それに気付いたのは、偶然だったのかもしれない。
だけど妙に納得した。そして素直に嬉しいと感じた。
応援してくれる誰かがいると、自然と力が湧いてくるものだから。



プレイヤーの俺と有希。
サポーターの



でも俺たち三人は、確かに兄妹弟だったんだ。





Go ahead on your Blue.





俺がサッカーに出会ったのは、小学校に上がった頃だった。
体育の授業でやったのが面白くて、放課後も校庭で友達とサッカーをした。
そのうちそれだけじゃ足りなくなって、一人でリフティングをしたり、シュート練習をするようになった。
8歳年下の妹・有希はそんな俺の邪魔をしてボールを奪ったりしたけど、下手なリフティングをしようとするのを見ているのは面白かった。
でも本人はすごく真面目に見えたから、笑いながらコツを教えてやる。
そんな俺と有希の様子を、10歳年下の弟・は近くでずっと見ていた。
年の離れている二人が、俺はすごく可愛かった。



中学に入学して、サッカー部に入った。
元々好きで練習していたってこともあるから、俺は一年のうちにレギュラーになることが出来た。
試合にもたくさん出してもらえて、三年になるとサッカーの強い高校からスカウトされるようになった。
でも俺はそこまで自分の力が信じられなくて、自力で受験してサッカーの強い学校に入った。
強豪校のサッカー部ではすぐにレギュラーは取れなかったけれど、一年の秋の新人戦には使ってもらえた。
二年になる頃になると、小三になった有希がと一緒に地元のサッカーチームに入ったんだと聞いた。
嬉しそうに目をキラキラさせながらチームのことを話す有希に、もうこんなに大きくなったんだなぁ、なんて感慨を抱いたりして。
中庭でリフティングを教えていたのがついさっきの気がする。まるで親みたいな気持ちで、そう思った。
その年、俺たちの高校は全国ベスト4という成績を残した。



サッカーすることが好きだった。パスの繋がった瞬間、シュートの決まった瞬間、ドリブルもトラップも全部の動作が好きだった。
試合は勝てば嬉しかったし負けると悔しい。そんなものをすべてひっくるめて、俺はサッカーが好きだった。
だから高三のとき、柏レイソルからスカウトを受けたときは迷わなかった。
自分の力を信じよう。精一杯努力しよう。そんな気持ちを抱いて、俺はプロになった。



「やだ! お兄ちゃん、行っちゃやだ!」
俺の鞄をつかんで泣く有希は、もうすぐ五年生になるはずだった。
プロになって寮に入るため、家を出て行く俺を最後まで泣いて引き止めていた。
そんな有希より2歳年下のは、俺よりも有希に似ている顔で笑って見送ってくれた。
「頑張って、明希人兄」
そのときの俺は、まだ気付いていなかった。
気付いたのは、初めてプロとしてピッチに立ったとき。



小さい頃から、俺と有希がサッカーしている姿を嬉しそうに眺めていた
その顔はプレイヤーじゃない。サポーターのものだったんだ。



12人目の選手。



引越しの話を聞いたときは、正直俺は自分のことだけで手一杯で特に何とも思わなかった。
プロになって二年目、やっと試合にもそこそこ出してもらえるようになってきた頃。
結果を残すことだけに捉われていて、家のことまで気にすることは出来なかった。
だから有希がサッカーチームを辞めたくないって騒いでることも、そのことで有希との仲が悪くなったのも、全部後になって母さんから知らされた。
久しぶりに家に帰ってみれば、有希は嬉しそうに駆け寄ってきて、一緒にサッカーをしようと言う。
玄関で靴を履く有希を見ながら、リビングにいるにも一緒にやらないかと声をかけたけど、ただ静かに首を振られた。
有希が俺の腕を強くつかんで、から引き離す。
サッカーボールは以前の古いものじゃなくて、新しい綺麗なのに変わっていた。
窓から俺たちを見送っているの顔に、やっぱりと思う。
は俺と有希がサッカーをしているのが、好きなのだ。
プレイヤーじゃない。サポーターなのだと、その目が確かに語っていた。



にはプレイヤーとしての素質があった。
小さい頃から有希とにサッカーを教えてきたけど、才能だけならの方があるかもしれないと心の内で思うくらいに。
だけどが選んだのはサポーターとしての道だった。
今思い返せば、は自分でプレイしているよりも俺や有希のプレイを見ていることの方が多かったと思う。
有希が手を引いて連れてきてしまうから、気付けなかったけれど。
きっと自身は、ずっと前からそんな自分を知っていたに違いない。
だから引越しと共にサッカーを辞めた。有希がいないのなら意味がないと思って。



今なら判る。サッカーにのめり込んで自分しか見えなくなる俺や有希と違って、の視界は広かったんだ。
だからこそは、サッカーを辞めた。



の目は、ピッチにいる俺を励ましてくれるサポーターのものなんだ。



有希が変わったのは、有希が中二、が小六の頃だった。
長かった髪をばっさりと切った有希は、晴れ晴れとした顔をしていた。
女子サッカー部を作ったことを聞いて、そんなにサッカーがしたかったことに今更ながらに気付く。
有希がサッカーをすることに母さんはまだ少し反対らしかった。
確かに女子サッカーの現状を考えればそれは当然かもしれない。だけど、同じサッカー選手の俺としては有希の応援をするのは当然だった。
部活の仲間と年越しフットサルをするということで保護者として借り出されたとき、に声をかけるべきかどうか迷った。
けれど前と同じように、は黙って首を横に振った。
その顔が嬉しそうだったことだけが、救いだった。



が中学に上がる年、有希がいないのを見計らって家に帰った。
夕飯を作る母さんの手伝いをしていたを、適当に言って家から連れ出す。
今更だとは思っていたけれど、どうしても確認しておきたかった。
「ほら、
寮から持ってきたボールを蹴りだすと、は滑らかなトラップをして受け止めた。
俺の覚えている小さなのプレーよりも格段に綺麗なそれは、二年もサッカーをしてないとは見えなかった。
、おまえはサッカー部に入らないのか?」
返ってきたボールは、受け取りやすいパスだった。球筋が有希とよく似ていた。
「入らないよ。俺はプレイヤーじゃないから」
「サッカー、嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。でもそれよりも明希人兄と有希姉がサッカーしているのを見てる方が好きだから」
無理のないリフティングだった。有希とよく似ている、俺が教えたコツを活かした。
蹴り上げられたボールは高く上がり、空の中に輝く。
「俺は、明希人兄と有希姉のサポーターでいたいんだ」
放たれたシュートは、ゴールを模したラインの右上にぶつかった。
それがプレイヤーとして、の最後のシュートだった。



有希は中三になると、やっぱりどうしてもプロになるのを諦められないからって母さんの説得にかかった。
母さんの有希を心配する気持ちも判るけれど、でも俺は有希の味方だから出来る限りの協力をした。
やっぱり俺はあまり家に帰ることは出来なかったけれど、新年に家に帰るとようやく母さんが折れたことを知った。
よかったな、と有希に言えば、有希は泣いて真っ赤な目で「勉強してくる」と言って部屋に篭った。
温かい気持ちでコタツに入り、みかんを食べながら父さんと近況を報告しあう。
そんなとき、テレビの音に混ざって、ダイニングで母さんとの話し声が聞こえた。
「ねぇ、。塾のことならそんなに心配しなくてもいいのよ? 月謝だってそんなに高くないし。それには頭がいいんだから良い学校にだって行きたいでしょ?」
「いいよ。塾の往復にかかる時間を自宅で勉強に当てた方が有意義だし。それに都立だって最近は設備もいいし、大学受験にも力を入れてるらしいから」
「でもね」
「俺の成績が10位から落ちたら、塾も考えるよ。それよりも母さんは有希姉の心配しなきゃ。有希姉、これからきっと今まで以上にパワフルになるよ」
明るい声に愕然とした。全然考えてもみなかったことだった。
思わず父さんに目をやれば、優しい目を返された。本当に、俺は、やっと気付いた。
の視界はずっとずっと広くて、そして俺の弟は少しばかり聡過ぎたんだ。



結局有希は女子サッカー部の強い私立女子高に入り、は塾へ行かなかった。
留学費用は俺も出すって父さんに言ったけれど、大丈夫だからって断られた。
の気持ちを無駄にするな、と。
有希が日本を発つ日は、ちょうど試合が入っていたため見送りに行けなかった。
母さんが言うには、も部活があって行かなかったらしい。
すれ違ったままの妹と弟。有希がいつか、願うなら出来るだけ早く気付いてくれればいいと思う。
おまえにはっていう、最強のサポーターがついてるんだってことに。



有希が女子サッカー日本代表に選ばれたのは、俺が28歳、有希が20歳、が18歳のときだった。



、久しぶり」
送られてきたチケットを手にスタジアムに入ると、もうすでにがシートについていた。
俺の隣、連続したシートの残り二つは、きっと父さんと母さんのものだろう。
そう思いながら問いかければ、やっぱりそうだと答えられた。
「今は二人とも有希姉に会いに行ってる。もうすぐ帰ってくると思うけど」
コートのポケットからコーヒーを取り出して、微糖の方を渡してやった。好みが判らなかったから適当に買ったものだけれど、は礼を言って受け取る。
「国立大学に合格したんだって? やったな」
「ありがと」
「結局最後まで予備校にも行かなかったって母さんが驚いてたよ」
「必要なかったから。それに勉強だけなら先輩とかが教えてくれたし」
プルトップを開け、コーヒーに口をつけるは細いフレームの眼鏡をかけたいた。
小さい頃、有希に似ていた顔立ちは今も変わらない。一目で男と判るけれど、それでもは美人と言えるタイプだろう。
母さんの知り合いに頼まれて、モデルのアルバイトをしたこともあるらしい。
有名にはなりたくないと言ってたけれど、それでも少しだけ続けているそれは、きっと両親から渡される毎月の小遣いを断るためのものだったんだろう。
自分で言ったとおり、は塾に通わずに都立高校に入り、予備校に行かず国立に入った。
変わらない。相変わらず聡い、俺の弟。
だけどそんなと有希の関係が、まだ戻っていないのを俺は知っていた。
「・・・・・・
巨大なオーロラビジョンに、女子代表のメンバーが映し出される。
GKが一人、DFが三人、順に紹介されていくスタメン。
その度ごとにサポーターから歓声が上がる。
「有希はもう、ちゃんとおまえのことを判ってるよ」
弾かれるようにが振り向く。その瞳が僅かに揺れていて、何だか久しぶりにが10歳も年下だということを思い出した。
「俺に電話してくる度に、二言目には『は元気?』って聞くんだ」
サポーターの声が上がる。
の顔が、くしゃりと歪む。
優しい、まっすぐな視線。有希の顔が、オーロラビジョンに映った。



『ミッドフィルダー、背番号8、小島有希!』



「有希は、おまえが一番のサポーターだって判ってるよ」



選手が入場し、国歌が流れる。
センターサークルで有希がボールに触れ、ゲームが始まった。
自分の試合よりも緊張する。いつもこんな気持ちで俺を見てたのかと思うと、父さんたちに頭が下がる思いだった。
有希にパスが回る。相手DFが止めに来る。ボールが転がる。
「・・・・・・明希人兄」
の声は小さくて、周囲の声援にかき消されそうだった。



「俺だって、明希人兄と有希姉がいたから、今まで頑張って来れたんだよ」



泣きそうな声だった。だから思い切り強く肩を組んで、ピッチを見つめた。
俺たちの思いが有希まで届くように、声を張り上げてエールを送った。



試合後、控え室を訪れた俺たちの中で、有希が一番最初に抱きついたのはだった。
有希は何も言わなかったし、も何も言わなかった。だけど、二人が回しあった腕は強くて。
そのときの二人の顔を、俺はきっと忘れないだろう。



プレイヤーの俺と有希。
サポーターの



俺たち三人は、最高の兄妹弟なんだ。





このお話は『パズル〜The fragment of the dream〜』様への参加作品でした。
2005年7月1日