城成湘南中学テニス部コーチ・華村葵。
美しい容姿を理知的な雰囲気で彩った彼女は、今はその整った顔を困ったように顰めていた。
目の前には、彼女の担当するテニス部の部員が一人。


冷静なゲーム運びと動体視力のよさ、それにスピードを兼ね備えた優秀な選手。
城成湘南中学テニス部三年に所属する彼は、少年らしいあどけなさの残る顔を不機嫌に歪めている。
これみよがしに、華村から視線をそらして。

机を挟んで向かい合う二人。
彼らはコーチと部員という関係のほかに、恋人同士という顔を持っていた。





マイ・フェア・レディ





「・・・・・・・・・君」
ブスッと横を向いて椅子に座っている恋人に華村は話しかけた。
「何をそんなに不貞腐れているの?」
「別に」
「『別に』じゃないでしょう? さっきからずっとその態勢のまま。言いたいことがあるなら言って頂戴?」
「・・・・・・・・・じゃあ言うけど。絶対に泣かないでよ?」
不穏な台詞を吐いて、は華村へと向き直る。
そのまっすぐな視線に胸を震わせた。

「俺って、華村コーチの何?」

シンッと時が止まったようだった。
ここはテニス部のミーティングルームで、部活が終了した今は華村との二人しかいなくて。
そんな中で、彼はまっすぐに彼女を見つめて言った。
むしろ睨むぐらいの勢いで。
「俺って華村コーチの何?」
「・・・・・・・・・何、って・・・」
「部員? 恋人? 生徒? それとも――――――」
一つ、息を切って。
鋭い瞳で華村を睨んで言った。

「作品?」

その言葉に息を呑んだ。
そして思い出す。常に自分が公言して憚らないことを。
『選手は自慢の作品』
それはたしかに本音で。
自分としては最高の指導をしてきた生徒たちを『作品』と呼ぶけれど。
でも今のがそれを示してないことは判った。
彼の、言いたいことは――――――――――

「俺は、『作られた彼氏』なんでヤダよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「葵は何? 俺のことを『自慢の彼氏』として作り上げたいわけ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それってすっげぇムカつく」
怒りを帯びた声音に肩を震わす。
一気にこの場を支配した威圧に、心のどこかが逃げ腰になる。
けれど逃げることは出来なくて。
まっすぐな視線にすべて絡めとられていた。
「・・・・・・・・・・・・弁解は?」
促された声に唇を開いて、けれど何も言えないことに気づいてそっと噛み締めた。
彼のことを作品と思っていたわけじゃない。
だけど、それを上手く伝えられる自信がない。
自分の気持ちを吐露するのが怖い。
彼に、見放されてしまいそうで。
この年になって、なんて子供っぽい。
この年だからこそ、せめてもの意地。
ずる過ぎる大人の拙い計算。
さぁ、笑って?

「・・・・・・・・・ないわ」

「・・・・・・・・・あっそ」
「今まで楽しかったわ、君。どうもありがとう」
「こっちこそオイシイ思いをさせてもらいました。アリガトウゴザイマス」
君ならすぐに同じ年の可愛い恋人が見つかるわ」
「あぁ、たぶんね。若人に頼めば今すぐにでも紹介してくれそうだし」
「・・・・・・えぇ、そうね」
女子生徒にいつも囲まれている部員の名が出て、目の前にいる彼も容姿と成績はとてもよいから明日にはそうなるのだろうと考える。
――――――胸が、痛い。
だけど、だてにこの年まで生きてきたわけじゃない。
見っとも無い別れ方はしない。
最高の笑顔を浮かべて。

「さよなら、君」
「・・・・・・サヨナラ、華村コーチ」



愛して、いるわ。



恋人だった少年が出て行って、しばらくしてようやく華村は大きく息を吐いた。
嘘は見抜かれなかっただろうか。
判らない。彼は、賢い少年だから。
彼と一緒のとき、まるで自分は幼い少女に戻ったかのように感じていた。
些細なことで胸を高鳴らせて、彼と同じ中学生のように。
・・・・・・・・・ずっと、コンプレックスだった。
そしてそれを活かした。
自嘲気味に苦笑をもらす。
「何もこんなときに大人ぶらなくても良いのにね・・・・・・・・・」
今さらながらに、悲しくて涙が浮かんだ。



「まったくもってそう思うよ!」



突如乱暴な音を立てて開けられたドア。
現れた、いるはずのない元恋人の怒りに満ちた表情と。
強く引かれた襟首のせいで思わず椅子から腰を上げた。
ふさがれた唇に目を丸くする。
かけていた眼鏡がぶつかって、けれど唇は離れなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・くっ・・・」
「―――――――――黙って」
かすかな息を吸う間に名を呼べば、その唇はすぐに塞がれてしまう。
角度を変えて何度も重ねて、その内壁をなぞって。
苦しくなるくらい奥まで舌を差し入れて、きつくきつく吸い上げる。
劣情に満ちた声が漏れた。
嬌声に、身体がうずく。
口紅は完全に乱れ、二人の口元を染めて。
話せば唇の触れる位置では笑う。
「どうだった? ご自慢の『作品』は」
そう言ってもう一度唇を重ねた。



「っていうか、葵はバカすぎ」
パチパチとキーボードが音を立てる横で、はスポーツ飲料を飲みながらブツブツと呟く。
その口元にはまだ口紅が色濃く残っていて。
「コーチに向かってその言い方はないんじゃないかしら?」
「コーチはいいよ。仕事できるし俺たちの指導も完璧だし、言うことナシ。俺が言ってるのは『恋人の華村葵』のこと」
データを入力している華村の口紅は、綺麗に整えられている。
「葵が俺を『作品』と思ってないことくらい判ってるっつーの。否定の言葉が欲しかったのに何も言わないし。大人の見栄なんか俺には通じないってコト判ってないね」
「・・・・・・・・・えぇ、本当」
「俺は葵の彼氏なんだから、葵のことは出来る限り判ろうと努力してんだよ」
「えぇ」
「見栄張って俺と別れようとするトコも、年の差をコンプレックスに感じてるトコも、全部全部可愛いと思ってんのに」
アッサリと言いのけたに、思わずパソコンを操る手が止まる。
それを見逃さずに、手を伸ばして引き寄せた。
今はまだ同じくらいの体格だけど、すぐに大きくなるから。
その証拠に、抱きしめる腕はこんなにも力強いだろう?
耳元で、囁き告げる。
「愛してるよ、葵」
どんな言葉を欲しがっているか判るくらいに、葵のことを判りたいと思っているから。
だからもうちょっと言葉にして欲しいなぁ、とが笑う。
「言葉がダメなら、行動でもいいけど?」
イタズラっぽく笑う仕草に、まだついたままの口紅が色を添えて。
抱きしめられた腕の中からキスを送る。
二人して、無邪気に笑って。

「愛してるわ、

『恋人』に、キスを。





2003年6月14日