パコーン・・・・・・パコーン・・・・・・
緑の木々に囲まれたテニスコートでボールの交わされる音がする。
空は晴天。風も爽やかさを演出してくれる程度の、穏やかな日曜の昼下がり。
「のどかですよね・・・・・・」
「あぁ、幸せだな・・・・・・」
「平和だーね・・・・・・」
ほのぼのとした会話がされ、彼らはのんびりと空を見上げて緩やかな溜息をつく。
天気が良くて、大好きなテニスをしていて、なんとなく今日もいい日だな、なんて思ったりして。
「こんな日がずっと続くといいっすね・・・・・・」
のほほんと、呟いた言葉に横にいた二人も深く頷く。
けれどそれは0コンマ3秒で破られた。

「ゆうたあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――っ!!!!!」

聖ルドルフ学院に嵐が訪れた瞬間だった。





プリティ・フェイス





潰れた、と赤澤吉朗は思った。
今後、不二裕太は使い物にならないかもしれないと考えて、同部活のブレーンに戦術の組み換えを頼まなくては、と思った。
そんなことを彼に考えさせるほど、目の前の裕太は顔面から勢いよくテニスコートへとダイブしたのである。
そして彼の上に乗っている物体。
ブーツカットの細身のジーンズ、コーラルピンクのノースリーブのセーター、白いローヒールのサンダル。
細い手首を強調するかのようにつけられた太目のブレスレットと指輪。そしてチラッと見える揃いのピアス。
砂糖細工のようにキラキラと光る飴色の髪は、パーマではない自然さでふわふわと揺れている。
肩先を掠めるくらいの長さのそれは、前髪はピンで留めてあって、少女の顔を惜しげもなく晒していた。
「・・・・・・美少女だーね・・・・・・・・・」
柳沢慎也の呆然とした呟きに赤澤は激しく同意して首を振る。
今やテニスコートにいた全員が食い入るようにして少女を見つめていた。
そんな中、やっとの思いで裕太が身を起こす。
「誰だよ――――――――――・・・・・・・・・!?」
言葉は途切れて消えた。

少女の柔らかそうな唇によって。

テニスコートに沈黙が落ちた。それはそれは見事な静寂が訪れた。
ほのぼの部隊には近づかず部員たちに指示を出していた観月はじめも、今日は自主練習と勝手に決めてフラフラしていた木更津淳も。
楽しそうに会話をしながらラリーしていた金田一郎も、野村拓也も。
聖ルドルフテニス部全員が動きを止め、今目の前で繰り広げられている光景に見入っていた。
同校テニス部員の不二裕太と、突然現れた美少女のキスシーン。
男子校の中学生としては滅多に生でお目にかかれない光景を前に、後学のためか知らずみんな黙って事の成り行きを見守る。
一番近くにいた赤澤と柳沢にいたっては瞬きすることすら出来ない状態だった。
目を伏せた少女の頬がうっすらと薔薇色に染まる。
丁寧に塗られていたピンク色のグロスが裕太の唇に移る。
優しくて、それでいて濃密なキスに男子中学生が反応せずにいられるわけがない。
ごくりと、誰かの唾を飲む音が響いた。
そしてしばらくの間の後、ゆっくりと二人の唇が離れて。
「久しぶり、裕太!」
少女は誰をも魅了する可愛らしい顔で笑った。



とりあえず、観月はボケーッと動きを停止させている部員たちに指示を出して部活を続けるよう促した。
誰もが後ろ髪を引かれながら、それでも渋々と練習へと戻っていく。
溜息をつきながらそれを確認し、観月は問題の旧ほのぼの部隊の方へと足を向けた。
そんな彼の後ろから今にも鼻歌を歌いそうなくらいご機嫌な木更津が続く。
目の前で繰り広げられているのは、熱々火傷しそうなほどの抱擁シーン。
「裕太! 裕太裕太裕太ゆうたゆうたゆうたゆーたゆーたっ! 会いたかったよっ! 久しぶりぃ!!」
「えっちょ、待てっ! おまえ、何で―――――――――!?」
「そんなの裕太に会いたかったからに決まってるじゃん!」
上半身を起こした状態の裕太に思いっきり抱きつく美少女。
?マークを飛ばしつつも少女の背を抱きしめる裕太に、赤澤と柳沢は激しく羨ましいと思った。
こんな世紀の美少女に抱きしめられるなんて!
そっと裕太の首に回していた手を解き、少女が額を合わせて微笑む。
「・・・・・・会いたかったよ、裕太」
甘く、柔らかく、それでいて心から嬉しそうな笑顔に、裕太も同じように微笑んで。
「俺も、会いたかった」
そっとその細い体を抱きしめた。

「―――――――――――――――さて、裕太君」
ひんやりと聞こえてきた声に、裕太は少女を抱きしめたままカキーンッと凍りついた。
心なしか、背中からブリザードにも似た寒さを感じる・・・・・・。
振り返らずとも判った。彼が、微笑んでいるのだと。
「説明、してもらいましょうかねぇ・・・・・・・・・?」
微笑んでいるくせに目だけはちっとも笑っていないのだろうと、図らずとも判ってしまった。



裕太の隣に立った少女はとても小柄だった。
いや、きっとそれは体格の良いテニス部員たちに囲まれているからだろう。
155センチくらいの身長は、この年代の女子としては平均のはず。
「えっと・・・・・・・・・紹介します。こいつは、俺の幼馴染で」
です。どうぞよろしくお願いします」
少女はニッコリと微笑んだ。
先ほどの興奮が冷めていないのか頬はうっすらとピンク色に染まっていて、それが少女の愛らしさを増長させている。
赤澤と柳沢はそんな笑顔にやられて顔を真っ赤に染め上げた。
けれどさすがは観月。いつもどおり前髪をクルクルといじりながら話しかける。
さん、ですか。裕太君にこんな可愛らしい幼馴染がいらしたとは初耳ですね」
「あ」
「ふふ、ありがとうございます」
誰かの声がしたようだが、少女の言葉でそれは過去のものと成り果てた。
「年はおいくつですか?」
「裕太と同じで14です」
「学校はどちらで?」
「いえ、先日までアメリカのほうに行ってまして、帰ってきたばかりなんです」
「それはそれは」
ニコニコと笑顔で交わされる会話。
そんな二人に忍び寄る影に気づいて、裕太は「あ」と呟いた。けれど時既に遅く。
さんは裕太の彼女なの?」
木更津による質問タイムは開始されていた。
「そう見えます?」
「うん、見えたかなぁ。だってすごく熱いキスしてたし」
「アメリカでは親愛の情ですよ。あぁでも裕太は大好きだから、ちょっと特別仕様で」
「恋人じゃないの?」
「残念ながら違うんです」
美少女の言葉に木更津は笑った。それはもう、彼の端正な美貌を120%活かして、待ち行く女性たちを一様に止めてしまうほどの破壊力を持って。
そして、いつもよりちょっとだけ甘く囁く。
「じゃあ、俺と付き合わない?」
そこにいた観月・赤澤・柳沢も、ひそかに練習をしながら聞き耳を立てていたテニス部員も、見事に再び固まった。
そんな中で木更津は悩殺的に微笑みかける。
けれど少女は蠱惑的に赤い唇を吊り上げて目を細めた。
裕太が口を開こうとするのを遮って、少女が鈴のような声で答える。



「俺、男ですけどそれでいーんでしたらオッケーですよ?」



・・・・・・・・・・かつてないほどの沈黙がテニスコートを支配して。
そして上がった絶叫に裕太は肩を落として溜息をついた。





2003年5月7日