それは、ある日のこと。
いつものように朋ちゃんに誘われて、男子テニス部の練習を観に行った日。
大会を間近に控えて、リョーマ君も他の先輩たちもすごく真剣に練習していて。
そんなときに、その人たちは現れた。

「お邪魔しますよ」

部外者立ち入り禁止のフェンスの扉を開けて、コートの中に現れた人。
着ているのは青学中等部の学ランじゃなくて、高等部のブレザーで。
背の高い男の人が二人。一人は丸いサングラスをかけていた。
「大和部長!」
三年生の先輩の驚いた声が響く。
「どうも、お久しぶりですね」
と、大和部長と言われた人が笑って。
そして、もう一人。
縁のない眼鏡をかけた人の方を見て、手塚先輩が信じられないように呟く。

「・・・・・・会長・・・!?」

それが、私と先輩の出会いだった。





あなたとワルツを





パコン、パコンとボールがやり取りされるコートの雰囲気が、今日はいつもと少しだけ違う。
それはきっと・・・ううん、間違いなくあの二人が来ているから。
さっき手塚先輩が部員のみんなに紹介をしていた。
今はベンチに座って微笑んでいるサングラスの人が、大和祐大先輩。
手塚先輩たちが一年生のときに三年生で、そのときのテニス部の部長だった人。
テニスはすごく上手ってわけじゃないみたいだけど、でもとても信頼出来る人だって、そういえば前におばあちゃんも言ってたかもしれない。
そんな大和先輩と並んでベンチに座って話をしているもう一人の人は。
先輩。
先輩もやっぱり手塚先輩たちが一年生のときに三年生で、そのときの生徒会長を務めていて。
二年生で生徒会長になった手塚先輩は、すごくお世話になったんだって。
三年生の先輩たちも丁寧に挨拶したりしているから、きっとこの二人は特別な人なんだと思う。
直接知らない私たちにとっては、よく判らないんだけど・・・・・・。
今は菊丸先輩と不二先輩が近くによっていって話しかけている。
会長!」
「何だよ」
「テニスの相手して下さい!」
「嫌だ。大和にでも頼め」
「やーだー! 会長がいいー!」
「うるせぇ黙れ」
「やだやだやだやだー!」
「黙らせろ、不二」
「Yes, my Lord.」
菊丸先輩がコートに沈められてる・・・・・・。ふ、不二先輩によって。
いつものことと言えばいつものことだけど、不二先輩がいつもより笑顔だからすごく怖いよ・・・・・・。
「お二人とも今日はなぜ中等部にいらしたんですか?」
もちろん来て下さって嬉しいですけど、と大石先輩が笑いながら言う。
一緒にいる河村先輩や乾先輩も笑顔で、すごく嬉しそう。
「可愛い後輩たちが順調に勝ち進んでいると聞いて応援に来たんですよ。本来なら試合会場に行くべきでしょうが、こちらとしても何かと忙しくて」
「大和部長は高等部の方でもレギュラーになられたんですよね」
「まぁ、どうにかという所ですけれどね」
苦笑する大和部長の隣で、先輩は手塚先輩に声をかける。
手塚先輩がいつもより厳しそうに見えるのは、ひょっとしたら緊張しているからなのかな。
二人がまるで先生と生徒みたいに見えて、私は少し笑ってしまった。
話をしているのを見ていると、隣の朋ちゃんにクイクイッと袖を引かれて。
「・・・・・・ねぇねぇ、桜乃」
「どうしたの、朋ちゃん」
内緒話するみたいに、小さな声で朋ちゃんが言う。
「あの人、かっこよくない?」
視線で示された先を見ると―――。
「・・・先輩?」
シンプルな眼鏡をかけている、背の高い人。
朋ちゃんはうっすらと頬を赤くして、ひそひそと、でも興奮気味に話し続ける。
「そう! 男の人なのに綺麗っていうか、冷たそうっていうか、そういうところがよくない?」
「冷たそうって朋ちゃん・・・・・・」
「だって桜乃だってそう思うでしょ? 隣にいる大和先輩がニコニコ笑ってるからもっとそう見えるのかもしれないけど」
「うーん・・・」
言われて先輩を見てみると、朋ちゃんの言うとおり大和先輩は笑っていて、先輩は無表情に近い顔をしてる。
綺麗っていうのは本当だと思う。冷たそうっていうのも・・・・・・本当、かもしれない。
いつも厳しい手塚先輩よりも怖そうで、クールなリョーマ君よりもずっと冷静そうで。
まるで氷みたい。でも、すごく綺麗。
「背も高いし、手足も長いし、顔もかっこいいなんて言うことないじゃない。あたしたちより四歳年上だから、恋人になったら頼れそうだし」
「こ、恋人って朋ちゃんっ」
「なったらの話だってば」
そう朋ちゃんは言うけど、やけに瞳が真剣なのは気のせい・・・・・・?
たしか朋ちゃんはリョーマ君が好きなはずだけど・・・・・・。うん、でも『恋人になったら』の話だし。
そういう想像をするだけだったら、悪くないよね?
コートの中では大和先輩が立ち上がって、後輩たちのボール出しの手伝いをするみたい。
だけどやっぱり先輩は静かにベンチに座ったままで。
見ていた私と朋ちゃんに気づいたのか、整っている横顔がゆっくりとこちらを向く。
その様子に、私はまるでスローモーションのように見入ってしまって。



視線が、重なる。



「ほら桜乃、リョーマ様が打つよ!」
隣で朋ちゃんが言うけど、声が聞こえるだけで意味なんて判らなかった。
ただ、フェンス越しに見える先輩だけがすべてで。
指先が震えて、顔が熱くなっていく。目が離せない。
先輩から、目が離せない。



しばらく互いに見合っていた後、先輩がふいっと視線を逸らした。
それはまるで、興味を失くしたみたいに。
たったそれだけのことなのに、何故かすごく悲しくて。
私はせり上がってくる涙を必死で堪えた。

胸の奥が痛い。
初めて会う人なのにどうして。

何かが、身体を駆け抜けたみたいだった。
熱くて、苦しくて、それでもどこか甘い何かが一瞬で。
私の中を染めていった。



それからのことはほとんど覚えてない。気がついたらテニス部の練習は終わっていて。
朋ちゃんはやっぱり何か言っていて、リョーマ君もコートでテニスしていて、いつもと何も変わらなかったのに。
それなのに、何も私の頭には入ってこなくて。
ただ、先輩のことばかりでいっぱいになってしまって。
今日初めて会ったのに。話だってしたことないのに。一度目が合っただけなのに。
どうしたんだろう、私。
私は、リョーマ君のことが好きなはずなのに。
そう考えて愕然とした。

・・・・・・好き?
・・・・・・誰が?



何で私、リョーマ君と先輩を比べてるの・・・・・・?



気づいてしまった事実に一気に顔が赤くなる。
さっきは堪えられた涙がまた溢れてきて、今度は頬を伝ってしまった。
隣にいた朋ちゃんが慌てたように振り返る。
「ちょっ―――桜乃!?」
肩を揺さぶられる。でも、流れる涙を止められなくて。
「どうしたの!? ねぇ、桜乃!」
朋ちゃんにごめんねも大丈夫も言えなくて。気づいてしまった気持ちに私自身ついていけなくて。
リョーマ君の顔が浮かぶ。でもすぐに消えてしまって。

先輩の、顔が浮かぶ。

さっきよりも涙が零れてしまって、私は掌で顔をおおった。
自覚してしまった恋にどうすればいいのか判らなくて。
だって私と先輩は出会ったばかりで。
話だって、性格だって、合うかどうかも判らないのに。
それなのに恋だけが先に走り出してしまう。
まだ何も始まってさえいないのに。



一瞬で、恋に落ちてしまった。



「どうかしたんですか?」
涙が止まらなくて何度もぬぐっていると、上から声が降ってきた。
柔らかい男の人の声。この響きはきっと、先輩じゃない。
そんなことまで判ってしまう自分にますます涙が流れる。
「あ、大和先輩! 桜乃が急に泣き出しちゃって・・・・・・」
「おやおや、それは大変ですね」
穏やかな声。一瞬の間の後で、私の前にしゃがみこんだ大和先輩の顔が覗く。
「どうしました? 竜崎桜乃さん」
「・・・・・・ぃえ・・・っ」
いい加減に泣き止まなくちゃ。ちゃんと朋ちゃんと大和先輩に謝って、大丈夫だって言って。
そう思ったのに。

「大和」

声だけで判ってしまった。
締め付けられるように胸が痛い。
それでも私は顔を上げる。
近づいてくる先輩を見て強く思った。

「――――――好きです」
言葉が零れ落ちる。
出会ってからずっと冷静だった先輩が、少しだけ眉を吊り上げた。
でも、どうしても止まらなくて。



先輩が、好きです」



視界の隅で朋ちゃんと大和先輩が目を丸くしているのが見えた。
でもそれ以上に。
私の中を占めているのは、先輩たった一人だった。





2004年3月11日