アークエンジェルが名目上は秘密裏に、けれど明白にオーブに入港した。
それらの報告を受けて、ムルタ・アズラエルは腰を上げる。
地球連合にとって、中立を掲げ非戦を主張しているオーブは邪魔でしかないのだ。
そろそろ頃合かもしれない。
けれどそのためにはもう少しだけ状況を把握しておきたい。
アズラエルはそう考え、呼びつけておいた彼らに微笑を浮かべながら命令を下した。
「君たちにはオーブに潜入して情報を交換してきてもらいます。オーブは今はまだ非戦闘区域ですから、決して問題を起こさないように。まぁ、お使いですからね。アイスの買い食いくらいは許可してあげますよ」
まるで幼子に言うかのような言葉に、オルガとクロトはわずかに表情を歪めた。
前髪に隠された下で、シャニも片目を細める。
けれど彼らがアズラエルの命に逆らうことはない。
We don't know a god.
「それにしてもバッカみてーに平和そうな街」
手に持っているバニラアイスを舐めながら、クロトは街並みを眺める。
オルガは店頭に並べられている書籍に惹かれながらも、それらを振り切るように足を速めた。
二人の後ろを歩いているシャニは見るからに眠そうで、きっと座っていれば夢の中にいるだろう。
「んなことより、さっさと済ませて帰るぞ」
「久しぶりの自由なのにつまんないの」
「じゃあてめぇだけ遊んで来い。後でおっさんに何言われようと俺の知ったことじゃねぇ」
「バァーッカ! そんなことするかよ!」
口でどんなに文句を募ろうとも、実際自分たちがアズラエルに逆らうことはない。クロトとてそれくらい判っている。
薬漬けにされてしまった身体は、もう自分自身の意志も聞かない。
戯れに伸ばされる手に縋らなければ、生きていけさえしないのだ。
「どうでもいいけど早く寝たい・・・・・・」
シャニが首をふらふらと揺らせて呟く。
クロトがコーンを咀嚼する音を聞きながら、オルガは左右を見回して、ある看板に目を留める。
どこにでもあるようなレストランの前まで来て、三人は立ち止まった。
「さっさと済ませて帰ろーぜ」
クロトの言葉を合図に店内へと足を踏み入れる。
いらっしゃいませ、という店員の声を無視をして、三人はいる筈の『相手』を探した。
『本当なら僕が行きたいくらいなんですけどね』
命令を下した際のアズラエルは、どこか不機嫌そうで、けれど何故か愉しげだった。
『相手は金髪に水色の目、年齢は君たちとさほど変わりません』
その言葉を思い返しながら、七割の席が埋まっている店内を見回す。
『水色の洋服で、髪には白いリボン』
いた、とシャニが小さく呟く。
『その人物を見つけたら、こう言いなさい』
オルガが歩き出すと、クロトとシャニがその後ろに続く。
テーブルの間を通り抜けて、壁際を目指して。
アイスコーヒーを片手に本を読んでいる人物の前に立ち、言われたとおりの言葉を口にする。
「『今日は雲一つない良い天気ですね。このように清らかな青天がいつまでも続いたらいいと思いませんか?』」
オルガの棒読みに、相手は読んでいた本を伏せ、顔を上げた。
長い金髪がワンピースの肩の上を滑り落ち、水色の目がオルガを捉え、次にクロトとシャニを収める。
そしてグロスの綺麗に塗られた唇が開く。
「『そうですね。でも空は星があるからこそ美しいのではありませんか? お互いの姿が見えるのに決して触れられない距離は歯痒く、けれど両者の差を示す決定的なものだと私は思います』」
アズラエルが言っていた通りの言葉を返した相手は、自分たちとそう歳の変わらない少女だった。
膝丈のワンピースは空と同じ色をしていて、長くゆるやかな金糸を白のリボンで結んでいて。
水色の瞳を細めて微笑み姿は、『可愛い』という形容詞よりも『美人』という言葉が似合う。
歳若い、少女。
けれど隙のない物腰が、彼女がただの少女ではないことを雄弁に示していた。
昼食時を迎え、レストランはほぼ満席。
一番奥にあるテーブルにも本日のランチが四人分運ばれる。
パスタをつつきながら、クロトはちらりと左隣に座る少女を見やった。
けれどそれが水色の目とあからさまにぶつかってしまい、思わず息を呑む。
次いで浮かべられた笑顔を見ることは出来ず、クロトは赤面しながらも顔を背けた。
そんな彼を呆れたように一瞥し、オルガは警戒心を緩めないまま口を開く。
「おまえ、何者だ?」
物腰が一般人でないことを示している。だとしたら軍属。
この時点でオルガには一つの確信があった。もしも相手が同じ連合の軍人であるならば、アズラエルがこうして秘密裏に情報を遣り取りするわけがないのだ。
しかも第三国のオーブでという周到さ。
それを考慮すれば、自然と導かれる答えは。
「おまえ、コーディネーターだろ」
クロトが弾かれたように視線を少女へ戻す。
シャニは相変わらず無反応だけれども、二人の視線を受けて少女はゆるやかに唇を吊り上げた。
艶やかなその美しさは、コーディネーターという理由でしか説明できない。
少なくとも目の当たりにした彼らは、そう思う。
「こういった遣り取りで互いの素性を探るのはマナー違反でしょう?」
「ってことはおっさんの愛人じゃないんだ?」
「そんな、恐れ多い」
小さく笑ってクロトの言葉を否定する。
硬質だった雰囲気が和らぎ、一気に親しみやすくなった少女に、クロトはぱぁっと顔を輝かせた。
パスタの皿を押しのけ、続けて話しかけようとテーブルに身を乗り出す。
けれどそれも、シャニの呟きに固まった。
「愛人なわけないじゃん。・・・・・・こいつ、男だし」
まぁ、あのおっさんなら男でも愛人にしそうだけど。
ぽつりと続いたシャニの言葉は、硬直した三人には届いていなかった。
2005年1月7日