使い古された言い回しは好きじゃないけど。
初めて彼を見たとき、お人形みたいだと思ったんだ。





彼と彼は図書室で





部活も引退して暇になった放課後、僕は借りていた本を返すべく図書室に来ていた。
何かまた新しい本を借りようかと物色していると、一番奥の棚の陰に誰かがいるのが判って。
放課後の図書室の利用は珍しいものじゃないけれど、とても薄い気配が少し気になった。
今思えば、近づいてみて本当によかったと思う。



「・・・・・・うわ・・・」
床に座り込んで棚にもたれるようにして眠り込んでいる生徒がそこにいた。
学ランの彼の周りにはハードカバーの本が数冊と茶色のフレームをした眼鏡が置いてあって。
でもそんなことよりも、
僕の目は彼の寝顔に吸い寄せられてしまって動けなかった。
窓から冬の木漏れ日を浴びて艶やかな黒髪が少し茶色に色づいている。
ふせられた瞼、少しだけ開いた紅い唇。
白い肌がキラキラと輝いていて。
まるで、むかし姉さんが大切にしていたお人形みたいだった。
天使のように安らかで
女神のように美しく
男だと判っていても気持ちが止まらない。

「・・・・・・キス、したいな」

沸き上がる衝動
理由なんてない。判らない。
「・・・・・・しちゃダメかな」
だけどもう僕は止まらない。
吸い寄せられて
魅せられて
そっと手を伸ばして触れた頬は温かかった。
「いいよね? ・・・誰も、見てないし」
静かに身を乗り出して
唇が触れたらどんな感触を得られるんだろう。
それはきっととても甘い。
僕はそっと目を閉じた。



「人の寝込みを襲うな。ケダモノめ」



驚いて目を見開いた。
目の前のチェリーピンクな唇が文字を形どって動くから。
聞こえたはずの言葉は脳まで伝わらなくて
僕はその艶やかに光る唇だけを見つめてた。
ゆっくりと押し上げられていく瞼。
のぞいた色素の薄い瞳。
少しだけタレ目で
でもそれがかえって色っぽかった。
意思の強さを表わす瞳に引き摺られて
僕は唇を重ねた。



そして蹴りを食らった。(痛かった)



「・・・何するの」
「それはこっちの台詞だっての」
そう言って唇を拭う彼。
一瞬だけど触れた唇はすごく気持ちよくて。
癖になりそう。
「変態」
・・・・・・顔に似合わずキツイお言葉。
「変態はヒドイなぁ。君があまりに綺麗だったからついしちゃったんだよ」
「性欲は理性で抑えろ。人間なんだから」
「でもそんなに驚いてないところを見ると、初めてじゃなかったんだ?」
ふとした疑問をぶつけてみると、彼は非常に眉をひそめて嫌悪感を露にして。
・・・・・・余計なこと聞いちゃったかな。
「アンタに関係ない」
「・・・うん、ゴメンね」
俯いて黙って本をめくり始めた彼。
その横顔はやっぱりとても綺麗だった。
僕自身、美人だと言われることはよくあるけれど。
目の前にいる彼の方がもっとずっとその言葉に相応しいと思った。
手塚の硬質な感じの美形とは違う、英二の明るい笑顔とも違う。
でも・・・・・・彼と似たような雰囲気をもつ人を、僕はどこかで見たような気がして。
「名前、聞いてもいい?」
同じ学年なのはカラーを見て判ったけれど。
でもこんなに綺麗な子がいたっけ?
いたら一年の頃から絶対噂になってると思うんだけど。
「あ、僕は3年6組の不二周助。テニス部・・・に、所属してたんだ」
危ない。つい引退前の気持ちで自己紹介しちゃうところだった。
もう三ヶ月以上前に引退したのに。
越前風に言うと『まだまだだね』って感じだね。
目の前の彼は少し考えた後で、小さく口を開いた。
「・・・・・・3年1組、
1組、──────って。
「あぁ、君が今話題のお姫様だったんだ」
数日前にあった1組の怪事件。というかセンセーショナルな出来事の当人。
でもその彼は普通の目立たない男子生徒だって聞いてたけど・・・。
「お姫様?」
あ、そんな嫌そうに顔を歪めないでよ。
「うん、今女子の間で評判だよ。『私もあんな風に王子様に攫ってほしい!』って」
たしかに女の子は好きかもね。
その相手がカッコイイ男ならなおさら。
「・・・景吾のどこが王子様に見えるんだか・・・・・・」
うんざりとした表情を隠しもせずに彼がため息をついた。
そんな悩ましげな仕草も絵になってるなんてスゴイ。
「跡部と知り合いなんだ?」
「・・・アンタには関係ない」
「うん、でも興味はあるから」
率直に言ってみた。この方がいい気がしたから。
下手に小細工なんかするよりも素直に行動する方が彼に対していいと思って。
だけど、どうやら完全には素直になれていなかったみたい。
彼はまっすぐに僕を見つめて言ったんだ。

「愛想笑いを浮かべてる奴に話す気はないね」

「悪いけど、アンタみたいに付き合いで笑う奴は見慣れてるんだよ。そういうのは学校まで来て見たいものじゃない」
それだけ言ってまた視線は本へと戻ってしまう。
でも僕は、それどころじゃなくて。
・・・・・・・・・どうして、判ったんだろう。
いや、今彼は言っていた。
『付き合いで笑う奴は見慣れてる』って。
だからきっと気付いたんだ。
僕が意識的に笑みを浮かべてることに。
・・・・・・・・・気付いたら怖くなった。

「・・・ゴメン・・・・・・」
頭を下げて。
「ゴメン。もう笑わないから。本当に笑いたいときにしか笑わないから。だから・・・・・・嫌いにだけはならないで」
嫌われたらどうしよう。
泣く、かもしれない。

ハァッとため息をついた彼。
「・・・別にそれくらいで嫌いにはならないけど」
穏やかな声。
「今後気をつけてくれればそれでいいし」
柔らかい雰囲気。
「俺も、キツイこと言ってゴメンな」
首を横に振った。
顔を上げると優しく笑っている彼がいて。
それが嬉しかったから笑顔を浮かべたら
彼も笑ってくれた。
ふわっと、花が咲くように。
「・・・・・・キスしたいな」
「死ね。このケダモノめ」
そしてやっぱり蹴りを食らった。(痛かった)



その後は色々なことを話した。
話したというよりは、僕が話しかけていたっていう方が正しいかもしれないけど。
でも君もちゃんと返事を返してくれて。
その知識の豊富さにも驚いたけど、それ以前に彼はものすごく聞き上手だった。
いつもは英二の聞き役に回る僕が饒舌になってしまうくらい。
クラスのことや授業のこと、部活で行った全国大会のこと。
果ては姉さんや裕太のことまで話してしまって。
でも君は相槌を打ちながら聞いてくれるから、僕はますます調子に乗ってしまって。
初対面の人にこんなに色々話したのは初めてかもしれない。
そんな穏やかで包み込むような安心感を君は持っていたんだ。

「じゃあ俺そろそろ帰らないといけないから」
「うん、長く引き留めてゴメンね」
「いいって、そんなの」
たった一時間くらいで僕は結構自然に笑えるようになったみたい。
だって目の前にいる君が柔らかく笑うから。
「・・・・・・眼鏡、かけちゃうの?」
床から拾い上げた茶色のフレームをした眼鏡をかける君に疑問に思って。
だってさっきはかけないでも本を読んでいたよね?
「自意識過剰かもしれないけど、この顔が好きな奴が多いみたいだから」
虫よけってやつかな、と彼は苦笑する。
眼鏡をかけると今まで漂っていた華やかな空気が消えて、彼は大人しい雰囲気の少年に様変わりした。
・・・・・・眼鏡一つでここまで変わるんだ。
今ここにいる彼はさっきまでのお人形みたいな印象はどこにもない。
普通の、むしろ目立たない男子生徒だった。
ちょっともったいない気もするけど。
「判った。じゃあ二人だけの秘密だね」
「・・・・・・そのご都合主義はいっそ尊敬に値するな」
そんなことを言いながらも君は笑っていて。
「またな、不二」
「またね、君」
手を振って校門で別れた。
家路を急ぐ足取りが軽い。
今日はものすごくいい一日だったなぁ。



今学校中で話題になっているお姫様はどうやらすごく魅力的で。
跡部の知り合いみたいだけど、さっきの反応を見てる限り恋人ではないみたいだし。
それに気付いちゃったんだよね。
君の纏っていた雰囲気。
あれ、跡部に似てたんだ。
たしかに跡部の方が俺様で我儘な感じだけど。
でも華やかに周囲を魅了する空気がそっくりだった。
親戚、なのかな?
まぁそんなの関係ないけどね。
「他人のものだろうと奪うまでだよ」
中学卒業をあと数ヵ月に控えながら、僕は新たな楽しみを手にいれた。
もっと早く知り合えてたらよかったのに。
今更そんなこと言ってもどうしようもないのだけれど。

明日が来るのが楽しみだなんて久しぶり。
明日、1組の教室に押し掛けて。
もっともっと話をして。
お弁当も一緒に食べて。
そうしてもう一度、あの柔らかい唇にキスを。

そうしてやっぱりまた蹴られるんだろうなぁ。(痛いんだろうなぁ)





<その日の夜>

『不二周助? あぁもちろん知っとるで。あいつがどないしたん?』
「寝込み襲われた」
『・・・・・・はぁぁ!? 何やソレ! ほんまかいな!』
「マジでだよ。・・・ちくしょう今思い返すとムカツク」
『うわー・・・災難やったなぁ。跡部に知られたら不二の命ないで』
「アイツなら平気だろ。色々な意味でタフな奴みたいだから」
『まぁな。せやけど自分ホンマに災難やったなぁ』
「ホントだよな。オマエにやられて以来だったよ」
『・・・・・・・・・』
「あーぁ。あのときのことを景吾が知ったらオマエの命ないかもなぁ」
『・・・・・・・・・堪忍してや、〜』
「ぜってー許さない。これは俺の忍足に対する切り札だし?」
『敵わんわぁ、まったく』
「俺に勝とうなんて100年早いっつーの」



敵は一体どこに何人いるのだろうか。
それは誰も判らなかった。





2002年11月14日