部活が終わって手早く制服に着替える。
今の時刻は・・・・・・5時。
うん、大丈夫。時間は十分ある。一度家に帰ってからでも平気かな。
レッスンが終わるのは8時だから、9時までには夕食とお風呂を準備して・・・。
今日はどうしよう。何を作ろうかな。
そんなことを考えていると、鞄の中の携帯電話が震えて着信を知らせる。
ポチポチとボタンを操作して確認した後、僕は後ろを振り向いた。

「ねえ、英二。親子丼ってどうやって作るの?」





ベチュニア





越前を構い倒して遊んでいた英二は目をパチクリさせて近づいてきた。
(その間に越前はこれ幸いと部室の隅へ逃げてしまったけど)
「にゃに、不二。親子丼?」
「うん、そう。作り方教えてくれる?」
鞄からルーズリーフとペンケースを取り出して。
「にゃににゃに? 何で? 珍しーじゃん」
目をキラキラさせる様子に僕は少しだけ笑う。
すると英二は「あ!」と声を上げて。
「わかったー! さんのリクエストだ! 絶対そう!!」
「・・・・・・うん、正解」
苦笑しながら頷いて。
そんなに分かりやすいのかな。
確かに自覚はしてるんだけど。
「不二ってばさんのコトとなるとすっごい優しい顔になるし。わかりやすすぎ!」
優しい顔、かぁ。うん、そうだね。そうかもしれない。
そうなって当然だと僕自身も思う。
「誰っスか? そのさんって」
制服に着替えた桃が興味津々な顔で聞いてくる。
そっか。桃に海堂、越前は知らなかったっけ。
さんは僕の特別な人だよ」
言ってから気づく。
きっと今の僕はものすごく嬉しそうに笑ってる。
本当に判りやすすぎ。
だけどそんな自分は嫌いじゃないから。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふ、不二先輩って恋人いたんスかぁ!?」
うわ、桃すごい声。
でも後ろの海堂も目を丸くしてるし、越前もワイシャツのボタンを留めてた手がピタッと止まってる。
英二や他の3年レギュラーは苦笑してるけど。
僕も少し肩をすくめて。
「残念ながら、まだ恋人じゃないんだけどね」
「『まだ』って・・・・・・」
桃はあんぐりと大口を開けて。海堂もまだ固まったまま。
越前は再びボタンを留め始めてる。さすが、回復早いね。
「でもさー不二、2年前からずっと同じこと言ってるじゃん」
英二が楽しそうに笑う。
うん、僕も同じこと考えてた。
でもそれを聞いた桃はさらに口を大きく開けて。
海堂は挙げかけた手が変な位置で止まってるし。
越前は「ふーん」と呟きながら学ランをはおる。
「不二先輩が2年も片思いなんて信じられないっスね。そんなに手強い人なんスか?」
信じられないって・・・。
ホント、越前はハッキリ言ってくれるね。
大石とタカさんが顔を青くしてるよ。
「うん、すごく手強いんだ」
でも答える僕は変わらず笑顔で。
これもすべてさんのことだから。
さんは頭もいいし、力もあるし。それに何より年上だからね」
「いくつ上っスか?」
「7つ。今年で22歳」
越前はやっぱり「ふーん」と頷いた。
年の差にはこだわらないタイプなのかな。
反対に桃と海堂は驚いてばっかり。
「7つも年上なんスか!?」
「うん、そうだよ」
「・・・・・・・・・大学生スか?」
「ううん、社会人。ピアノの先生なんだ」
ついに口を挟んできた海堂にも笑顔で答えて。
「料理上手でルックスもすごく良くて、街ですれ違ったら一度は振り返るような人だよ」
本当に、一緒に歩くとすごいんだよね。
女の視線も男の視線も。
「ってゆーか不二!いい加減会わせてくれたっていーじゃん!いっつもいっつも話ばっかでさ!俺もさんに会ーいーたーいーッ!!」
あ、始まった。いつもの英二のワガママ。
でも―――――――。
「ダメ」
「ぎゃッ!」
「絶対ダメ」
これだけは譲れない。
さっきとは違う笑顔で微笑んで。
「にゃ・・・にゃんでだよー!!」
英二の猫シッポが垂れているのが見える。
「だって会ったら好きにならずにはいられないから」
これだけは自信を持って言える。
さんは口が悪くて冷たくて薄情で嘘吐きで好き嫌いが激しくて自己中心的だから、会わない方がいいよ」
乾がノートに書き込みをしてる。
「じゃあ何でそんな人が好きなんだよーッ!!」
それはやっぱり。

「心地よい空間を作ってくれる人だから」

さんと一緒にいると、本当にすごく楽なんだ。
安心して、僕が僕でいられる。
自然に呼吸をすることが出来る。
何よりも大切な時間。
「一度会ったら離れたくなくなる。だからダメ。絶対に会わせない」
再度言うと英二はシュンとうな垂れて。
それでも親子丼の作り方を教えてくれた。
ゴメン、英二。
でも本当にダメなんだ。
さんは誰にも渡せない。
ずっとずっと僕の傍にいてほしいから。
だから、ダメ。



部室を出て見上げた空はだんだんと暗くなってきて。
早く行こう。
早く行って電気をつけて、夕飯を作って、さんの帰りを待っていよう。
早く、早く。
会いたいから。
僕は鞄を持ち直すと駆け出した。

あ、そういえば さんは男の人だって桃たちに言うの忘れてた。
・・・・・・・・・・・・。
ま、いっか。





2002年10月11日