。けれど『ちょびっとプラン』の場合ですと、たった一度だけ跳び箱が跳べるようになりまして、その後はまた以前のように跳べない状態に戻ります。そして、その一回分だけ料金をお支払い頂くというプランです」
少女の説明を藤代は時間を掛けて頭に理解させ、質問!と手を挙げる。
「一回分の料金って、どれくらい?」
「それは願い事によります」
「・・・・・・・・・じゃあ、さ?」
目の前の少女に、藤代は何度か迷った挙句、言いにくそうに口を開く。
「・・・俺、これから寮に帰るんだけど、・・・・・・夕飯がカレーなんだよね。俺、ニンジン嫌いで・・・そのニンジンを食べなくて済むようにしたいんだけど・・・」
「その場合ですと、一回分の料金は、食事一回分のエネルギーとなります」
子供みたいな藤代の願いを笑うことなく聞いてくれた少女に、藤代はホッと息をつく。
「食事一回分のエネルギーって?」
「例えば、夕食に食べて摂取した分のエネルギーです」
「・・・って事は、そのエネルギーを取られても、俺はまたご飯食べて取り戻せばいい訳?」
「はい」
「オッケー! やる! やりますっ!!」
一も二もなく頷いた藤代に、少女は本当に嬉しそうに微笑んだ。それを見て藤代もへにゃっと笑う。
「それでは、『今夜の夕食のニンジンを食べなくて済むように』との願いでよろしいですか?」
「うん! よろしくっ!」
「はい。確かに承りました」
少女はそう言うと、藤代の手を取って、その手首に軽く口付けた。
「なっなななななななな何っ!!!?」
突然の行動に藤代が真っ赤になりながら尋ねると、少女は何でもない顔で笑って、
「契約の印です。お代のほうは今日の夜に受け取りに参ります」
「え?」
「それでは、よいお夕飯を」
藤代が瞬いた次の瞬間、少女はすでにいなかった。



「藤代誠二。武蔵森のサッカー部でFW、エースストライカー。代金は食事一回分のエネルギー・・・っと。よし、受付完了」



そしてその一時間後、武蔵森のサッカー部・松葉寮。
「大丈夫、食べなくてすむ、大丈夫、食べなくてすむ・・・・・・」
「何やってんの、誠二? 夕飯だよ」
ブツブツと呪文のように繰り返していた藤代は、ルームメイトの笠井に声をかけられ、座っていたベットから立ち上がった。ザワザワとした廊下を抜けて、食堂へと向かって歩く。
「・・・・・・本当に大丈夫なのかなぁ・・・? っていうか本当にあの子、悪魔だったのかなぁ・・・?」
もしや騙されたのでは? と、ドンドンと顔色を悪くしていく藤代に、笠井が不審な眼差しを送るが、必死の藤代には届かない。そして食堂に着くなり、奥の机から声がかかって、藤代はギャッ!っと身を硬くする。
「藤代、笠井。こっちだ」
「渋沢キャプテン」
夕飯のトレイを持った笠井が呼ばれるままに、そちらへと寄っていく。ここで逃げれれば良いのだが、一度逃げたことのある藤代としては、もう決して逃げたりなんてしてはいけないと身をもって知ってしまっている為、泣く泣く渋沢のいる席へと歩いていく。そこには爽やかな笑顔を浮かべている渋沢、いつもと全く表情の変わらない笠井、そしてほんの少しだけ同情の視線を向けてくる三上がいた。そして、トレイの上にはいつも通りのカレーとサラダ。・・・そう、いつも通りの。
「さぁ藤代。今日こそは人参を食べられるようになろうな?」
藤代が席に着くなり爽やかな笑顔で渋沢が言った。条件反射で藤代は首をフルフルフルフルと、声もなく横に振る。同じニッコリとした笑顔でも、あの(自称)悪魔の女の子の可愛い笑顔とは大違いだ! なんて思いながら。
「ほら、とにかく一口食べてみたらどうだ?意外と美味しいかもしれないぞ?」
いいえ、美味しくないって事はもう十分知っています。泣きそうになりながら笠井と三上に助けを求めると、笠井にはそ知らぬ顔で無視をされ、三上には、悪いとだけ口パクで謝られた。
「ほーら。藤代?」
スプーンにニンジンを載せて突き出してくる渋沢に思わず、何でそんなに楽しそうなんすか!?と心の中で尋ねながら。あぁやっぱりあの女の子は悪魔なんかじゃなかったんだ! 騙されただけだったんだ!! と藤代が思ってスプーンを無理矢理口に入れられそうになった瞬間。
『渋沢克朗君、渋沢克朗君、お電話が入っております。至急、管理人室までおいで下さい。繰り返します・・・・・・』
「・・・仕方ない。行ってくるか」
ちょっと待ってください、キャプテン。舌打ちしませんでしたか? 今。涙目になりながら藤代がやはり心の中で尋ねる。
「ちゃんと人参を食べるんだぞ、藤代」
爽やかな笑顔と台詞を残して、渋沢は食堂から出ていった。
「・・・・・・・・・・よかっ・・・たぁ〜・・・・・・!!」
グッタリと椅子にへばりついた藤代に、三上が自分の皿を差し出した。
「ホラ、早くしろよ。渋沢が戻ってくるだろ」
そう言いながら藤代の皿からニンジンだけを自分の皿へと移動させる。
「全く。甘いんじゃないですか?三上先輩」
「うるせーな。渋沢もいい加減にすりゃあいいんだよ。あいつだって爬虫類を無理矢理目の前に突き出されてみろ?絶対、今の藤代と同じ顔するぜ?」
「それが出来れば苦労しませんけどね」
そう言いながら笠井も、藤代の皿からニンジンを一つすくってパクリと食べた。二人の行動を呆気に取られながら見ていた藤代は、自分の皿からニンジンが綺麗サッパリ無くなったのに気づくと満面の笑顔を浮かべた。
「ありがとうゴザイマス! 三上先パイ、竹巳!」
その後、電話が長引いたのか、藤代が食べ終わるまで渋沢が帰ってくることはなく、藤代は久し振りにゆっくりとした夕飯をとることが出来たのだった。



「いかがでしたか? お夕飯」
同室の笠井が大浴場に行っていて自分一人しかいない部屋に、夕方に聞いた少し高めの声が響いて、藤代はやはり勢いよく振り返った。そこには、窓を背に立っている一人の少女。昼間の藤代の台詞を意識してか、黒のタートルネックに同色のミニスカート、そして同じ黒のハイソックス。何故か靴は履いていなかったけれど。黒髪を揺らして、少女は笑って聞いた。
「いかがでしたか? お夕飯」
再度尋ねられ、藤代はハッと我に返ってブンブンと何度も首を縦に振って頷いた。
「っもうサイコー! キャプテンはどっか行っちゃうし、ニンジンは三上先パイと竹巳が食べてくれたし!もうホント助かった!!」
「そうですか。それはよかった」
ほんのりと頬を赤くして微笑んだ少女に、藤代はやはりへにゃんと笑う。
「あれってさぁ、ひょっとしてキャプテンに電話かけてきたのって、・・・君?」
少女をどう呼べばいいのか迷いながら藤代が聞くと、少女は人差し指を口元に立てて笑う。
「それは、企業秘密です」
ウィンクしながら言われて、藤代はその少女の可愛さに顔を赤くする。少女は、それではと一歩藤代に近づいて、
「願い事一つ分の料金、お支払い願えますか?」
首を傾げて言う仕草に惹かれながらも、藤代はビクッと一歩身を引いた。少女はそれにほんの少し目を見開いて、笑った。
「大丈夫です。痛くも何ともありませんから。ただ、終わった後にほんの少しお腹が空くだけです」
「・・・・・・ホントに?」
「はい。本当です」
それじゃあ、と頷いた藤代に椅子に座るように促して、少女は最後の注意を告げる。
「一度、悪魔を呼び出した後は、しばらくは呼び出せませんからお気をつけ下さい」
「しばらくってどのくらい?」
「人によってそれぞれですが、平均して一ヶ月くらいです」
「そっかぁ・・・じゃあ一ヶ月、君に会えないんだー・・・」
藤代が呟いた言葉に、少女は少しだけ笑った。
「また、会えますよ」
「そうだよね? ・・・じゃあさ、今度会ったら名前教えてよ! 今はまだ『悪魔ちゃん』って呼んどくからさ!」
「はい」
クスクスと笑って、少女は手の平でそっと藤代の瞼を覆った。そして目を閉じた藤代の首元に、サラリとしたくすぐったい感触。一瞬だけ暖かい空気が触れ、柔らかいものがゆっくりと押し付けられた。チクリとした仄かな痛みに藤代が目を開くと、少女はすでにいなかった。
「ただいま・・・って誠二、何してんの?」
風呂から帰ってきた笠井は、椅子に座ったまま呆けているルームメイトに訝しげな声をかける。けれど、藤代は片手で首を押さえたまま、ボケッと外を見つめたまま。笠井はそんな藤代には関わらないと決めたのか、一度首を傾げただけで、すぐに自分の行動をするべく机に向かった。
ニンジンの入っていない夕飯を食べてからほんの二・三時間なのに、空腹を訴えるお腹。瞼を覆った温かい手の平。そして首元に残った、ほんのりと赤い印。それはキスマークとも領収書とも取れたけれど。
「こんなんだったら、俺、いくらでも払っちゃうよ・・・・・・」
真っ赤な顔で藤代が呟いた。



食事一回分のエネルギーと、お客様の恋心。
高いか低いかは本人次第。
とりあえず、悪魔は今日も営業中。





2002年6月16日