瀞霊廷への防御壁で、一護たち五人と一匹―――正確に言えば六人は、散り散りに別れてしまった。
その中で一人になってしまった夜一は、反動で弾き飛ばされながらも眼下に広がる景色に目を細める。
広がる建物、大きな館、白い塔。その何もかもが懐かしい。
懐かしい、尸魂界。
けれど感慨に浸っている暇はなく、あと少しで地面に激突する。
ちょうど落下地点に黒服の死神たちが見えて、夜一は溜息を吐きつつ言葉を紡ぐ。
瞬間的な光が辺りを染めて。
「消えた!?」
「どこだっ探せ!」
死神たちの慌てふためく声を耳にしながら、通りの影に夜一は着地した。
「さて・・・・・・どこへ行くか」
以前の記憶と比べて自分のいる位置を確認したとき。

「・・・・・・・・・夜一、さん・・・・・・?」

猫の姿のまま、身を翻して振り向いた。
自分のこの姿を知るものなど尸魂界にはいないはず。
・・・・・・けれど。
忘れてはならない存在が、一人いた。



低い視点から見上げる視界に、金色の髪と淡い碧眼。
夜一のかつての部下が、そこにいた。





新月の翳る頃





闇夜と金月。夜一と彼のことを最初にそう評したのは誰だったか。
今では覚えてない。もうずいぶんと昔のことだ。
自分が隠密機動総司令を退き、尸魂界から姿を消して以来。
初めて、会う。
月のようだと言われてきた金糸が濁ってはおらず、夜一は無意識のうちに目元を綻ばせた。
青い瞳は、空の色。
夜一と目の前にいる死神。互いに予定にない再会を前にして、時が止まった。
それを切り裂いたのは、けたたましい足音と喧騒。
「どこに行きやがった!?」
「探せ! まだそこらへんにいるぞっ」
「旅禍だ! 絶対に逃がすな!」
近づいてくる気配に拙い、と夜一が思った瞬間、ふわっと体が浮いて。
次の瞬間は、小さな身体を腕に抱かれ、碧色の瞳が間近にあった。
「―――ここじゃ、見つかりますから」
少し幼さを残す声も、戸惑ったように揺れる表情も何一つ変わっていないというのに。
抱きしめる手の強さと優しさが、やけに夜一に時の経過を知らしめた。



果たして、何年前になるだろうか。
四楓院夜一は、尸魂界の隠密機動総司令・ 同第一分隊刑軍総括軍団長の任に就いていた。
浦原喜助という親友と共に競い合う日々を過ごし、任務に打ち込んでいた生活の中。
夜一の直属の部下に、金色の髪と青い瞳を持った死神がいた。
真央霊術院を主席という成績で卒業しながらも、どこか気弱な様子を思わせる少年。
それはきっと尸魂界では珍しい、彼の容姿がそうさせていたのだろう。
綺麗な髪と目をしているのに、周囲の視線を無駄に集めてしまう己を彼は厭うていた。
何度言い聞かせてもその性格は変わらず、決して自己主張をすることはない大人しさを保って。
だが、そんな彼は夜一の右腕だった。
隠密機動としての腕前だけでなく、静かで優しすぎる彼の存在は夜一にとっていつの日か当然のこととなり。
闇にある月。夜と昼の空。夜一と彼はそんな関係だった。
だからこそ、尸魂界を抜けると決めたとき、夜一は彼に何も告げなかった。
大切な部下を巻き込みたくなかったから。
死神として、幸せな人生を送って欲しかったから。
理由は多々ある。けれどすべて、彼のことを思うが故だった。
夜一にとって第一の部下の名は、

目の前にいる死神の金糸が揺れる。



瞬歩という隊長格のみが使用できる高等技術を用いられ、次の瞬間に夜一がいたのは別の場所だった。
広い室内に設置されている机。壁際に並べられている本棚。そして重ね上げられている数々の箱。
そっと床に下ろされて、夜一は低い目線から室内を見回す。
「・・・・・・久しぶりじゃな、この部屋も」
内装どころか家具さえも変わっていない。己の頃と同じままの隠密機動総司令室に、夜一は呟く。
「あえて、変えなかったんです。夜一さんがいつ戻ってきてもいいように」
、おぬし」
「俺、ちょっと出てきます。本当にちょっとだけですから、どこにも行かないで下さいね?」
膝をつくことで瞳を合わせ、今にも泣きそうな顔では笑う。
「・・・・・・どこにも、行かないで下さいね・・・」
言葉が終えると同時に姿を消した少年に、夜一は目を伏せて床を見る。
そして一瞬後には猫ではなく本来の姿に戻った。手足を伸ばし、服を着て、髪をまとめる。
目線の変わった部屋は、本当に夜一が主だった頃と変わらない。
おそらく先ほど言ったとおり、が何も変えないまま維持してきたのだろう。
「・・・・・・本当に、懐かしい」
夜一はそう呟き、傷の跡すら覚えている机の表面を撫でた。
彼女は尸魂界を去る日に、自分に何かあったとき次の総司令にはを推薦すると上層部に進言した。
そして彼女が消えた後、願いどおりにそれは行われ、夜一が就いていたすべての位はそのままへと移行された。
浦原からそれを聞いたとき、どんなに安心したことか。
「・・・・・・っ・・・ただいま、戻りました・・・」
息を切らせて帰ってきた彼は、きっと知らない。
けれど逆に、今、夜一がいてくれたことにが泣きそうになったことを。
彼がどんな風に夜一のいない時を生きてきたのかを、彼女は知らない。



闇夜に金月。
青空に白月。
そう称されていた頃。
傍にいるのが当然だった。



隠密機動の死神は、基本的に己の動きやすい服装をまとうことが許されている。
夜一は簡素な服を好んだが、それは彼女の部下であるにも受け継がれたようだった。
黒い上下に、同色のブーツにも似た靴。着物の下にタートルネックを着込んでいるのは夜一と同じ。
全身を黒に染めているからこそ、の金糸と碧眼が良く似合って。
申し訳なさ程度に肩にかけられた【隠】の羽織が、夜一の目に眩しく映った。
旅禍に騒いでいる瀞霊廷の一角に、静かな、けれど優しい声が響く。
「・・・・・・今のところ、旅禍は十二番隊付近に二名、八番隊付近に一名、そして十一番隊付近に二名が落下しています。そのうち十一番隊付近に落ちた二名は隊員たちによって発見され、逃亡中。おそらく、このままいくと追い詰められるかと思われます。十二番隊付近の二名はうまく隠れることが出来たようですが、何分ここは涅マユリの領内ですので―――・・・・・・」
の口からもたらされる情報に、夜一は愕然とした。
その内容にではない。内容を躊躇いもなく漏洩したに対して。
驚愕と戸惑い。そして湧き上がってくる不信感。
まさかこの部下は、敵なのではないかと。この元部下は、今は自分の敵なのではないかと、夜一の心が警鐘を鳴らす。
先にを裏切ったのは自分なのだけれど、彼にだけは裏切られたくはない。
そんな勝手な気持ちが夜一の中を渦巻いて、けれどそれとは逆に、は困ったように眉を下げて笑う。
「俺、夜一さんの考えてることなら大抵分かります。何年貴女の部下をやってきたと思ってるんですか?」
「・・・・・・・・・だが、おぬしの今の行動は確実に責務に反している。本来ならば刑軍にかけられても仕方のないことじゃぞ」
「侵入した六人の旅禍のうち、一人は夜一さんですよね。だったらそれだけで十分です」
咎めている言葉など受け流して、けれど行動とは裏腹に気弱そうな声音では言う。
「夜一さんに会えただけで、俺は十分なんですから」
正面に立つ彼の、金色の髪と青い瞳が、目に焼きつく。

「俺、貴女のことが好きです」

耳を擽る言葉に、夜一は息を呑んだ。

「出会ったときから、傍で仕事をしていたときから、貴女がいなくなった後もずっと。俺、夜一さんのことが好きです。これからもずっと、好きです」

やっと言えた、という呟きは、のはにかんだ笑顔に取って代わられてしまった。
彼の告白は夜一にとって予想になかったことで。
元より二度と会う気もなかった。彼のために。そして自分のために。
気の弱い、可愛い部下だと思っていた。けれど今は。

伸びてきた手は、夜一よりも白い肌。
その手がかすかに震えながら、夜一の手を取って。
戸惑いながら、強く握る。
夜一はその力の強さに顔を歪めかけて、けれど何も言わなかった。
痛いほどの想いが伝わってきたから。

「会えて、良かった・・・・・・っ」

悲痛な叫び。俯いた金糸。見えない碧眼から伝った涙が窓からの光を受けて。
愛しさと済まなさを感じるには、それだけで十分だった。

金色の月と、闇夜の黒が混ざり合って、けれど同じにはなれなくて。
色白の頬が今は紅潮してうっすらと染まっている。
流れる涙に夜一は口付けた。
「・・・・・・すまぬ」
謝罪する彼女にはただ一言。
貴女が無事で良かった、とだけ告げた。



月は闇に。
空は青に。
私はあなたに。

焦がれています。



「・・・・・・情報の方は任せて下さい。これでも夜一さんから隠密機動を引き継いだ身ですから」
泣き腫らして紅くなった目元を下げ、が笑う。
相変わらず控えめな微笑だったけれど、夜一は昔からそれを嫌いだと思ったことはなかった。
「気をつけるのじゃぞ。尸魂界では確実に何かが起きておる」
「はい。それは俺も感じていました。朽木ルキアの処遇についての騒動が、確実にそれを示しています」
「儂らは朽木ルキアを奪還するだけ。尸魂界の問題に関わるつもりはない」
「―――はい」
は頷いて、いつの間にか落ちていた【隠】の羽織を拾い上げた。
そしてそのまま椅子へと掛ける。夜一がいる以上、もう自分がこれを羽織る理由もない。
立場として総司令を冠しているのは自分だが、理屈はともかくはそう思った。
「・・・・・・夜一さん」
身支度を整え、道具があるかを確認している相手に、は微笑んで。
「この騒動が終わって、夜一さんがまた去ってしまうとき、今度は俺も行きますから」
目を見開く夜一に、控えめに、けれど意志固く誓う。
「俺はもう十分待ちました。だからいいですよね?」
もう待たないし、待てない。
そう告げるの碧眼が今までに見たこともないほどの強さを宿していて。
瞬間的に言葉に詰まった夜一に、彼は再度笑った。
「俺は貴女が好きなんです。だから貴女の傍にいたいんです」
「・・・・・・
「夜一さんの隣にいたいんです。俺、必ず役に立ちますから」
金色の髪が窓からの光によって煌めき、夜一は目を細める。
まだ幼い、けれど紛れもない男の声が響いて。

「・・・・・・俺は夜一さんのものですから」

だから必ずついていきます。
が瞬歩で去った今、彼のその言葉だけが総司令室に残っていた。
かつての部下の、そして今でも部下であるらしい彼の見事な成長に驚いて。
そして寂しげに夜一は笑う。
「儂は決して良い上司とは言えぬのに・・・・・・」
置いていかれた、隊長専用の羽織に触れて。
言い知れぬ感情と、その根底にある喜びに自嘲して笑う。

「・・・・・・本当に愚かな奴よ」

そう言った夜一の顔は、言葉とは裏腹にひどく穏やかだった。
そしてと同じく瞬歩でその場を後にする。
目指すは己が目的のため。ただ、それだけを求めて。
闇夜と月は駆ける。



それぞれが再び、共に在る空を請いながら。





2004年5月1日